日本のデザインアーカイブ実態調査
DESIGN ARCHIVE
University, Museum & Organization
富山県美術館
インタビュー:2019年7月8日 12:00~14:30
取材場所:富山県美術館
取材先:桐山登士樹さん(富山県美術館 副館長)
稲塚展子さん(富山県美術館 学芸課 副主幹・学芸員)
インタビュアー:関康子、涌井彰子
ライティング:関康子
Description
概要
2017年に再開館した富山県美術館は日本初の「アート&デザイン」を謳う美術館として注目されている。その前身である富山県立近代美術館の開館は1981年。衣食足りた日本人がようやく住環境や生活デザインに目を向け、多様性が重視されるようになった80年代に重なっている。また初代館長の小川正隆氏はもともと朝日新聞の美術記者でジャーナリズムのなかで「デザイン」を美術や音楽と同様に文化活動と捉えており、デザイナーや建築家と交友があったと聞いている。その小川の初代館長就任が、当初から「デザイン」を注視し「世界ポスタートリエンナーレトヤマ」を主催し、「ポスター」と「20世紀以降の椅子」に限定されているとはいえ、国内でも有数のデザインコレクションを誇り、「アート&デザイン」を標榜する現美術館の礎と築いたことは確かだろう。
とはいえ、公立の美術館として「アート&デザイン」をどのように体現していくのかは、まだまだ模索中であるようだ。アートを中心に構築されている美術館システムにあって、「デザイン」がひとつの領域として確立されるには超えるべき壁があるのだろう。特に美術館におけるデザインアーカイブの形成には、基本となるコレクション、アーカイブ整備の入り口であるデータ作成の基礎づくりから始めなければならない。富山県美術館に限らずどのミューアムにおいても、多忙を極める美術館運営において二の足を踏んでいるのが現状のようだ。
今回は長年のデザインディレクターとしての実績を見込まれて副館長に就任した桐山登士樹さん、学芸課 副主幹・学芸員の稲塚展子さんに富山県美術館における「デザイン」の位置づけと、アーカイブの可能性について伺った。
Interview 1
インタビュー01
桐山登士樹さん(富山県美術館 副館長)
今世紀は20世紀の遺産をどれだけ整理し
体系化できるかが問われている
富山県美術館とデザイン
― 先ほど高校生を見かけましたが、館内で見学会でもあったのですか?
桐山 富山県は全国有数の教育県で、この富山県美術館はもともと児童公園の跡地に建設されていることもあって、子どもたちや学童を対象としたプログラムに力を入れています。中学生や高校生のためにインターン制度もあって、彼らはインターンとして美術館運営について学んでいるのです。
― 美術館の存在を間近に感じられる良い企画ですね。さて、富山県美術館は「アート&デザイン」を謳う近代美術館として2017年に開館しました。長年、デザインディレクターとして国内外で数々のデザイン展やイベントを仕掛けてきた桐山さんが副館長に就任されたということで、デザイン界でも大きな期待がかかっていると思います。そこで本日は副館長という立場から、デザインミュージアム、デザインアーカイブについてお話を伺いたいと考えています。
桐山 アーカイブは美術館活動のなかでとても大切だと認識しています。当館は多くの作品、作家に関する記録や制作背景、時代や社会との関係性などの記録や資料を収蔵していますが、それらを集めて終わりなのではなく、いかに活かしていくかが公立美術館としての重要な役割です。けれども実際にはそれを実現してくことは極めて困難な状態にあります。というのも、当館には10名ほどの学芸員がいますが、年に5,6本の企画展を開催し、同時に子どもを対象とした教育プログラムやワークショップも行っているので、アーカイブの整備まで十分な時間を割けていないというのが現状です。美術館としては開館以来200万人に及ぶ入場者を迎え、地元にも根付きつつあると実感していますが、やるべきことが多すぎるのです。開館2年目を迎えて事業全体の骨子を固めつつありますが、僕自身はデザインの企画展やプログラムなどの在り方を考えていきたいと思っています。
― 北陸一帯は金沢市を含めて美術エリアの中心になるポテンシャルがありますね。2020年には国立近代美術館の工芸館が金沢市に移転してきますが、その辺も含めてどうお考えですか?
桐山 たしかに、金沢21世紀美術館があり、来年7月には国立近美の工芸館もオープンします。また、北陸3県は地場産業や伝統工芸も盛んで、工芸においては日本でもっとも充実している地域です。国内だけでなく海外も視野に入れながら、地盤を整えていければと考えています。
― ここは、日本の公立美術館としては初めて「アート&デザイン」を謳っていいますが、桐山さんご自身、日本のデザインミュージアムについてどのようにお考えでしょうか?
桐山 日本のデザインミュージアムということになると、三宅一生さんや青柳正規さんが立ち上げた「日本にデザインミュージアムをつくろう」の活動に期待したいですね。一時、休止状態でしたが、最近はメンバーも入れ替えて一般社団法人Design-DEDISGN MUSEUMが設立され、若手のクリエイターを中心にシンポジウムなどの活動を開始したと聞いています。いずれにしても現状のペースだと、あっという間に10年、20年は過ぎてしまうだろうし、その間に戦後デザインの第一、第二世代の現在80代、70代のデザイナーや建築家の多くの作品や記録が散逸してしまうかもしれません。大きな危機を迎えていると思います。
― 今まで多くの第一世代、第二世代の方々にご自分のアーカイブについてヒヤリングしてきました。諦めている人もいる一方、ご自身のやり方で作品や資料を整理されている人もいます。ただ彼らが言うのは「どこかに寄贈したいが、もらってくれるところがない」と。公立の美術館が受け皿になることは難しいのでしょうか?
桐山 私もそうした相談を受けたことがあります。ただ、保管場所、経費、人材の3つが揃わないと受け入れは困難です。まずは保管のための収蔵庫の確保が第一。その後、収蔵品の保管方法や保管環境の整備、記録やデータの制作な課題が多い。将来はすべてデジタル化されて作業も簡略化されるかもしれませんが、現実問題として当館でも収蔵している18,000点の手描きデータをデジタル化するだけでゆうに4、5年はかかるでしょう。またこうした作業は管理上、学芸員が行わなければならないので外注できないし、だからとってアーカイブ専任スタッフを増員することも難しい。公立美術館は税金で運営されていることもあり、すばらしい作品なら何でも収蔵しますという話にはならないのです。当館の場合は、年に1回寄贈作品の審査会を行って、公正な判断のもとで作品の受け入れを決定します。
― 年間どの程度の寄贈を受けているのですか?
桐山 それも一概には言えません。重要なのは寄贈作品の価値はもちろんですが、当館の活動の文脈に合っているか否か、既存の収蔵品の抜けている部分を補完し、未来に向けて収蔵しておきたい作品なのかなどの判断に依ります。高額だからとか有名作家の作品だからといって簡単に受け入れられないのです。逆に言えば収蔵庫を必要としない単なる「保管」くらいの話なら、状況が変わるかもしれませんが。
― 事情はよく分かりましたが、では現状を一歩進めるにはどうしたらよいか、桐山さんのお考えをお聞かせください。
桐山 デザインコレクションやデザインアーカイブに関する公的な専門の第三者機関があればもう少し話は進むかもしれません。例えば、イギリスのデザインカウンシルのようなデザイン政策を総合的に担当する公的機関があれば、デザインアーカイブという問題も個人レベルではなく、国の文化行政の仕組みに則って進めることができます。こうしたニュートラルな組織やシステムがあるといいですね。
― この調査を始めて以来、預ける側のデザイナーと預かる側の美術館やデザイン機関にアーカイブについて伺ってきましたが、日本では「コレクション」と「アーカイブ」の概念も曖昧だと感じます。そういう意味から日本は芸術作品のコレクションはかなり蓄積されていますが、アーカイブに関しては未開発であるという印象をもちます。しかし「文化」という視点から見ると、完成品としての作品だけでなく、そのバックグランドの記録であるアーカイブも貴重です。その部分が個人や民間組織に任されていては、いつ散逸・紛失されるかわかりません。
桐山 その通りです。富山県美術館の場合は、18,000点に及ぶ、絵画、彫刻、デザイン、工芸、建築などのコレクションがすでに存在しています。ただコレクションを持つということは、それらにまつわるデータの作成、コレクションを活かした展覧会やワークショップの企画、作品の貸し出しなど、たくさんの業務と責任が発生するので、アーカイブの整備がどうしても後回しになってしまうというジレンマを感じています。
― 具体的にどのような作品を収蔵されているのですか?
桐山 当館は、地方の公立美術館としては充実したコレクションを持っています。初代館長であった小川正隆さんが買い付けを開始し、現在ではピカソ、デュシャン、マチス、カンディンスキー、ポロック、ステラ、ウォーホールなどの絵画作品、マリーニ、ジャコメッティの彫刻、日本の作家では棟方志功、岡本太郎、横尾忠則、大竹伸朗、千住博まで、20世紀以降のモダンアートを多く収蔵しています。アート作品の価格が高騰する現在、これだけの作品を収蔵できているのは小川元館長の先見性によるところが大きいと思います。今後、地方の美術館においては1点で数億円もする作品を購入することは不可能で、芸術作品を買って収蔵するという美術館の在り方も成立しづらくなってくるでしょう。ほかには富山県出身の美術評論家の瀧口修造のコレクション、デザインではポスターと20世紀の椅子をコレクションしています。デザインコレクションに関しては後ほど学芸員の稲塚展子さんから詳しくお聞きください。
美術館における「アート&デザイン」
― では、いよいよ「アート&デザイン」という部分について伺いたいのですが。
桐山 美術館としてアートとデザインを互いに補完していくことはできると思いますが、無理やり結びつける必要もないと考えています。というのも、アートとデザインが領域や概念を拡大しつつある現在、自然なかたちで「アート&デザイン」を見せることができるはずだからです。
― 桐山さんは富山県美術館の副館長であり、富山県総合デザインセンターの所長でもありますが、「アート&デザイン」について、具体的なプランはお持ちですか?
桐山 最近、富山県知事の合意を得て、富山県総合デザインセンターの機能を拡張しました。具体的には新たにクリエイティブ・デザイン・ハブを創設し、デザイン工房とバーチャルスタジオをつくりました。富山県には多くの製造業や地場産業がありますが、デザインも今までのように製品をつくって終わりではなく、未来のライフスタイルにいかに寄与できるか、あるいはITやAIの積極的導入による新しいモノづくりを掘り起こしていきたいと考えています。
― 効果はありましたか?
桐山 「アート&デザイン」という点では、デザインセンターであるにもかかわらず「国宝」の修復依頼の話が持ち込まれます。つまり、バーチャルラボの機材である3Dスキャナーで国宝本体の形状などを読み取り、そのデータを使って3Dプリンターで原型を作成し、それを基に型をつくって金属を鋳込めば寸分たがわず再現できるわけです。同時に制作当時の図面などがなくても、国宝のアーカイブとして正確なデータを後世に残すこともでき、現代のデジタルデザイン的な手法が大きく貢献しているわけです。デザインセンターでは他にもAR(拡張現実)を活用して、国際競争力を高めるために製品づくりを大幅に効率化できるシステム開発などの実験も進めています。
― デジタル化はデザインアーカイブの整備にも有効ですか?
桐山 実際、美術館にある膨大な作品や情報をデジタルデータに移行するだけも大変な作業量で、完成させるには相応の時間がかかるでしょう。デザインアーカイブに関して言えば日本の文化行政における税制が大きな課題で、製品の模型やモデルが資産計上されて課税の対象となるので残しておくことができない。大手メーカーでも数年ごとに処分しています。精巧につくられたクルマのモデルなども博物館に所蔵されればいいけれど、そうでなければ経済性が優先され処分せざるを得ません。建築模型も同じですよね。僕個人としてはデザインアーカイブももちろんですが、その前にアンダーコンストラクションを保管できるようなギャラリーがあるといいなあと思います。その場合はとにかく体育館のような大きなスペースが必要です。
― お話を伺っていて、日頃私たちが見られる美術館の姿は氷山の一角で、その下にコレクションやアーカイブ、調査研究といった巨大な塊があることを知りました。ただ日本の現状ではその氷山の一角を保つことすら大変なのですね。
桐山 考えてみれば、20世紀に世界中であらゆることが起こり、今はそこで生み出されたものがそのまま投げ出されている状態なのではないか。今世紀はそれらをどれだけ整理し体系化できるかが問われていると思います。文化行政として人類の知恵をどう結集させ記録していくのか、どのように活かすかが重要で、そのなかで美術館の役割を再検討する時期になっているようと思います。
― 桐山さんから見て、アートとデザインのアーカイブの違いは何でしょう?
桐山 はっきりしていることは、現時点ではアートとデザインを同じ軸で語ることはできないということです。
― 例えば、デザインは大きく「作品」と「製品」という言い方がありますが、その差は何でしょうか?
桐山 たぶん、デザイナーの仕事という視点に立てばマスプロダクションとプライベートと大きく分かれると思います。マスプロはインダストリーなので製品だけど、プライベートな方は一品物や限定品だったりする場合が多く、そうしたデザインは「作品」と言われていますね。僕は過去のデザイナーのなかでもっともマスプロとプライベートを使い分けながら上手く活動したのはイタリアのエットレ・ソットサスだと思っています。彼はオリベッティなどのマスプロの仕事をしつつ、一方で建築や「メンフィス」に代表される限定品のデザインも数多く手掛けています。
― 日本ではソットサスさんと親しかった倉俣史朗さんですか?
桐山 当館でも倉俣さんの「ミス・ブランチ」をはじめ、幾つか椅子をコレクションしています。倉俣さんは椅子や照明器具などのプロダクトデザインだけでなく、ショップなどのインテリアデザインも魅力的ですが美術館で収蔵するのはとても難しいでしょう。なぜなら倉俣さんのインテリアはある意味でお茶室のような異次元空間なので、美術館という場所でその世界観を余すことなく実現することはなかなかできない。香港の「M+」が「きよ友」という寿司店を丸ごと買って再現するようですが、本来なら倉俣史朗ミュージアムができてしかるべきですね。
― アート&デザインという点で、最近のデザイナーの活動をどう思われますか?
桐山 若いデザイナーのなかにはマスプロとプライベート、すなわちインダストリー的デザインとアート的デザインを両輪として活動している人はけっこういますね。彼らはインダストリー的デザインを対象としたミラノサローネ、そしてアート的デザインが集まるフォーリサローネ(ミラノデザインウィーク)という2つの場を上手に使い分けながら、世界的規模でデザインを発表することができます。時代背景もありますが、倉俣ささんは結果的にマスプロの世界に行けなかった人で、その辺の苦悩を僕は感じています。デザインの場合はよくクライアントに魂を売るという言い方があるけど、最近はそのへんも以前と変わってきて、しっかり線引きして活動しているデザイナーが多いのではないでしょうか。 どちらにしてもアートとデザインが大きく変わって来ている今、美術館やコレクションの在り方、アーカイブの扱いなどへの活動は今後増えていかなければないと考えています。
― 本日はお忙しいところ、ありがとうございました。
Interview 2
インタビュー02
稲塚展子さん(富山県美術館 学芸課 副主幹・学芸員)
収蔵された作品・資料がモノとして持つ力。
それが、どう生かされていくかが大切。
デザインコレクションについて
― デザイン界では、富山県美術館は「アート&デザイン」を謳った日本初の公立美術館として注目されています。こちらはポスターと椅子のコレクションが有名ですが、どのような背景があるのでしょうか?
稲塚 富山県美術館の前身である富山県立近代美術館は1981年に開館しました。20世紀から現代にいたる美術を、世界、日本、富山という視点から概観するコレクションの形成と同時に、開館当初から絵画、彫刻などの美術の領域と同等に「デザイン」を、展覧会活動を通してひとつの柱に据えてきました。その際にグラフィックデザインを代表し、かつ、系統的に見やすく誰にでも受け入れられる「ポスター」をコレクションしようと考えたということです。同時に、開館当初から永井一正さんに美術館の顔となるシンボルマークや開館ポスターのデザインを依頼しました。地方の美術館としては画期的なことだったと思います。そして2017年に美術館の建物は変わり、また企画展ポスターのデザインも永井先生から新しい世代へと継がれましたが、移転新築した富山県美術館のシンボルマークは先生がデザインし、その思いや軸は今も引き継がれています。
― そのポスターのコレクションが「世界ポスタートリエンナーレトヤマ」につながるのですか?
稲塚 まず開館翌年の1982年に「現代日本のポスター」展を開催しました。同展では当時の日本を代表する亀倉雄策さんなど20人のデザイナーにそれぞれ20枚のポスターを出品してもらい、終了後に美術館に寄贈いただきました。この400点がポスターコレクションの核となっています。このつながりから日本におけるポスターの世界公募展をという動きが生まれ、亀倉さん、田中一光さん、福田繁雄さん、永井さんらの支援もあって、1985年から「世界ポスタートリエンナーレトヤマ(以下IPT)」を3年に1度開催しています。第1回展当時は、日本のグラフィックデザイナーが世界各地のポスター展で入賞するなど世界的にも注目され始めた頃でしたが、今ではトヤマの受賞・入選を目指して世界中から応募いただいてコレクションも発展しています。
― お話を伺っていると、富山県立近代美術館発足当時に関わった人々はもちろんですが、亀倉さんや田中さんといった当時第一線で活躍されていたデザイナーの方々の熱意も強く作用したのですね。
稲塚 そうでしょうね。当時は求心力をもってデザイン文化を牽引するような人が、現在よりも多くおられたのではないかと思います。
― IPTも30年以上継承されて、ポスターコレクションも相当のボリュームになっているのでしょうね。
稲塚 現在およそ14,000点を収蔵しています。毎回のIPTでは、受賞・入選作品と審査員出品をコレクションに加えています。また、デザイン団体や当館の活動と関わりの深いデザイナーからも寄贈いただいています。グラフィックデザインの潮流だけでなく、時代性、社会性、地域性を定点観測できる貴重なコレクションとなっています。またデジタル化が進む現在、モノとしての価値や存在感も見逃せません。
― どのように保管されているのですか?
稲塚 収蔵庫に、IPTの開催年、デザイナー個人や団体からのまとまったかたちの寄贈など、受入れの経緯を基準としながら、次いで大まかなサイズで分けて保管しています。
― もうひとつの「椅子」コレクションのきっかけは何だったのですか?
稲塚 現在の「20世紀の椅子」コレクションは90年代初頭より本格的に開始していますが、それ以前にも1985年に開催した「現代日本の展望―生活造形」展などの展覧会出品作の中から椅子の収蔵は行っていました。平面(2次元)デザインのポスターコレクションの基礎が固まったので、次は立体(3次元)デザインを代表する何かを加えようという話が出たようです。それが「椅子」になった背景は、プロダクト、建築、ひいては同時代の美術との関わりなど多様な軸から20世紀から現代を俯瞰できるデザインアイテムであることです。例えば、リートフェルトの「レッド・アンド・ブルー」という椅子は作品性も高く建築的要素があり、かつ、モンドリアンの絵画との結びつきもあって20世紀の美術史にも位置付けられるという点から収蔵されています。コレクションの開始にあたっては、武蔵野美術大学での量産椅子のコレクション形成に尽力されている島崎信先生の活動など、先行するコレクションから学ばせていただきました。
― あえて「20世紀の椅子」としたのには理由があるのですか?
稲塚 当館の美術作品のコレクションが20世紀から現代を対象としていることに並行するのはもちろんですが、一点ものやプロトタイプに近いものをオークションなどで購入するのではなく、量産を前提にデザインされた現行品を対象にできるからです。現行品と言ってもオリジナルデザインを継承していること、人々の生活に新しい提案を投げかけるものなど、幾つかの基準はあります。また、現行品であれば2脚収蔵して、ひとつは展示用、もうひとつは実際に座っていただくこともできます。来館者が椅子を造形物として観るとともに、実際に座れるものがあった方がよいと考えたからです。現在は約190種を収蔵しています。
― コレクションの具体的な基準はありますか?
稲塚 基本は20世紀のデザイン史を代表する椅子、そして、発表当時のデザインを継承しつつ現在も量産されているものであることです。現在、トーネットからマッキントッシュ、リートフェルト、フランク・ロイド・ライト、柳宗理の「バタフライ・チェア」や現在活躍中の川上元美さんやジャスパー・モリソンまで、時代に沿ってアイコン的な椅子をマッピングしてバランスを見ながら収集しています。量産品という点では、倉俣史朗さんの「光の椅子」や「ミス・ブランチ」は特殊かもしれませんが、同時代の美術とのつながりやデザイン領域に大きな影響を与え続けている重要な作品として不可欠です。
― 今後を考えたときに、例えば、亀倉雄策といった一デザイナーの作品や資料をアーカイブする可能性はありますか?
稲塚 永井一正さんはじめ、IPTを筆頭に当館の活動との結びつきが強いグラフィックデザイナーの方々について、ご寄贈などでまとまった点数のポスターは所蔵していますが、一人の創造者を包括的にという点では今のところはないです。美術館は作品や資料を保存して未来に継承するとともに、コレクションと展示活動を軸としながら枝葉を拡げるように公開する場だと考えています。ですから、アーカイブの重要性は十分認識していますが、それが将来どうのように活かされるかの可能性の方が大事なのではないでしょうか。
亀倉雄策さんのように出身地である新潟県立近代美術館に寄贈された例もありますが、当館では20世紀以降現代までの美術とともに、デザインに関してはポスターと椅子のコレクションという軸があります。特定の創造者のアーカイブという話は、各施設の収集・展示活動の方針に依ると思います。
― 富山県は地場産業や伝統工芸や盛んです。また、来年には金沢市に国立近代美術館の工芸館ができますが、「工芸」に関してはいかがですか?
稲塚 富山県立の文化施設としては当館を含めて水墨美術館、高志の国文学館、立山博物館があり、それぞれが担う領域と役割があります。工芸に関しては県西部の高岡市に高岡市美術館があり、銅器や漆器を中心に、その地場で伝統的に継承されている工芸の領域を当館よりもはるかに長期的にかつ系統的に収蔵・展示しています。そうした状況とともに、工芸、アート、デザイン、クラフトの境界線が引きづらい現代にあって、当館が「工芸」をどう捉えるかについて私個人の意見では回答しがたいです。
― たしかに、デザインに限らずクリエーションの領域が崩れてきていますね。
稲塚 私個人の断片的な意見ですが、アート、デザイン、クラフト、工芸の違いを語るポイントは、表現と素材のどちらに重きを置いているかだと思います。特にクラフトと工芸については、素材への共感と伝統をつないでいく意識のどちらに軸足があるかではないかと考えています。美術展において工芸的手法や素材で制作された作品を展示することは新たな見方を投げかける可能性はありますが、一方で領域の境界が曖昧になっている現状では慎重さも必要です。国立の工芸館が金沢にできることは大きな動きではありますが、私個人としてはそれぞれ役割の異なる美術館や施設が互いにつながりを持つ方が大切と考えます。
デザインアーカイブについて
― 先ほど桐山副館長からもデータベースの作成といったアーカイブ関連の業務はなかなか進まないというお話をお聞きました。現行のポスターコレクションは印刷物としてのポスターを収蔵されているのだと思いますが、作品の背景となる資料のアーカイブについてはいかがお考えですか?
稲塚 IPTは国際的かつ応募者を限定しない公募展なので国によって状況はまちまちです。作品や作家の資料まではとても網羅はできませんし、コレクションとしてはそれよりもポスターという表現形式の定点観測的な視点やモノとしてのグラフィクスの力を伝えることが重要だと思います。例えば、大日本印刷が運営するDNP文化振興財団の「田中一光アーカイブ」では当時の印刷技術や工程までも調査し、印刷再現できるくらいまで研究されているそうです。アーカイブの有用性は、アーカイブの内容や施設の性質のなかで、それを形成するモノや情報が将来どう活かされることを描いているかに依るのかと思います。
― では、ポスターコレクションについてのデジタルデータの制作やアーカイブとしての公開についてはいかがですか? また金沢21世紀美術館には専任のアーキビストがいらっしゃいますが、こちらはどうですか?
稲塚 作品の実物を基本としますからデータ本体を整える部分は学芸員が行うべきで、外注というわけにはいかないと思います。ただ、学芸員によるデータを二次的に編集したり、データと利用者をつなぐ意味でのプロフェッショナルであるアーキビストがいればとても助かると思います。
デジタルデータに関しては、私も展覧会企画と並行して2年ほどフォーマットの作成業務にあたったことがありますが、ハードの問題がひとつの壁です。試行として一部のポスター作品をスキャニングしてデジタル画像にし、エクセルを使って作品名や作者、年代といった必要項目をデジタルデータ化したのですが、ウィンドウズのOSを更新したらシステムがうまく起動しなくなったことがありました。
― どこの美術館も、稲塚さんが指摘されたデジタルデータの更新には技術的な要件、費用や人的労力の点で大きな負担を感じているようです。
稲塚 苦労してデータ入力しても、最終的にはもっともシンプルなエクセルとスキャニングしたデジタル画像が有効と感じるときがあります。例えば、これらが大いに活かされたのは、ポスターコレクションからの3500点を来館者に紹介する仕組みとして設けたポスター・タッチパネルに収めるデータ編集を行ったときでした。
デジタルデータは便利ですが、危うさも感じてしまいます。今さらポジで残すことは考えられませんがディスクだけに集約するのも危険です。ちょっとしたことでデータが壊れたり、システムによって起動しなかったりします。ポジは多少劣化しても、それこそデジタル技術で再生可能です。現在は過渡期にあるのでしょう。以前オランダのキュレーターと話したときに、デジタルへの移行について質問したら将来はわからないし自分たちも手探りであると言っていました。
― 今の日本では、美術館それぞれがデザインアーカイブについて模索中で、アーカイブのフォーマットもバラバラな印象をもちます。アートの場合はある程度共通したフォーマットがあると思うのですが、デザインはどうなのでしょうか?
稲塚 実際に、デザインはカバーすべき項目が多様なので共通のフォーマットを固めるのは難しいかもしれません。当館で扱っているポスターや椅子はシンプルだし、プロダクトデザインでも川上元美さんや喜多俊之さんといった個人で活動されている人はまだわかりやすいですが、例えば、ソニーのウォークマンといったアイコン的製品の場合、デザイン性、素材や技術、技術、生活へのインパクトなど、着眼点によっては美術館よりも博物館的な視点も必要でしょう。デザインはその成り立ちや捉える視点によって分類がさまざまなので、共通のフォーマットづくりはなかなか難しいと思っています。
― そうですね。デザインにはポスターや椅子のようにデザイナーを特定できるものもありますが、クルマや電子機器といったインダストリアルデザインはメーカー主体であり、企業名、素材、技術など項目が圧倒的に多いです。ところで、ポスターを扱っている美術館は多いですが、アーカイブという点ではいかがですか?
稲塚 ポスターでも、宇都宮美術館や開館を控えた大阪中之島美術館のように歴史的、美術史的価値ある作品を中心にコレクションしているところ、DNP文化振興財団や当館のようにデザイナーとコミュニケーションしながら収集している組織、また新潟県立近代美術館や金沢21世紀美術館のように亀倉雄策や粟津潔といった創造者個人の作品や資料をアーカイブしていることなど多様です。アーカイブの在り方も違ってくるでしょう。ところで逆に質問ですが、企業などでは自社製品のデザインアーカイブが形成されているのですか?
― 私たちの調査の限りでは、自社のデザインアーカイブに体系的に取り組んでいる企業はごく一部です。けれどもインダストリアルデザインのアーカイブに関して面白い動きはあります。例えば、先述の大阪中之島美術館は、パナソニック、京都繊維工業大学を中心とした「インダストリアルデザイン・アーカイブズ研究プロジェクト(IDAP)」を立ち上げています。大阪がもともと松下電器(現パナソニック)やシャープ、象印といった家電の町であるということで、これらの企業と共同してデザインアーカイブを始めています(詳細、大阪中之島美術館)。そこで三洋電機はアーカイブに取り組んでいたと聞きました。
稲塚 20年前、富山県立近代美術館の時代にプロダクトデザイン展を企画した際、出品のご協力をいただいた企業の中には、写真データのみで保管していく企業とともに、製品の現物保管に取組んでいる企業もあり驚きました。
― 企業の意識が影響しますね。さて、現在「チェコ・デザイン100年の旅」展が開催されています。まさにデザインアーカイブの賜物といった展覧会ですが、チェコではどうなっているのですか?
稲塚 オープニングのとき、この展覧会の組織とコレクション出品で協力いただいたチェコ国立プラハ工芸美術館の館長が来館され、話を伺いました。同館は1885年に設立されたのですが、これはイギリスのビクトリア&アルバートミュージアムやウィーンの工芸美術館に続く歴史をもつそうです。館設立当時のチェコはハプスブルク家の統治下にあり、だからこそ自国の技術、工芸、生活文化を収蔵、記録し、伝えていくべきと考えたそうです。以降、家具や食器から掃除機や電話機などの家電製品までも収集して現代に至ります。だた、日本で同じことができるかというと疑問です。歴史的な背景も違うし、チェコでは個人の作家からメーカーまで目配りができますが、日本はスケールが大きすぎですべてをカバーすることは困難です。
― こちらの美術界に多大な影響を与えた「瀧口修造コレクション」も興味深いですね。
稲塚 これは、美術評論家として戦後の前衛美術を擁護し、支援してきた瀧口修造が暮らした自宅書斎に置いていた美術作品や交流のあった作家などから贈られたオブジェ、旅先で採集したものなどで構成されています。ご遺族のご協力もあって、瀧口が身辺に置いていたこれらを生地の富山にということで、富山県立近代美術館時代に寄せていただきました。瀧口コレクションは当館以外にも、彼が学んだ慶應義塾大学のアートセンターに書簡や写真など、瀧口と親交が深かった東野芳明のつながりで多摩美術大学の図書館には蔵書や書籍が保管されています。瀧口の没後に、夫人や親交の深かった方々が熱意をもって作品や資料が散逸を押さえたので、奇跡的に当館までつながれたのだと思います。
― 瀧口コレクションにアーカイブを進めるヒントがありますか?
稲塚 アーカイブの方法は対象それぞれに対して考えていくしかないでしょうね。コレクションの内容にもよりますし、瀧口コレクションにしても受入れの過程、一つひとつのアイテムについての調査やデータ整理を含めると、現在、展示を通して見ていただける状態までにかなりの年月と手間をかけています。受け入れて、整理だけではなく、調査や保存とともに、展示公開も大切ですから。
― 多くのデザイナーは自分のアーカイブは公立美術館や大学に残したいとおっしゃいますが、いかがですか?
稲塚 たしかに10年、20年単位で考えると、公立の施設の信頼性は高いと感じておられるのかもしれませんね。旧サントリー美術館のポスターコレクションも大阪中之島美術館に引き継がれました。ただ、モノと情報が単に保管されてアーカイブが形成されるだけでなく、それらを将来的にどう生かしていくのかという方向性の方が大事なのかと思います。
― デジタル化が進む昨今、「モノ」のコレクション、アーカイブについてどうお考えですか?
稲塚 展示室で来館の方に接する機会に、学生が当館に来て自分が知らない80年代、90年代のポスターを目の当たりにして大きなインパクトを受けた、30代のデザイナーが例えば田中一光さんのポスターの実物を初めて見て感激した、というような話をよく聞きます。実物があってこその体験であり、デジタルデータではできないことです。今春、宇都宮美術館で開かれた勝井三雄展では勝井さんが装丁に携わった豪華本がいくつも展示されていて、印刷物としての存在感に圧倒されました。デザイナーと印刷現場が一体となって生み出す作品の厚みというか奥行きを感じられるのです。これはモノがあるからこそ伝わることであり、大切だと思いました。
美術館の個性
― 最後に、インバウンドなどの影響もあり見学者も多様化し、今後ますます公立美術館においてもの個性が大切だと思います。稲塚さん的には富山県美術館の個性をどうお考えですか?
稲塚 当館は、県外はもちろんですが地元からの来館者がとても多く、地方の美術館にとって地元のリピートが多いのは嬉しいことです。そこで当館の個性というと、子どもからシニアまで幅広い方々に楽しんでいただける環境が整っていることだと思います。
当館の屋上は全国初だと思いますが、「オノマトペの屋上」という遊び場になっています。というのは、この土地にはもともと県が整備した児童遊園がありました。そこに当館の移転が決まり、建築プロポーザルでは美術館機能と子どもの場所をどう融合させるかが鍵のひとつだったと聞いています。最終的に、児童遊園を屋上に設けた内藤廣さんの案が選ばれ、内藤さんの提案でグラフィックデザイナーの佐藤卓さんに加わっていただき、家族が楽しめる遊び場が実現したのです。新しい美術館にとって幸運なめぐりあわせでした。
― 市民に開かれた・・・という点では、金沢21世紀美術館の成功も背中を押してくれましたね。
稲塚 たしかに21美という成功例がいい意味の刺激になったと思います。ただ、金沢は日本有数の観光地なのでそこは当館とは異なります。当館の場合、観光客はもちろんですが地域のひとつの場所という点でも屋上が大いに機能しています。また1階に駐車場があり、全館バリアフリーですからシニアの方々の入館も多いです。これからは、また美術館に来たいと思っていただける内容を意識しないといけないかと思っています。
― ゴッホとかセザンヌとか、印象派展などの方が入りはいいのですか?
稲塚 そうですね。やはり多くの人が美術館に期待するのはそうした著名な作家など安心感のあるテーマなのかなと思いますが、新しい出会いも大切です。まだまだ模索中ですが、私たちはアートとデザインは一緒にあるもの、分かつものではないという考えで活動しているので、ひとつの絵画作品も一枚のポスターも同じ思いで扱っています。ここの学芸員はみんな同じ気持ちだと思います。建物はもちろんですが、「アート&デザイン」というコンセプトを美術館の個性に発展させていければと考えています。
― 「アート&デザイン」の今後を楽しみにしています。ありがとうございました。
問い合わせ先
富山県美術館 https://tad-toyama.jp/
〒930-0806 富山県富山市木場町3-20
Tel: 076-431-2711 Fax: 076-431-2712