日本のデザインアーカイブ実態調査
DESIGN ARCHIVE
Designers & Creators
長 大作
デザイナー
レポート1:2016年11月1日(火)10:00〜12:00
レポート2:2016年11月2日(水)14:00〜15:30
PROFILE
プロフィール
長 大作 ちょう だいさく
デザイナー
1921年 旧満州生まれ。
1945年 東京美術学校(現・東京藝術大学)建築科卒業。
1947年 坂倉準三建築研究所に入所。
1972年 長大作建築設計室を開設。
2014年 永眠。
Description
説明
東京美術学校(現・東京藝術大学)建築科を卒業後、終戦の翌年の1946年、アントニン・レーモンド設計の群馬県高崎市の音楽堂を施工した井上工業に入社。その後、大学の先輩に声をかけられ、1947年にル・コルビュジエに師事した建築家の坂倉準三の事務所に入所した。
坂倉のもとで、歌舞伎役者の松本幸四郎(白鸚)邸の設計と家具デザイン、坂倉、前川國男、吉村順三が共同設計を行ったことで話題になった、日本と諸外国の文化交流のための国際文化会館の家具デザイン、国際的なデザイン展の第12回ミラノ・トリエンナーレの出品家具などを担当し、次第に家具、特に椅子をデザインすることに魅力を感じるようになっていった。
坂倉の逝去後の1971年、50歳のときに退所し、翌年、長大作建築設計室を開設。1973年にイトーキのシステム家具「フリーダムチェア」を発表後は、建築設計の仕事で手一杯になり、20年間、家具のデザインをしなかった。
1993年の71歳のときに、アクシスギャラリーで開催された建築家の奥村昭雄の家具展に参加出品したことで刺激を受け、本格的に家具のデザインを再開。「ちょうスツール」「ばちチェア」「三角スツール」など、なぜか惹かれるという三本脚と三角の形を追究する一方で、さらなる座り心地を追求して以前の家具のリ・デザインにも取り組んだ。
晩年は、「三角行灯」「茶托」「トレイ」、歌舞伎の演目『菅原伝授手習鑑』の登場人物「松王丸」と名付けたダルマ、ガラスの器(試作)など、家具以外にも幅広く手がけた。
「先生」と呼ばれることを嫌い、80歳を過ぎてもさまざまな展覧会に足を運んで学び吸収した。常にデザインに対する情熱と好奇心と探究心を持って、真摯に取り組むその姿勢に励まされ、目標にする人も多かった。
Masterpiece
代表作
<家具>
GOフリーダムチェア[イトーキ](1973)
たびチェア[木曽三岳奥村設計所](1991)
はっぱチェア[木曽三岳奥村設計所](1992)
ちょうスツール[木曽三岳奥村設計所](1992)
三角スツール[木曽三岳奥村設計所](1996)
<その他>
三角行灯[浅野商店](2005)Photo by Ryoukan Abe
トレイ[メトロクス](2006)
茶托[メトロクス](2006)
Shuki[アッシュコンセプト](2011)
松王丸(製作年不明)Photo by Ryoukan Abe
<書籍>
『長大作 84歳現役デザイナー』(2006・ラトルズ)
Report_1
レポート1
2016年11月1日(火)10:00〜12:00
取材場所:天童木工
取材先:天童木工
インタビュアー:関 康子、石黒知子、浦川愛亜
ライティング:浦川愛亜
イントロダクション
生涯デザイナーとしてまっとうしたい
「(シャルロット)ペリアンは、その生涯を一デザイナーとしてまっとうしました。けれども私と同世代のデザイナーの多くは、あるときからなぜだか、みんなデザインを辞めてしまうんです。なぜ、デザインを辞められるのでしょう? 辞めてしまえるなんて、不思議でなりません。私はペリアンのように、生涯ずっとデザインしていきたいと思っています。」
書籍『長大作 84歳現役デザイナー』(2006・ラトルズ)の取材時に、長大作さんはそう語られた。その後も家具や照明などをつくり続け、その言葉通り、生涯デザイン人生をまっとうされた。
不帰の人となったのは、2014年5月、92歳だった。最晩年まで、さまざまな人から新製品の開発や復刻プロジェクトの相談が持ちかけられた。アーカイブの調査にあたっては、2011年の90歳のときにデザインし、遺作となった酒器「Shuki(シュキ)」を製作したアッシュコンセプトの代表の名児耶秀美さんにご紹介いただき、ご遺族(実妹)にその状況を伺うことができた。
お子さんはおらず、弟子をとらなかったこともあり、資料類は最期までご自身ですべて保管されていたようだ。生前にすでに整理されたのか、それほど多くはなかった。没後は、晩年まで交流のあった数名にご遺族が連絡を取り、それぞれ必要と思われる資料を引き取ってもらったとのことだった。その彼らにお話を伺った。
数々の名作を生み出している天童木工
長のアーカイブを譲り受けたメーカーのひとつが、山形県天童市に本社と工場がある天童木工だ。戦後、日本で初めて取り入れた成形合板の技術を得意とする、1940年創業の歴史と伝統ある家具メーカーである。
社内デザイナーはもとより、外部の建築家やデザイナーらとの製品開発も積極的に行っている。世界的に有名な、2枚の成形合板を組み合わせた柳宗理の「バタフライスツール」をはじめ、豊口克平の「スポークチェア」、剣持勇の「柏戸イス」、ブルーノ・マットソンの「ハイバックチェア」など、デザイン史に刻まれる名作の数々を生み出してきた。
実際に製品を体感できるショールームは、山形と東京、大阪にあり、東京の建物の設計を長が在籍していた坂倉準三建築研究所が手がけた。
近年、ものづくりに興味がある人が増えている。同社の山形の工場にも、年間1万人以上の見学者が訪れるという。また、天童市のふるさと納税には、農産物のサクランボやリンゴと共に、バタフライスツールなどの天童木工の家具が特産品のリストに含まれていて人気を博しているそうだ。
施工途中のスナップをまとめたアルバム
遺族から天童木工が譲り受けたのは、大きなダンボール6箱分の資料だった。中には図面、写真、スケッチブックが入っていたそうだ。
その中の資料を撮影した写真をいくつか見せていただいた。図面は、家具や建築物の原寸図面やそれを縮小したコピーで、筒状に丸まっているものから、折り畳まれているものまでさまざまある。その中には独立後に手がけた住宅や山荘、1978年に鎌倉に竣工したレストラン「テラス レイ」などの図面もあった。
写真は建物の施工途中のスナップで、アルバムに貼られて簡単な説明文が直筆で添えられていた。1988年に竣工した松本幸四郎家の山荘は、施工途中のスナップと竣工したときのご家族との記念写真と共にアルバムにまとめられていた。
スケッチブックには、家具のアイディアスケッチのようなものが描かれていて、木製家具の試作品のパーツのようなものもいくつかあるとのことだ。
デザインアーカイブ調査の必要性
この長の図面類を今後、どのようにするか特に計画はないという。現在のところ、天童木工では製品や資料をアーカイブする活動を行っていない。
現状では、物を保管するスペースもあまりないため、試作品は残念ながらほぼ処分されている。図面はCADに移行する前の、手描きの原寸図面が山形の工場内の書庫に保管されているとのことだ。
同社内では、自社製品に関する情報を整理・調査し、未来へ継承していくこと、つまりアーカイブすることが必要なのではないかと思い始めているという。そのきっかけとなったのは、2014年に行った東京支店竣工50周年記念の企画展だった。過去の製品について改めて調べたところ、資料がほとんどなく、わからないことがたくさん出てきたことと、当時を知る人が少なくなってきていることに危機感を覚えたそうだ。
オーラルヒストリーの記録を残すこと
そこで、まずは当時を知る人を探してオーラルヒストリーを行った。たとえば、仙台の商工省(現・経済産業省)工芸指導所にいた高藪昭には、バタフライスツールが天童木工で製作された経緯について、同じく工芸指導所にいた剣持勇のデザイン研究所のチーフデザイナーを務めていた松本哲夫には、日本が1960年の第12回ミラノ・トリエンナーレの展示に出展した経緯や天童木工で洋家具をつくり始めたきっかけなどについて、武蔵野美術大学名誉教授の島崎信には、50年代後半に工場長から聞いた開発秘話など。
また、以前、天童木工の開発部に属して40年近く、建築家やデザイナーの仕事を技術面からサポートし、自身も家具をデザインしていた菅澤光政には、60年代以降の工場の様子やデザイナーとの家具の開発について話を聞いたという。録音した彼らの肉声のデータは、記録として残しているそうだ。
同社では、こうしたオーラルヒストリーを早急に行うことが大事ではないかと考えている。というのも、調査を行っていくうちに、デザイナー本人に生前に「直接聞いておけばよかった」ということがたくさん出てきたからだ。特に60年代から70年代にかけて活躍した日本の家具デザイナーは、高齢になるまで現役で活躍したこともあり、家具・インテリア業界ではこれまでアーカイブについて考えることはなかったのではないかと考える。
今になって「あれはどうだったんだろう」と思っても、それについて知る人も少なくなっている。多くの人が同じ思いでいるのではないだろうか。「今だったら、調べれば何とかわかることもあるかもしれない」「できる限り、当時を知る人たちに早めにすべてお話を伺っておきたい」という。
会社の歴史や当時の製品開発について、菅澤光政がまとめた書籍『天童木工』(美術出版社)も、同社の貴重なアーカイブ資料となっている。それを読んでもわかるように、天童木工は日本の家具の歴史において重要な役割をはたしてきた家具メーカーであり、製作してきた名作の数々は貴重な文化遺産ともいえる。これらを後世に伝えていくためには、オーラルヒストリーはもちろん、自社製品のアーカイブを行うことが急務といえるのではないだろうか。
Report_2
レポート2
2016年11月2日(水)14:00〜15:30
取材場所:メトロクス
取材先:下坪裕司さん
インタビュアー:石黒知子、浦川愛亜
ライティング:浦川愛亜
晩年に交流のあったメトロポリタンギャラリー
長のアーカイブ資料を譲り受けたもうひとつの会社は、メトロポリタンギャラリーだ。遺族から連絡を受けたのは、晩年に製品開発を行ったことから最期まで長と交流のあった代表の下坪裕司である。
同社は、50年代から80年代のヨーロッパや日本の歴史あるデザイン製品の販売をはじめ、新製品の開発や復刻生産を行い、東京と札幌にメトロクスというショップをもっている。復刻製品には、ピエール・ポランの「F-031デスク」、マックス・ビルの「グラフィックラグ」、渡辺力の「ソリッドスツール」、近藤昭作の「SKランプ」などがある。長については、2006年に「パーシモンチェア」「マッシュルームベーステーブル」「トレイ」「茶托」などの製作を行い、そのお披露目をする展覧会を同年に東京と札幌のギャラリーで開催した。
思い出深い仕事の資料をまとめたファイル
長が保管していた資料の中から下坪が選んで、遺族から譲り受けたものは、図面、ポスター、ポジフィルム、スクラップブック、蔵書、ハガキ、小物類。ダンボール2箱分ほどあるそれらの資料は、未整理の状態で自社の倉庫に保管されているそうだ。その一部を見せていただいた。
図面はメトロポリタンギャラリーで製作した長の製品のもので、ポスターは松屋銀座などで開催された展覧会のもの、ポジはシートに入ったものがA4ぐらいの箱にたくさん収められていたそうだ。
スクラップブックは、すでに整理されていたのか、思い入れの強い仕事の資料だけが残っているような印象を受けた。たとえば、1971年に開催された「ファニチュア・コレクション」展のときのパンフレット、写真のコピー、掲載された記事、案内ハガキなど。
それは前川國男の事務所の水之江忠臣、吉村順三の事務所の松村勝男、坂倉準三の事務所にいた長という、3人の家具の展示会だった。建築事務所で家具を担当するのは、当時珍しかったようで、彼らは「3人組」と呼ばれたという。
ほかに1960年に行われた第12回ミラノ・トリエンナーレのときの会場構成図などの資料、2006年に世田谷美術館で開催された「クリエイターズ―長大作/細谷巖/矢吹申彦 まだ見ぬ日常への案内者たち」のときのパンフレットや会場構成図、写真のコピーなど。
勉強のために足を運んだ展覧会のハガキ
ハガキというのは、展覧会の案内通知である。松村勝男、倉俣史朗、剣持勇、ルイス・カーンなどの展覧会で、古いもので60年代のものもあり、たくさんの数のハガキがファイルにまとめられていた。長はいろいろな展覧会に足を運んでいたことで知られた。愛車のBMWで地方にも出かけた。80歳を過ぎてもなお「自分の勉強のためですからね」と言って、ハンチング帽を小粋にかぶって颯爽と歩かれていたのが記憶に残っている。
「三角スツール」など、長が所有していた自身がデザインした家具のいくつかは、遺族が引き取られたとのことだ。下坪によれば、2006年に開催した長の展覧会で展示したときには、それ以外にもたくさんの家具があり、全体の2、3割くらい行方がわからなくなっているという。ほかには、晩年に集めていた大鳥神社の酉(とり)の置物などの小物類、蔵書は20冊ほど。
下坪は、特にこれらの資料の活用など、今のところは何も考えていないそうだ。「実はご遺族から、不要であれば廃棄されてしまうということでしたので、取り急ぎ伺っていただいてきたというところです。けれども、まだ詳しく中身を見ていなくて、ダンボールに入れたまま保管している状態です。本当は私共ではなく、しかるべきところに保管されるほうがいいのかもしれません。ただ、日本にそういう場所がないということが問題なのかなという気がします」。
デザインミュージアムについて
日本にもデザインミュージアムのような器があれば、このようなアーカイブ資料もきちんと整理・保管されて、学術研究にも役立つものになるかもしれない。もしつくられるとしたら、どういうデザインミュージアムができたらいいか、伺ってみた。
「アーカイブの情報が一元化されていて、Web上で閲覧することができて、なおかつ申し入れをすれば実物を見ることができたらいいですね。大きな建物ではなく、展示するスペースも少なくても、収蔵できる倉庫があれば、そこから出してきて見せてもらえるなど。そういうミュージアムがあったら、製品開発や復刻生産を行う私にとっても助かります。今はネットで何でも見ることができますけれども、実物を見るのはなかなか難しいですからね。研究者や学生にとっても、実際に自分の目で見て手で触れて研究できるといいのではないかと思います」
メトロポリタンギャラリーでも、製品や資料をアーカイブする活動は行っていないとのことだ。図面はほぼデータ化していて、試作は自社の倉庫に保管しているという。だが、これまで国内外の名立たるデザイナーと製品開発や復刻プロジェクトを行ってきた試作や資料、逸話などもすべて、次世代に残していくべき貴重な財産になるだろう。
天童木工およびメトロポリタンギャラリーについては、ほかにもご遺族から寄贈されたアーカイブ資料があるとのことなので、今後また取材してレポートに上げていく予定だ。
文責:浦川愛亜
長大作さんのアーカイブの所在
問い合わせ先
天童木工 http://www.tendo-mokko.co.jp
メトロポリタンギャラリー http://metropolitan.co.jp