日本のデザインアーカイブ実態調査
DESIGN ARCHIVE
Designers & Creators
八木 保
グラフィックデザイナー、アートディレクター
インタビュー:2017年7月10日 17:30~19:00
場所:シェラトン都ホテル東京1Fラウンジ
インタビュアー:久保田啓子 関康子
ライティング:関康子
PROFILE
プロフィール
八木 保 やぎ たもつ
グラフィックデザイナー、アートディレクター
1949年 神戸生まれ。
1984年 浜野商品研究所を経て、アメリカのアパレルメーカー、
エスプリのアートディレクターとして渡米。
1991年 サンフランシスコで Tamotsu Yagi Design を設立。
100点もの作品がサンフランシスコ近代美術館(SFMoMA)の
コレクションとなる。
1995年 SFMoMAの開館時に個展を開催。
2000年 アップルストアのコンセプトとコンサルティングを手掛ける。
2011年 ロサンゼルスに仕事場を移転。
受賞:アメリカ・AGIメンバー、アメリカ・クリオデザイン賞など。
Description
前文
八木保は、アップル創業者スティーブ・ジョブスと一緒に仕事をした数少ない日本人クリエイターだ。1984年、GAPなどのアメリカンファッションブランドに先駆けて、大成功をおさめたエスプリの創業者ダグラス・トンプキンスの熱烈なラブコールを得て、仕事の拠点を東京からサンフランシスコに移した。当時、すでに浜野商品研究所のアートディレクターとして大きな仕事を幾つも手掛けて地位を築いていたから、渡米してゼロからキャリアを始めるのは大きな決心がいったに違いない。ジョブスとの出会いは西海岸の企業家同士として親交のあったD・トンプキンスを介してだった。その後、エスプリの仕事を通して一流のクリエイターとネットワークを築きながら、その活動範囲は大西洋をも越え、ベネトンなどのヨーロッパ企業にも及んだ。
エスプリに7年在籍した後、サンフランシスコに事務所Tamotsu Yagi Designを設立。完全なフリーランスになってからは、アメリカ、ヨーロッパ、日本、中国まで、世界中でプロジェクトを展開している。その内容もグラフィックのみならず、ブランドデザイン、プロダクトデザイン、書籍や展覧会、建築物のサインなど、多岐にわたる。そのどれもが八木独自のナチュラルで繊細、生活に根ざしたクリエイティブワークである。
幅広い人脈をもつ八木は、アートやデザインのコレクターとしての顔も持つ。伝説のインテリアデザイナー倉俣史朗やフランスのジャン・プルーヴェの作品をはじめ、独特の選択眼で選ばれた現代アートの数々は、まるで生活雑貨のようにさりげなくアトリエに溶け込んでいる。サンフランシスコ、そして現在のロサンゼルスのアボット・キニー通りのアトリエは、デザイナーの仕事場というよりも上質なギャラリーのような佇まいで、多くのリビング雑誌で紹介された。最近は娘の理都子さんも、八木のアトリエ近くでセレクトショップ「CHARIOTS ON FIRE」を運営している。流行やビジネスからは一線を置く八木のデザインは、豊かな生活実感から生まれている。最近はJAPAN HOUSE Los Angelesのクリエイティブディレクションを担当している。
Masterpiece
代表作
・ベネトン社の「トリブ」パッケージデザイン(1990)
・アップルストアのコンセプトとプロタイプデザイン(2000年)植木莞爾と共同
・ネクストマルニの椅子(2005)
・広島市環境局中工場のサイン計画(2006)建築、谷口吉生
・ケンゾーエステイト、ブランドデザイン(2006~)
・「パーム」パッケージデザイン(2008)
・ロート製薬「エピステーム」ブランドデザイン(2009)AXISと共同
・「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展グラフィックワーク(2011)
・『八木保の選択眼』(2011)
展覧会
「八木保」展SFMoMA(1995)
「紙とグラフィックデザイン 八木保の選択眼」展 竹尾(2012)
「紙とグラフィックデザイン 八木保の選択眼」展 大阪・北加賀屋見本帖(DESIGNEAST 04)(2012)
「八木保のアッサンブラージュ」展 京都工芸遠位大学美術工芸資料館(2015)
書籍
『Esprit: The Comprehensive Design Principle』(1985)
『ESPRIT's Graphic Work 1984-1986』(1987)
『八木保の仕事と周辺』(1997)六耀社
『八木保の選択眼』(2011)ADP
Interview
インタビュー
デザイン、アートのコレクターとして
― 八木さんは、ご自身もグラフィックデザイナー、アートディレクターとしてすばらしい作品を生み出していますが、一方でコレクターとしても魅力的なデザイン作品を収集されていますね。
八木 フランスの建築家、デザイナーのジャン・プルーヴェや日本のインテリアデザイナーの倉俣史朗さんの作品、それからサイトウ・マコトさんのポスターなどを所蔵しています。倉俣さんやサイトウさんの作品はご本人からいただいたものがほとんどです。
特に倉俣さんの作品は思い入れがあります。倉俣さんは僕がアメリカに来るきっかけをつくってくれた人で、日本でも幾つもプロジェクトをご一緒し、アメリカに来てからもエスプリの仕事を通して親しくしていただきました。80年代には日本を代表するデザイナーとして世界中で活躍されていましたが、物欲がほとんどない方で、ご自身で実験的に制作された家具などを親しい人たちに気軽に贈られていました。僕も幾つかいただいています。
― 例えば、どんなものですか?
八木 コレクター垂涎の「ミス ブランチ」、割れ硝子の天板のテーブル、エキスパンドメタルでできたテーブルの脚のパーツなどです。倉俣さんのデザインはどれも圧倒的な存在感があり、アートのような輝きを放っています。ただ、とても繊細なので取り扱いには注意が必要です。「ミス ブランチ」は日当たりの良いところに置いておくと変色する恐れがあると思って、一時は日の当たらないバスルームに置いていたほどです。最近は、割れ硝子の天板のテーブルをニューヨークのオークションに出しました。とても気に入っていたのですが、長い間悩んだ結論です。何しろとても重たくて、少し移動するだけでも6人掛かりです。僕にはいろいろな意味で少し重たくなっていました。
― 八木さんは以前、『八木保の選択眼』の中のクリエイティブ・ディレクターのNIGOさんとの対談で、「自分がよいと思うモノを収集して次代に引き継ぐということは、自分でデザインすることと同じくらいか、それ以上の意味がある・・・。私のコレクションには、そんな想いもあるんです」と語っておられますね。とても印象に残っています。
八木 僕はアートやデザイン作品は同じ人物がずっと所蔵しなければならないとは考えていません。その時々で、作品を愛し、大切にしてくれる人が持つことが、作品にとっても一番幸せなことだと思います。オークションに出した倉俣さんのテーブルも同じ思いでした。優れたものは、人から人へ、時代から時代へと受け継がれていくものではないでしょうか。貴重な作品だからといって布を被せて部屋の奥にしまっておいては、作品にとっても不幸だと思います。
― プルーヴェの作品は実際に使っておられますね。
八木 彼の作品の魅力は「普段着感覚」だと思います。もともとクローム製のアールデコの家具に興味があったのですが、いつもピカピカに磨かなくてはいけなくてすっかり疲れてしまった。偶然、プル―ヴェの家具に出会ったときは衝撃的でした。多少ペンキがはがれていてもそれがかえって魅力的で、実際に家具として使って楽しめる・・・すっかりはまってしまいました。今も棚やインテリアの一部として使って、楽しんでいます。
― 八木さんの場合は、アートもデザインも単に収集、所蔵するというよりも、実際に生活に取り込んでいくことが大切なのですね。
八木 そうですね。少し話がずれますが、今のデザインは、みんなパソコンの前で完結してしまっているけど、僕は環境全体から発想することが大切だと考えているんです。物に触れたり、観察したり・・・そうした体験からしか得られない知識や知恵、発見があります。実際、仕事をしていくプロセスでも、同じような体験や感覚をもった相手だと「あんな感触ほしいよね」とか「こんな感じの色を探そう」とか、そうした対話で直感的に理解し合えます。でも、体験もなく、物を知らない人や感性が違う人といくら話をしても通じ合えません。 僕はとても感覚的な人間なので、物や環境といった実体験からデザインを発想するという意味で、自分が感動したり、魅了されたアートやデザインを身近に置いておくことがとても大切なのです。
八木さん自身のデザインアーカイブ
― そろそろ八木さんご自身のデザインアーカイブについてうかがいたいのですが、作品やアイデアスケッチについて、どのようにお考えですか?
八木 仕事なので一通りは残してありますが、僕の場合、ポスターは少なく、ロゴやパッケージなどのブランドデザイン、建築のサイン、書籍や冊子のデザイン、インテリアのディレクションなどの仕事が多いので、実物を残しておくというのがなかなか難しいです。プロジェクトが終わったら、スケッチやプレゼンのためにつくったサンプルなどはほとんど処分してしまいます。そして心機一転してから、新しいプロジェクトに取り掛かるというのが僕のスタイルです。
― 八木さんは、SFMoMAをはじめ個展も多く開いていますが、そのために、ただ作品を並べるのではなく、一つひとつのデザイン作品のバックグランドを物語るすばらしいプレゼンテーションを制作されていますね。例えば、エスプリのフレグランス「トリブ」のボトルのコンセプトを表現したパネルなどは、一時の展示品というよりも一つのアート作品のようでした。ああいうものも処分されてしまったんですか?
八木 残してあるものをあるけれど、処分してしまったものも多いです。紙の物は比較的とっておけますが、立体物は場所をとりますから、物理的に残しておくことは困難です。
また、僕はアートやデザイン作品に限らず、自然の葉っぱや枝、古い切手やパッケージ、そういった実際の物から刺激を受けてデザインを発想することが多いので、分類して箱に入れて保存しています。それらはいつ必要になるかわからないし、なかなか処分することができませんね。
― そういえば、5年前に出版された作品集『八木保の選択眼』の限定本(スペシャルエディション)の進捗は、その後いかがですか? 限定本は普及版をベースにして、そこに八木さんは収集した物、例えば、いろいろなチケットや紙見本などを添付した三次元の書籍、すなわち1点もののアートブックをつくるという計画だったと記憶しています。完成すれば、それこそまさに八木さんのデザインアーカイブと言えますよね。
八木 残念ながら、まだ公開できる段階ではありません。ただ、世界に一冊だけのアートブックということであれば、確かに僕のデザインアーカイブと言えるかもしれませんね。今は何というか、頭の中でいろいろ考えることを楽しんでいるという感じですね。もちろん、ある程度発表できる段階になったら、お知らせしたいと思います。
― 八木さんのアトリエはまるでギャラリーのような空間ですが、そこをご自身のミュージアムにしようというようなお考えはないのですか?
八木 正直、考えたこともありません。他人の作品は気に入るとコレクションしているのに、自分のものに関しては無頓着と言いますか・・・。それに一個人であるデザイナーが一人でデザインアーカイブを整えていくことは負担が大きすぎると思います。デザイナーというのは、自分のアーカイブをどうするかよりも、目の前にある仕事を優先してしまいますからね。
それに先ほども言いましたが、アートやデザイン作品は、それを愛してくれる人のもとにあるのが幸せです。あるいは公的な機関できちんとコレクションされていくことが理想です。欧米では、コレクターやミュージアムはコンテンポラリーのアートやデザインのオークションを通して、貴重な作品の売買を行っています。
― 八木さんはアメリカに永く住んでいますが、アメリカのデザインアーカイブの実態はどんなふうですか?
八木 詳しくは知りませんが、アメリカの場合は各州政府が音頭をとって、ミュージアムや大学がすぐれたアートやデザイン、建築模型など、文化的な価値あるものを積極的にコレクションしているそうです。何かしらの賞をとった作品などは必ず収集していると聞いています。実際、僕の作品もSFMoMAやMoMA(ニューヨーク近代美術館)などに数多くコレクションされています。SFMoMAは展覧会で展示された作品などを積極的に収集しています。やはり公的機関だと安心感もありますね。
また、アメリカでは各大学のミュージアムやライブラリ―、研究機関が充実しており、さまざまな分野の資料や作品の収集にとても熱心です。アーカイブが学問として成立しているし、知識の集積に努めているようです。アメリカは寄付(ドネーション)制度がアーカイブ活動を後押ししているという点も見逃せません。
― 日本でも、最近ようやくデザインや建築のアーカイブの機運が高まってきています。それぞれ小さい活動ですが、それらがネットワークを組むようになれば、それなりに大きなうねりになるのではないかと考えます。
八木 それでは不十分ではないでしょうか。やはり国なり、公的機関が中心になってデザインや建築のアーカイブのために美術館や研究組織、とくに収蔵スペースを確保することが重要ですよ。以前、三宅一生さんが提唱されていた「国立デザイン美術館」構想はどうなってしまったんでしょうか? 日本では実現は難しいかのしれませんね。デザインアーカイブはただ作品を保管するだけでなく、資料を整理、研究して、文化材として活用していく必要があります。そうなると、個人や小さな組織が取り組むには課題が大きすぎます。
アナザー・デザイン・アーカイブ
― 八木さんは、作品集の中で、グラフィックデザイナーの田中一光さんの手紙を掲載されておられましたね。他にも、人知れぬ作品やスケッチ、手紙などの貴重な資料をお持ちなのではないですか?
八木 そうですね。僕はアメリカに長いので、田中一光さん、倉俣史朗さん、石岡瑛子さん、安藤忠雄さんがいらしたときに声をかけてくださり、話題のギャラリーやショップをご案内したり、レストランで食事をしたりするチャンスがたくさんありました。そのお礼として、手紙やちょっとした作品や贈り物をいただくことも多かったのです。その中には僕にとっては大切な思い出の品やメッセージがあります。例えば、古い作品ですが、倉俣さんが何かの折に限定品として制作されたネクタイをコレクションしています。倉俣さんの作品集などにも掲載されたことはないし、ひょっとしたら奥様の美恵子さんもご存じないかもしれない、貴重な作品です。
― 八木さんは石岡瑛子さんともお親しかったですね。
八木 はい。お互いの仕事場を行き来しました。石岡さんは時々僕の事務所で、映画の衣装などの大きなプロジェクトをまとめていらっしゃいましたから。石岡さんは80年代に活動の拠点をニューヨークに移して以降は、グラフィックデザインの仕事に加えて、映画やオペラの装置や衣装デザインも手掛けておられた。93年には映画「ドラキュラ」の衣装デザインでアカデミー賞を受賞、遺作となった映画「白雪姫と鏡の女王」の衣装デザインも大きな話題を呼んでいましたね。
以前から、彼女の衣装デザインに係わるアーカイブの話が持ち上がっているようですが、実現していないことが残念です。また、ポスターに関してはご自身の遺志により、大日本印刷が母体となっているDNP文化振興財団に476点のポスター作品が寄贈されたと聞いています。
― 70年代にパルコなどの広告デザインで―世を風靡した石岡さんの作品を一堂に介した回顧展が開催されることを願ってやみません。
先ほど八木さんがおっしゃっていた手紙や小作品は、八木さんだけが知るアナザー・デザイン・アーカイブであり、価値あるものだと思いますが。
八木 そうですね。もちろん私信なので扱いには細心の注意が必要ですが、すてきなメッセージが込められたものも多いので、あるかたちにまとめて残したいなあと考えています。とりあえずは、デジタルデータ化して、編集して本にまとめたいなあと思います。とにかく、生の情報がどんどん失われていくなかで、すべてを残すことは不可能ですが、貴重な作品や資料は何とかして後世に伝えていきたいですね。彼らの生の資料に直に触れることによって大きな刺激がもらえますから・・・
― 本日はありがとうございました。八木さんはご本人の作品や資料はもちろん、実に多くのクリエイターの貴重な資料をお持ちなので、それらを何とか継承し、活せるといいですね。引き続きよろしくお願いします。
参考
Tamotsu Yagi Design http://www.yagidesign.com/