日本のデザインアーカイブ実態調査
DESIGN ARCHIVE
University, Museum & Organization
京都工芸繊維大学 美術工芸資料館
インタビュー:2021年8月27日 13:30 ~ 15:00
取材場所:オンライン
取材先:並木誠士さん(館長、京都工芸繊維大学特定教授)
インタビュアー:関 康子 涌井彰子
ライティング:涌井彰子
Description
概要
京都工芸繊維大学美術工芸資料館は、1980年に設立された教育研究施設である。京都工芸繊維大学の前身のひとつである京都高等工芸学校の創立(1902年)以来、教材として収集されてきた国内外の絵画、彫刻、絵画、彫刻、金工、漆工、陶磁器、繊維品、考古品など、多岐にわたる約54,000点(2019年3月現在)が収蔵されている。
なかでも特に力を入れているのが国内有数のポスターコレクションだ。これらは、京都高等工芸学校創設時の教授であった洋画家の浅井忠、建築家の武田五一が渡欧中、デザイン教育のために収集していたポスターをベースに、19〜20世紀前半のアールヌーヴォーやアール・デコなどを加えた貴重な作品で、その収蔵数は約2万点にものぼる。
また、1995年には建築家・村野藤吾の建築図面(オリジナル・ドローイングを含む)の寄贈を受け、 その整理・調査・研究の成果を含めて順次公開するなど、大学ミュージアムならではの教育に直結したアーカイブの活用を積極的に行っている。
さらに、「京都・大学ミュージアム連携」や、文化庁「アーカイブ中核拠点形成モデル事業」のグラフィック分野の調査など、学内を超えた広域のプロジェクトにも参画しており、デザインアーカイブの課題とそのあり方、ひいては、将来、デザインミュージアム設立の方向性を示唆する重要な役割のひとつを担ってきた。
こうした一連の動きのキーパーソンとなっているのが、館長の並木誠士さんである。そこで、今回は、資料館の運営、デザインアーカイブのあり方のみならず、日本のデザインミュージアム設立に向けた課題についても詳しくお話を聞かせていただいた。
Interview
インタビュー
デザインアーカイブの名称を統一して
フォーマットをつくるには、
10年継続できるプロジェクトを立ち上げ
経験が積み上げられるようにすることが重要
資料館設立の経緯
ー 現在、さまざまな分野でアーカイブに対する関心が高まっています。こちらの資料館は、1980年に設立されていますが、かなり早い時点からアーカイブの重要性を認識されていたのには、特別な背景があったのでしょうか。
並木 京都工芸繊維大学は、京都の伝統産業に関わってきた工芸系の学校と繊維系の二つの学校が1949年に合体してできたのですが、それぞれの学校で、比較的早くから実物教材を使った教育が行われていました。例えば、ポスターを見せてデザインを教えたり、あるいは模型を使って蚕のつくり方を教えたり、といったことが19世紀末から続けられていたんです。
こうした資料は、図書館に蓄積されていたのですが、スペースの問題はもちろん、図書と美術工芸品では保管の仕方が異なるという問題もあるので、美術工芸品を別の施設に切り離そうという動きは、かなり昔からあったようです。
また、当時の図書館の中には、多目的室のようなスペースがあって、ときどきポスターや工芸品の展示などもしていたということもわかっています。
そのため、文部省には実際の設立年よりもかなり早い段階から予算請求をしていて、できれば独立した資料館をつくりたいと働きかけていたことが記録に残っていました。
左/アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック「ディヴァン・ジャポネ」(1892)京都工芸繊維大学美術工芸資料館所蔵 AN.4816
右/ジュール・シェレ 「「ロータスの花」フォリー・ベルジェール座」(1893)京都工芸繊維大学美術工芸資料館所蔵 AN.3363
京都蠶業講習所(1899-1913)で教材として使用された「イタリア製養蚕教材掛図」(Atlante del filugello sano e malato)
京都工芸繊維大学附属図書館所蔵
資料館の運営と人材
ー 並木先生は、どのような経緯でこちらの資料館の館長になられたのですか。
並木 私は、もともと京都大学で日本美術史の勉強をしていました。卒業後は名古屋の徳川美術館の学芸員として働き、大学に戻って助手をしたり、京都造形芸術大学などいくつかの大学で教鞭を執ったりしていました。現在は日本美術史とともに美術館学を専門としていて、京都工芸繊維大学では学芸員の資格取得に関する講義と、美術史の講義を受けもっていました。
資料館の館長に就任したのは、2008年度です。1981年の開館以来、ずっと館長をされていた方の定年退官にあたり、跡を引き継ぎました。私自身も2020年度に定年退官したのですが、今年度は学長の意向により、特定教授として館長を継続しています。
ー 昔からアーカイブに対する造詣も深かったということでしょうか。
並木 資料館での仕事は、主に収蔵品の保存管理や展覧会の企画などを行っていますので、アーカイブ自体の専門というよりは、美術史の研究者、あるいは美術館の学芸員として関わっています。
ただ、ご承知のようにこの資料館には、国内でも有数のポスターコレクションがあります。これらは、京都工芸繊維大学の前身校が開校した1902年以来、教材として収集してきたもので、ポスターを中心としたデザイン資料が約54,000点収蔵されています。それらを管理するなかで、デザイン関係資料のアーカイブについて科学研究費で共同研究をしたり、あるいは文化庁の拠点事業でアーカイブ形成の事業に携わったりするなど、この10年は、アーカイブに関わることが多くなっていますね。
ー 資料館は、何人で運営されているのでしょうか。大学の教員の方々との連携や、専任の研究者などが常駐していらっしゃるのですか。
並木 私のほかに専任の教授が二人と、収蔵資料を研究している特任助教が一人、学芸員資格をもつ事務職が3人という体制です。
ここは大学の情報管理課という事務組織の一つなので、大学院のドクターコースで論文を書いている研究者の予備軍のような人に、技官として約5年の任期で学芸員的な仕事をしてもらっています。実際、その人たちが展覧会の企画をすることもありますし、展示を手伝ってくれることもあります。
ー その6人の方々で、年間約10回の企画展も回していらっしゃるということですか。
並木 だいたいそうですが、今回の岸和郎さんの展覧会は、岸さんご自身が企画に参加されていますし、先ほどお話しした教育資料の展覧会も、京都市学校歴史博物館の学芸員や本学のOBで一緒に研究している人たちと一緒にやりますので、必ずしも中のスタッフだけということではないですね。
アーカイブ収集における二つの柱
ー ポスターコレクションのほかにも、日本画や村野藤吾さんの建築アーカイブなどもひじょうに有名ですよね。多岐にわたるコレクションや資料をお持ちですが、収集方針や寄贈の受け入れの基準はあるのでしょうか。
並木 当館は大学の施設なので、普通の美術館や博物館に比べてまったく予算がありません。よほど館の方向性に合うものが出てきて、かつ事業費などが多少回せる場合は購入することもありますが、原則として購入はできないので、新しく入る資料は寄贈がほとんどということになります。
寄贈していただくものの大きな柱の一つは、近代京都の美術工芸に関するもので、本学の歴史を示すことができるような資料です。本学の前身校が、陶芸や染織など近代京都の伝統工芸を科学的にバックアップするためにできた学校なので、そうした歴史にかかわる資料類の寄贈のお話があれば積極的に受けることにしています。
もう一つの柱は、本学の教員に関する資料です。浅井忠や武田五一に代表されるように、本学の開校以来の教員をしていた方で、美術史あるいは建築史的に意義のある資料類については、スペースの許す範囲で受け入れることにしています。
例えば、今開催している展覧会「岸和郎:時間の真実Waro KISHI_TIME WILL TELL」の岸和郎さんは1993年から2010年にかけて本学で教鞭を執っていただいた方ですし、本学の名誉教授でもある美術史学者で京都国立博物館の館長をされていた土居次義先生に関しては、膨大な手書きのノートや資料類を、資料館と図書館で引き受けて、整理して展覧会を開催したり、他館へ貸し出したりしています。
「岸和郎:時間の真実Waro KISHI_TIME WILL TELL」(2021)の展示風景
ー 岸和郎さんの展覧会は、シンポジウムとともに拝見させていただきました。岸さんの活動を模型や図面、版画などで総観できる充実した展覧会でとても感動しました。今回初めて資料館を訪問しましたが、資料館として独立した建物で1階と2階に展示室があっていろいろな活用方法があると思いましたが、実際どのように使われているのですか。
並木 年間約10本の展覧会を行っていますが、1階と2階ではそれぞれ別の展覧会を開催しています。2階の展示室は壁だけの部屋なので、ガラスや陶器などの作品は展示ケースのある1階で行うなど、棲み分けをしているというかたちです。
ー 収蔵庫はどこにあるのですか。
並木 3階です。それと、倉庫として使っている古い建物がもうひとつあるので、温度湿度に影響がない一部の収蔵品は、そちらに置いています。
ー 企画展は、アーカイブの研究成果など、資料館の活動と連動したものもあるのでしょうか。
並木 もちろんあります。例えば、先ほどお話しした、アーカイブのひとつの柱である近代京都の伝統工芸に関する展覧会は、文化庁の助成を受けながら2010年から毎年継続的に行っています。主として当館の収蔵品を使いながら、京都市立芸術大学など関連する資料を収蔵されているところと組んで企画することもあります。
例えば、9月27日から始まる予定の「美術の教育/教育の美術」展は、京都市学校歴史博物館と協働して教育資料の展覧会を開催するなど、いろいろかたちを変えながら行っています。それによって、うちにもこういうものがあるという連絡をいただいて、新たな資料が寄贈されるということもままありますね。
ー そうしたアーカイブを学生の授業や研究に、どのように活用されているのでしょうか。
並木 ひとつは、学生が自分の専門に関わる展示を見に来たり、先生方が授業として学生に見せたりする、という使い方です。そのときに、われわれが学生に展示の内容を説明することもありますし、先生からの依頼で、学生に出している課題のテーマに関連する資料を集めて、3階で見せることもあります。
もう一つは、学芸員資格の取得を目指す学生の博物館実習を資料館で行っているので、毎年20〜30人の学生に対して、資料の取り扱い方を教えたり、その学生たちが企画した展覧会を行ったり、といった関わり方もしています。
デザインアーカイブの受け入れ基準
ー 新規の収蔵品は、寄贈が中心というお話しでしたが、デザインアーカイブというと、完成品からスケッチやメモ、紙くずのようなものまで、本当にいろいろなものがありますよね。それらを受け入れる際、選別の基準や審査などはあるのでしょうか。
並木 デザインアーカイブは、具体的な基準を設けて選別できるようなものではありませんが、将来デザイナーや建築家になりたい学生が、最終的な成果物になるまでのプロセスを見ることは、ひじょうに大事なことだと思っています。ですから、単なるメモ的なものよりは、結果がこれで、その過程がこうである、という流れが示せることを、もっとも重要視しています。
審査というほどキチッとしたものはありませんが、話し合いを進めていくなかで、そうしたことを踏まえて、こちらで分けさせていただくことは、今までにありました。
ー 今回、岸和郎さんの展覧会で展示されていたもので、寄贈されることになるのは、どういうものなのでしょうか。
並木 具体的なことは、これから岸さんとお話しさせていただくのですが、今のところは展示に使った模型類と図面、それに付随するスケッチなどが対象になるとは思います。もう一つは、図書館のほうで岸さんがコレクションされていた建築関係の珍しい本をもらい受ける予定なので、それも広い意味でアーカイブの中に入ってくるのではないかと思います。
ー 以前、グラフィックデザイナーの杉浦康平さんのアーカイブを武蔵野美術大学が受け入れる際、膨大な作品や資料をそのまま預かっても、予算的にも人的にも整理することができないということで、相当量を杉浦さんご自身が出向いて、アーカイブのプロジェクトの人たちと一緒に作業をされたそうです。
今回の岸和郎さんのアーカイブも、例えば教育の一環として、そちらの大学の建築系の学生と一緒に整理するような可能性はあるのでしょうか。
並木 資料館で企画するというよりは、本学で教員をしている岸さんのお弟子さんがゼミのなかでやっていく、というかたちになるのではないかと思います。実際、今回の展示もだいぶ手伝ってもらいました。そのほうが、戦力になる人が多いでしょうし、岸さんご本人にも出向いていただいくことになるだろうとは思います。
いずれにしても、まだ資料が展示されている状態なので、そのあたりのことも、今後話し合いをしていく予定です。
資料館に寄せられる寄贈の相談
ー こちらのポスターコレクションには、現代のグラフィックデザイナーの作品も収蔵されているのでしょうか。
並木 いろいろなかたちで寄贈されるので、いくつかはコレクションの中に含まれますが、数からするとそれほどはありません。
ー アーカイブの受け入れ先が見つからずに困っているという話をよく聞くのですが、そうした相談はよくあるのでしょうか。
並木 デザインに限らなければ比較的ありますね。必ずしもすべて受け入れられるわけではありませんが、相談はお受けしています。
例えば、大学のOBで京都の伝統工芸に関わる仕事をしている人が、代替わりをしたり、あるいは会社をたたんだりするときに、古いものを整理したいけれど捨てるわけにもいかない、という相談は、年に1回は必ずあります。作家からというより、こうしたケースが多いですね。
また、本学の元教員の方が、父親の作品があるのだけけれどもどうしたらいいか、というような相談も、ときどき受けることがあります。
ー どこの収蔵館も、収蔵庫の空き状況が逼迫しているそうなのですが、こちらはいかがですか。
並木 うちもないですね。
ー 作家ご本人が亡くなられて、ご遺族の方がどれを残して、どれを処分すればいいのか、選別ができない、という話をよく聞きますが、そうした場合、現地に足を運ばれることもあるのでしょうか。
並木 これはよくありますね。4年ほど前にも、本学の1期生で画家になった方のスケッチがたくさん残っているので、どうしたらいいかという相談を受けて、スタッフと一緒に3日ほど通って現物を見させていただきました。そのときは、ご遺族の方が手元に残しておきたいとおっしゃるもの以外で、大学と関わるようなスケッチ類を約1200点いただきました。それらは、今度、展覧会で展示することになっています。
ー 逆に、作家ご本人が、これは恥ずかしいから絶対に残したくない、と言って捨ててしまうもののなかに、学術的に価値のあるものがあって、お弟子さんがこっそり拾って残しておいた、というエピソードを聞いたことがあります。そうした作家本人の意思と、学術的な価値に乖離があるなど、残すか、残さないかの判断が難しかったケースなどはありますか。
並木 私が直接体験したケースでは、ご本人が亡くなっている場合も含めて、ほぼまるごと任されていたので、そうしたややこしいことはなかったですね。
例えば、寄贈をしていただいているわけではありませんが、つい先日亡くなった漫画家のサトウサンペイさんが本学のOBで、2014年に大きな展覧会をやらせていただいたことがあります。そのときには、ほぼすべての作品の原画を、ご本人と一緒に話をしながら見せていただきました。そのときに、作家の作品に対する思い入れから、これは出したくないという気持ちがよくわかったのですが、直接そのことで困ったという経験はありません。
ー 村野藤吾さんのアーカイブは、研究チームをつくって研究をしながら整理を進めていったそうですが、同じように専門のチームをつくって研究と整理を同時に進めるケースはほかにもあるのでしょうか。
並木 定期的な研究会ではありませんが、京都の美術館や博物館の学芸員には、本学の卒業生がいますので、調査のために来てもらって、一緒に見たり、選んだり、意見交換をしたり、ということはときどきやっています。
アーカイブ中核拠点形成モデル事業参画の背景
ー こちらは、以前、文化庁のアーカイブ中核拠点形成モデル事業に参加していた三つのデザイン組織のひとつでしたよね。そのプロジェクトには、どのようなかたちで関わられたのでしょうか。
並木 うちがグラフィックデザイン、武蔵野美術大学がプロダクトデザイン、文化学園大学がファッションデザインでした。じつは、この件に関しては、プロジェクトが始まる3〜4年前から、個人的にも関わりがあったんです。当時、当館と金沢美術工芸大学、東京国立近代美術館のスタッフで、文部科学省の科学研究費を使って、4年ほど共同研究をしていて、私もそのメンバーでした。これは、各所蔵館によってバラバラだった工芸品の名前の付け方を、統一的なフォーマットをつくれないか、という研究で、全国のいろいろな美術館、博物館の事例を集めながら、デモをつくったのです。
それを見ていた文化庁の方が、工芸品だけではなくデザイン製品も名前の付け方が難しいと。例えばひとつのポスターを特定するときに、作品としての名称がないわけですね。それを、デザイン関係の資料をもっているところで統一的なものができないか、という相談を受けたんです。
ご存知のように、デザインミュージアムをつくりたいという意向が、経済産業省や文化庁で出ては消え、出ては消え、という状態が続いていますよね。そこで、文化庁としては、デザインミュージアムをいずれつくるとしても、1ヵ所にモノを集めるのは不可能だから、収蔵館のネットワークをつくらないといけないと。ネットワークをつくるためには、共通の言語をつくらなければならないということで、個人的なレベルで文化庁の人と話をしていたんです。
それで、デザインアーカイブ的なものを立ち上げるための予算が取れるのでやらないか、という声掛けがあって、武蔵野美術大学や文化学園大学と話し合って受けることになったんですね。
つまり、デザインミュージアムの設立に向けたネットワークづくりの途中経過として、デザインアーカイブの確立を目指すプロジェクトが3年間あって、その手前には工芸品やデザイン製品の所蔵資料に対する名称の統一性を考えるプロジェクトがあったということです。
ー デザインミュージアムを念頭に置いたアーカイブの枠組みをつくることが、このプロジェクトの大きな目的だったんですね。プロジェクト終了後も、なんらかのかたちで継続されているのでしょうか。
並木 プロジェクトの成果が具体的に発展している、ということではないですね。武蔵野美術大学や文化学園大学とは、その後もいろいろ情報交換をしていますが、お互い収蔵資料のジャンルが違うので、なかなかそれが統一的なものにならないまま停滞しているという状況です。
ただ、学内的には進展がありました。先ほどお話ししたように、当館には、19世紀末から教材として使われていた資料があって、それらの名称が図書館の台帳に残されていたのですが、当時の名前の付け方は、今とは違って汎用性がないものが多いんですね。それで、現在、その名前を汎用性のあるものに置き換えて、データベースを構築する作業を進めています。
京都・大学ミュージアム連携の活動
ー こちらの資料館は、「京都・大学ミュージアム連携」に加盟されていますが、どのような活動をされているのでしょうか。
並木 「京都・大学ミュージアム連携」は、2011年度から文化庁の助成を受けているプロジェクトで、現在まで11年にわたって活動を続けています。私は今年の3月まで実行委員長をしていました。
大学ミュージアムには、それぞれユニークな収蔵品があって、いろいろな活動をしているのだけれども、なかなか周知されていません。当館も、大学の奥のほうにあるので目立たず、一般に知られにくいという状況でした。そこで、京都の大学ミュージアムが連携して周知することで、より多くのお客さんに来てもらおうと考え、私が大学の教員をしている仲間に声をかけて立ち上げたのが始まりです。
そして、2011年秋に14大学の15の大学ミュージアムによる「京都・大学ミュージアム連携」が発足しました。翌年2月には、本学でキックオフのシンポジウムを開催し、同年10月には京都・大学ミュージアム連携に加盟している館が、それぞれその所蔵品を持ち寄って、京都大学総合博物館で合同展覧会を開催しました。この展覧会がテレビや新聞に取り上げられて評価され、同じような集まり(かんさい・大学ミュージアムネットワーク)が大阪にもできたのです。
その後は、京都だけでなく、九州産業大学美術館(2013年度)や、東北歴史博物館(2014年度)、沖縄県立芸術大学附属図書・芸術資料館(2015年度)とも合同展覧会を開催して、2018年には台湾の国立台北教育大学の美術館とのコラボレーションも実現しました。
ー 並木先生が発起人だったんですね。京都の大学ミュージアムを回るスタンプラリーを定期的に開催するなど、積極的に活動されていますが、東京では、こうした継続的な連携イベントがないので、うらやましく思います。
並木 京都は、大学の数は多いのですが、それほど大きな町ではありませんので、スタンプラリーをやっても回りやすいですし、お客さんも大学によって異なるさまざまな展示が楽しめる、ということだと思います。
ー 京都・大学ミュージアム連携は、台湾での展覧会も実現されたわけですが、今後はさらに世界的な活動もされていく予定なのでしょうか。
並木 2019年に京都でICOM(国際博物館会議)が開催されたときに、われわれも発表したのですが、世界中の大学ミュージアムが単独館では予算や広報活動などに制約がある。その一方で、各大学の歴史と結びついたユニークな収蔵品がたくさんあることは、誰もがわかっているのだからなんとかしたい、ということが世界的にもひじょうに話題になっていました。それを解決する一つとして、ネットワークをつくって共同で展覧会を開催することは意味のあることですから、これからも続けていけたらと思います。
ー 日本のデザインミュージアムの設立するうえで、収蔵館のネットワーク化することが現実的だ、という方向性の先駆けとなる活動ですね。
並木 デザイン製品は特に膨大なので、それを一つに集約しようとすると、どうしても無理が出てきて、おそらく実現不可能になってしまうでしょう。まずは、できるところからやることが大事ですし、そのうえでネットワークという手段は、ひじょうに有効だと思います。
ー おっしゃるように、デザインは、プロダクト、グラフィック、インテリア、建築など、ひじょうに多岐にわたりますよね。美術品や工芸品と比べて、そのあたりをどのように捉えてアーカイブしていけばいいと思われますか。
並木 まさに、そこが解決できれば……、というところなのですけれど(笑)、ひとつは、一人のデザイナーの作家性をどこまで追求していくかいうことがあります。今、展覧会を行っている岸和郎さんもそうですし、武蔵野美術大学の杉浦康平さんや、DNPがもっている田中一光さんなど、作家から始まっていくとある意味で広げやすいわけですよね。莫大な量があっても、そのすべてにその作家が関わっているという意味で考えると、一つのまとまりとして捉えやすくなります。
一方で、作家性のないものも当然ありますよね。例えば、企業が管理しているものもあれば、さらにもっと無名性のものもありますから、そうしたものをどこまで拾っていくか、どうやって残していくか、という見極めをしなければなりません。当然一人ではできませんから、専門のチームをつくって、さらにそれがある程度、長期的に目利きができるような体制をつくっていかなければ、デザインミュージアムはとてもできないのではないかと思います。
デザインミュージアムの実現に必要なことは
ー デザインミュージアムを実現させるためには、まず統一したフォーマットでアーカイブを整理しておくことが大切だと思うのですが、そのためには、どのようなシステム、あるいはどんな組織が、どのようなかたちで取り組むのが理想的だとお考えでしょうか。
並木 音頭を取るのは文化庁がやるべきだと思いますが、単年度ベースの予算ではなく、スタートラインから最初の10年くらいは、黙ってお金と時間を使えるようにして、それまでの経験を積み上げられるようにしないと難しいでしょうね。
例えば3年間のプロジェクトだとすると、3年目以降はまったく保障がなくなってしまいます。せめて10年は継続できるプロジェクトを立ち上げて、しかもその間に担当者やコアなスタッフが代わらない、ということがコミットされれば、名称の統一やフォーマットをつくる問題については、ある程度解決すると思うのですが。
ー そうですね。せっかく3年である程度のかたちが見えてきたかな、というときに予算がなくなって、そこで切れてしまうと本当にもったいないですよね。せっかくの蓄積を次に生かせる仕組みがほしいと心から思います。
並木 京都・大学ミュージアム連携も、毎年、文化庁から助成金をもらって活動しているのですが、そのためには毎年10月くらいから書類づくりをしないといけないんですね。かなり煩瑣(はんさ)な作業なので、それを毎年続けるには人的な保証がないとなかなかできないという問題もあります。これは大学の連携だけでなく、どんな組織を立ち上げるにしても、10年間任せる、というようなかたちで委ねてもらえないとやりにくいと思いますね。
アーカイブの研究に手が回らない美術館の現状
ー 美術館や博物館にとって、展覧会だけでなく、所蔵品にまつわるアーカイブを充実させることも重要な役割だと思うのですが、どこも企画展を回していくだけで手一杯だというのが実情です。こうした問題に対して、どのように感じていらっしゃいますか。
並木 それは、以前から問題になっていることですが、日本の美術館の運営は、特別展で回っているんです。例えば、ルーブル美術館は、特別展をやっているわけでもないのに、みんなが見に行くわけですよね。本来そうあるべきだと思うのだけれども、日本では、大きなイベントをやらずに常設展だけを行っていると、美術館が何も活動してないように思われてしまう。こうした風潮がこの20〜30年でできてしまいました。つまり、目立った企画をすると、メディアが大きく取り上げて宣伝してくれるので、それが美術館の活動だと一般的に思われてしまっているわけです。だから、企画展をやったらやったで忙しいし、やらないとお客さんが来なくて入館料が入らないし、というせめぎ合いなのだと思います。
ー 大阪の中之島美術館が、20年以上の準備室を経て、いよいよオープンすることになりましたが、あそこはアーカイブを柱に据えているということで、とても期待しているところです。
並木 館長の菅谷さんは、よく知っているのですが、あそこは幸か不幸か雌伏期間が長かった分、アーカイブの準備をする時間がたくさんあったので、そういう意味ではよかったと思うんですよね。
文化庁・工芸館の移転が与える影響は?
ー 文化庁の京都への移転が決まり、昨年は東京国立近代美術館工芸館(現・国立工芸館)が金沢に移転しました。このように、東京に集中していた文化施設などが、独自のカルチャーをもった都市に拡散していくのは、地域の文化振興における起爆剤になったり、美術界全体としていい要因になったりすると思われますか。
並木 文化庁の移転は、人的な異動ですし、予算的なことなど実質的な動きがまだ見えないので、今すぐに大きな影響があるとは思っていません。例えば、関西圏にデザイン研究と収集の中心基地をつくるとか、そういう具体的な話が見えていませんから、なんとも言えないですね。
文化的な拠点が拡散することについては、美術愛好家にとってはいいことだと思います。工芸館も、ただ金沢に移転するだけでなく、金沢の地場の工芸とどのくらい融合できるのかが重要だと思います。
ー たしかにそうですね。せっかく、日本古来の文化の中心地である京都に文化庁が移転するのですから、人の異動だけでなく、文化庁としての新たな動きができるといいなと願っています。本日は、ありがとうございました。
問い合わせ先
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開館時間:10:00〜17:00
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