日本のデザインアーカイブ実態調査
DESIGN ARCHIVE
Designers & Creators
藤江和子
家具デザイナー
インタビュー:2017年11月2日15:30〜17:00
場所:藤江和子アトリエ
取材先:藤江和子さん
インタビュアー:関 康子、浦川愛亜
ライティング:浦川愛亜
PROFILE
プロフィール
藤江和子 ふじえ かずこ
家具デザイナー
富山県生まれ。
1968年 武蔵野美術短期大学デザイン科卒業。
1969〜1972年 宮脇檀建築研究室勤務。
1973〜1977年 エンドウ総合装備勤務。
1977年 藤江和子アトリエ設立。
Description
説明
藤江和子は、大学で家具デザインについて学び、卒業後に建築設計事務所で研鑽を積み、独立後に家具デザイナーとして活動を展開。「人と家具と建築」は密接に関わり合うものとして、その関係性について考え、建築の空間に訪れる人のためにデザインすることを追求してきた。
そんな藤江は、戦後の日本のデザイナーの草分けの一人であり、とりわけ女性家具デザイナーとしては先駆的な存在であるが、大きな特徴は建築家とのコラボレーションである。槇文彦、磯崎新、伊東豊雄、石山修武、シーラカンスアンドアソシエイツらの建築空間にオリジナルの家具をデザインしている点だ。その対象は彼らが設計する美術館、博物館、教育施設、オフィスビル、コミュニティ施設など広範であり、近年、特に多いのが図書館である。こうしたパブリックな空間の家具やインテリアデザインを手がけるが、特に訪問者がくつろぎ、思い思いに時間を過ごせるオアシスのような居場所をつくる家具計画や、ベンチやチェアの評価が高い。2004年に東京・新宿のリビングデザインセンターOZONEで開催された10周年記念展の図録『We Love Chairs―265人椅子への想い』(2005・誠文堂新光社)には、スペインのグエル公園の広場にあるベンチについて、「青空の下、風や陽光を肌に受けて、時空間に身を預ける心地良さ、この感動がデザインの原点だと学んだ」とコメントしている。
1989年には藤江和子家具デザイン展「微分視」、1990年「万華鏡」展と個展を開催。1997年にはTOTOギャラリー・間で展覧会を開催し、『藤江和子の形象—風景のまなざし』(1997・ギャラリー・間叢書)を出版。活動を開始してからこれまでの仕事を振り返り、以後のデザイン姿勢を固めるものとなった。その18年後の2015年には、それ以降の仕事を網羅した『Fujie Kazuko Works 1997-2015』(2015・藤江和子アトリエ)を自社で刊行した。この本で多くの資料をまとめたことを機に、自身のアーカイブの整理を始めたという藤江氏にお話を伺った。
Masterpiece
代表作
プロダクト
椅子「T-3147」「T-3149」、
テーブル「T-2673」「T-2672」(2004・天童木工)
公共・商業施設等の家具・インテリア
「ヒルサイドテラスC棟」(1973・槇総合計画事務所 設計)、
「京都国立近代美術館」(1986・槇総合計画事務所 設計)、
「奈義町現代美術館・図書館」(1994・磯崎新アトリエ 設計)、
「リアスアーク美術館」(1994・早稲田大学石山修武研究室 設計)、
「福砂屋松が枝店」(2003・中村享一設計室 設計)、
「茅野市民館」(2005・古谷誠章+NASCA 設計)、
「多摩美術大学図書館」(2007・伊東豊雄建築設計事務所 設計)、
「台湾大学社会科学院辜振甫先生記念図書館」(2014・伊東豊雄建築設計事務所 設計)、
「みんなの森 ぎふメディアコスモス」(2015・伊東豊雄建築設計事務所 設計)、
「台中国立歌劇院」(2016・伊東豊雄建築設計事務所 設計)
著書
『藤江和子の形象—風景のまなざし』(1997・ギャラリー・間叢書)
『Fujie Kazuko Works 1997-2015』(2015・藤江和子アトリエ)
『家具でつくる本の空間』(2016・彰国社)
Interview
インタビュー
自分も長いこと仕事をしてきているなと思ったのがきっかけになって、アーカイブの整理をしようと考えました。
雑誌の撮影のためにオリジナルの家具を製作した
藤江 デザインミュージアムをつくろうという話は、以前からちょくちょく耳には入ってきますけれど、なかなかその先が続いていきませんね。
— そうですね。私たちは取材をして文章を書くのが職能ですので、できることからやっていこうと思って、こうしたアーカイブ調査を行っております。完成した作品はもちろんですが、その過程で生まれる図面やスケッチ、試作品などが今、どのような状態になっていて、将来、どのようにしていこうと考えていらっしゃるのかということをお聞きできればと思っております。最初に、藤江さんのデザイナーとしてのご活動のお話から伺いたいと思うのですが、もともとは住宅設計で知られる建築家の宮脇檀さんの事務所にいらっしゃったのですね。
藤江 時、宮脇さんの事務所内にはインテリアセクションがあって、そこで私は家具やインテリアについてあらゆることを学ばせていただきました。
— そのセクションには、何名くらいいたのですか?
藤江 宮脇さんの奥様で、プロデューサーの照代さんと私の2人だけです。照代さんは建築の大学のご出身で、幅広い知識をおもちでした。私の主な仕事は、宮脇さんが率いる建築セクションで設計される住宅や商業施設のための家具設計やインテリアの図面を描くことで、今で言うデザインだけでなく、デコレーターやコーディネーター、スタイリストのような仕事もしました。銀行がクライアントの季刊誌があって、ライターやカメラマンとチームを組んで、毎号、テーマに合わせてモデルルームをつくるように空間や家具の企画から設計、制作まで行い、スタジオで撮り下ろしていました。
— 昔の雑誌は、贅沢だったのですね。家具は既製品ではなく、そのためにすべてオリジナルでつくられたのですか?
藤江 当時はまだまだ良いデザインの既製品がない時代でしたからね。毎回、テーマを決めて台所、リビング、食堂、主寝室、子ども部屋といろいろな空間をつくって生活提案をするという、モダンリビングを啓蒙するような雑誌でした。
— そのあとに行かれたエンドウプランニングというのは、どのような事務所だったのですが?
藤江 エンドウプランニングの遠藤精一さんは建築家で、以前、槇文彦さんの事務所にいらっしゃった方です。家業を継がれ、家具や建具の製造をする会社で、工場がありました。あるとき遠藤さんと知り合って、宮脇さんの事務所での仕事が終わったあと、そこでデザインのお手伝いさせいただくことになりました。その後、遠藤さんが新たに設計のセクションを立ち上げるということで、私は宮脇さんのところを退所して正式に入れていただくことになりました。
— 槇さんとの接点は、その頃からあったのですね。その後、独立されて、藤江アトリエをおつくりになられたと。家具デザインというと、川上元美さんのようにプロダクトとして家具をつくられる方と、藤江さんのように建築家と協働して空間の中の家具をつくられる方といますが、ご自身のなかではどのように考えていらっしゃいますか? 天童木工で製品化されている家具もありますよね。
藤江 私は大学を卒業後、宮脇さんの事務所に入所して、建築の中の家具やインテリアをデザインするところからスタートしたので、自然とそういう道に進んだという感じです。プロダクトとしての家具を本当はもっとつくりたいという思いもあるのですが、なかなかそういう機会がないままに、今日まできてしまいました。
— 藤江さんはさまざまな建築家の方とコラボレーションを行っていらっしゃいますが、そういうプロジェクトのなかで量産化することを前提に考えてデザインされることはありますか?
藤江 建築によっては、同じ家具を相当数、必要とする場合もありますから、無駄のない製造方法を考慮することはあります。しかし、最初から量産化を考えることはしないのですが、できあがったあとに、もうちょっとディテールを工夫すれば製品化できるかなと考えることはあります。この事務所に置いている試作の多くはそうです。
家具は、その空間に訪れる人のためにデザインするもの
— ビルのエントランスの受付カウンターやソファのような単品のものから、伊東豊雄さんが設計された「多摩美術大学図書館」や「台中国家歌劇院」のように何百、何千脚という数の家具をつくられる場合もあって、建築家とのコラボレーションといっても幅がありますよね。例えば、単品の家具は、空間の中でどのように考えていかれるのですか?
藤江 毎回、建築家も、ロケーションも、建物そのものも違いますし、エントランスの受付カウンターひとつとってもその用途や意味合いもそれぞれ異なります。その都度、その敷地や周辺環境から探っていって建築を理解し、内部空間に入ってまた一から建築空間を把握し、体感を大事にしながら考え始めます。
— 例えば、ロビーに置くテーブルも、デザインだけでなく、横に置くのか、縦に置くのか、それとも手前や奥に置くのかということでもまったく違ってきますよね。
藤江 それは違いますよね。ロビーに配置する家具などは、そこに訪れる人の安全な流れを促すという役目もあります。家具は何のためにデザインするかというと、その空間に訪れる人のためです。その家具をどのくらいの大きさで、どのような形にするかというのは、その建築空間の成り立ちや使用される素材、光の入り方などが密接に関わってくるので、そういったこともすべて含めてトータルに考えていかなければいけません。
— 建築家とのプロジェクトでは、藤江さんはいつの段階から入っていかれるのですか?
藤江 プロジェクトによって異なりますが、多摩美の図書館などはコンクリートを打ち始めているときでしたし、同じく伊東さんが設計された台湾大学の図書館(「台湾大学社会科学院辜振甫先生記念図書館」)では、建築の基本設計が終わった段階でした。
— 最初に建築家からコンセプトを伝えていただくのですか?
藤江 それもまた建築家によって違いますけれど、改めてコンセプトを伝えてもらうことはあまりなくて、基本設計図をいただいてそこから自分で読み取っていくことが多いですね。槇さんの図面は、長く一緒にプロジェクトに携わっていて、たくさん建築を見てきたこともありますけれど、展開図もあるので空間の大きさを把握しやすくて、どの辺りにどんな感じのものをという提案がしやすいですね。
— 途中の段階で建築家と確認されるのですか?
藤江 建築家の方によって、それぞれ仕事の進め方やコミュニケーションの方法もいろいろです。伊東さんの場合は、最初に大まかな自分の考えをお伝えして、次に少し具体的に形になったときに模型などをお見せして調整していくという流れが多いですね。
— 図面の段階のときに、建築に使用される素材は決まっているのですか?
藤江 おおよそ石かなというくらいで、どういう種類の石かということまでは決まっていないことが多いですね。打ち合わせを重ねていくうちに、だんだん建築の方で詳細が決まっていって、それを聞きながら家具でも具体的に素材やデザインを固めていくという、同時に進んでいく感じです。
多摩美の図書館を皮切りに、伊東豊雄との協働が始まる
— 伊東さんとコラボレーションをされるようになったのは、近年からですか?
藤江 伊東さんとのお仕事は、多摩美の図書館からです。伊東さんと同じく私も多摩美で客員教授をしていたので、同じ大学の先生が参加するという考えがあったのだと思います。
— その後も伊東さんとのプロジェクトが続いていかれたということは、この図書館のプロジェクトで意気投合されたのですか?
藤江 意気投合したと言いますか、この図書館のときは、とにかく時間がありませんでした。私がプロジェクトに加わったときは、すでにコンクリートを打ち始めていましたから、間に合わないのではないかと思いました。図面を読み込むと、初めて体験する魅力的な空間で、何か新しい提案ができないとまずいと思ったのですが…。そういうなかで空間を巡るような家具配置の案を出しましたところ、伊東さんがとても驚かれて、すぐに館長にお電話をされて、1週間後にGOサインが出ました。
— そのデザイン案が、とても感動的だったのですね。
藤江 そうだったみたいですね。簡単な模型もつくってお持ちして説明させていただいたのですが、一緒にプロジェクトに携わっていた建築・都市ワークショップの鈴木明さんも、それを見られてとても喜んでくださいました。といっても、時間はありませんし、どうすればいいんだろうと内心、焦っていました。
— 何千脚もの椅子が必要な「台中国家歌劇院」では、かなり期間がかかったと思います。どのように進めていかれたのですか?
藤江 劇場の場合は、家具が建築の躯体に大きく影響を及ぼすので、基本設計や実施設計などの早い時期に席数やそのためのスペースが決まります。ですから、建築的与条件のなかで家具をデザインすることになります。この「台中国家歌劇院」には、最初は既製品をアレンジして入れる計画だったようです。けれども、よくよく確認してみたら椅子の前後左右の間隔がとてもタイトだったのと、デザイン的にもこの空間に合わないのではないかと思ったので、「新たにデザインしたい」と伊東さんに申し出ました。とは言ったものの、今までに見たことのない不思議な劇場空間だったので、ここにどんな家具をつくったらいいかとかなり考えました。大劇場2500席、中劇場800席です。
コストの問題もあるので、つくり方をシンプルにすることを考えて、シェルは2次曲面の合板に3次曲面の成型ウレタンを合わせて、背面のクッションは薄くしてスマートなフォルムにしながら、体に優しい座り心地を追求しました。大劇場は背が曲線形状で赤い生地のシート、中劇場は角形状の背でブルーというように基本シルエット形状は同一で2種類つくりました。生地は、テキスタイルデザイナーの安東陽子さんにイメージを伝えてデザインしてもらいました。
— これもまた大変なプロジェクトだったそうですけれど、製作期間はどのくらいかかったのですか?
藤江 2009年から工事が着工してオープンが2016年ですから、建築の方では施工が10年くらいかかったのでしょうか。ホワイエの家具は、建築設計と同時にデザインしましたが、劇場椅子のデザインは、躯体をつくっているときから始めたので8年ぐらいです。途中でプロジェクトがちょっと止まったりしていますけれどね。
豊かな時間を提供する、大きなベンチ
— 岐阜の「みんなの森 ぎふメディアコスモス」は、いかがでしたか? 図書館では家具の占める割合が多いと思いますので、家具によって空間をデザインしていくことが大きな見せ場になったと思います。
藤江 このプロジェクトは、コンペのときから参加しました。建物の中で象徴的な存在となるグローブ(傘)については、どのくらいの大きさで、どこに配置するかといったこともコンペのときから一緒に考えていました。家具に関してもグローブ下の人々の様をいろいろ考えて、早い段階から私のなかでかなりイメージができていて、最終的に100%ではないですけれども、ほぼ実現できたと思います。例えば、本棚のデザインについては、「大きな家と小さな家」のコンセプトで、円形の小さな家のグローブが半円形の曲線を描いたフォルムです。それに合わせて最初は同心円形の配置がいいかなと思ったのですが、それだとあまりバリエーションがつくれず、コストの問題や増減の調整、システム化も難しくなります。そこで直線的な長方形の本棚を角度をもった連結として、少しずつずらしてうずまくように配置したわけです。家具同士の隙間の連結部には、照明と配線を入れるファンクションスペースとしました。このユニット式であれば、簡単に増減できますし、いろいろな曲率の配置を自在につくることができます。この本棚は空間の中で渦を巻いているような配置になっているのですが、人が歩く道、あぜ道をつくるようなイメージで考えました。
— このベンチもいいですね。
藤江 本当は天然の藤を使いたかったのですが、近年は希少素材になっていることと、防燃の問題から、最近、家具によく用いられている人工の藤を使って製作しました。この建物には床から空気が上ってくる床輻射システムになっていて、この家具の中を通って網目から抜けて身体に届き、上昇していくようになっています。
— この図書館は、空気を循環させるというのがコンセプトでしたね。こういう大きなみんなが座れるベンチをいろいろなプロジェクトでデザインされていらっしゃいますよね。ベンチという家具に、何か特別な思い入れがあるのでしょうか?
藤江 ほとんどが公共の空間ですが、公共だからこそひとりでもいられるような、ここにこういうふうにいられる場所があるといいなと思って、毎回、デザインしています。多摩美の図書館のベンチでは、周囲の自然環境とのつながりを考えて、思い思いに身を委ねながら開放された豊かな時間を過ごせる場があるといいんじゃないかなと思ってデザインしました。
— ところでインテリアのデザインを手がけるときには、どのように進めていかれるのですか?
藤江 それもプロジェクトによってさまざまなのですが、「二子玉川ライズタワー&レジデンス」では、設計が完成して内装に取りかかる前の段階で、住居棟の超高層3棟と、低層2棟の床や壁の素材などのすべてのインテリア空間の見直しと実施設計に関わりました。
— 上質な雰囲気がありますね。
藤江 実はそれほどコストはかけていないんですよ。むしろ、コストダウンする方向でした。全体のデザインコンセプトは、コンラン&パートナーズが監修されたのですが、周囲の環境の豊かな自然をどのように内部空間にもち込むか、いかに内と外を融和させるかということをテーマにしました。高級マンションでは、高価な大理石や高級木目を多用する例が多いのですが、周囲に本物の豊かな自然が広がっているのに、内部空間に突然、ギリシャ産の石などがあるのは違和感があるのではと思い、私はあえてシンプルな仕上げとし、随所にガラスを採用することを提案しました。自然の緑を受けて美しく見えるように白を基調にして、外光が美しく反射し、住居内の至るところに届き、豊かな表情をもたらすように素材を選びました。
作品集の出版をきっかけにアーカイブの整理を始めた
— とても興味深いお話で、もっとお聞きしたいと思うのですが、そろそろアーカイブのお話に移りたいと思います。藤江さんはご自身のアイデアスケッチや図面、素材、モックアップ、作品など、それぞれどのように整理、保管されていらっしゃいますか?
藤江 実は何とかしなければと思って、半年前からアーカイブを整理しているところなのです。少しでもカサを減らしてわかりやすくしないと、次のステップにいけないと思ったので、山のようにあった図面やスケッチをかなり捨てました。
— 今、まさにアーカイブの整理をされていたのですね。どれを残して、どれを捨てるかというのは、ご自身しかできないとみなさんおっしゃいます。
藤江 そうかもしれませんね。図面はかつての手描きのものとフリーハンドのもの、出力した白焼き、最近のデータのものといろいろあります。建築家の方がよくノートにスケッチを描かれますけれど、そういうスケールのものは、私の場合は少ないですね。原寸に近いスケールの図面が結構あって、20分の1やA1サイズくらいのものもたくさんあります。そういう大きな図面は、スキャンをやってくれるところを探すのも費用もかかるので、それが目下の大きな悩みです。
— そういうスケッチは、プロジェクトごとにまとめていらっしゃるのですか?
藤江 スケッチと図面はそれぞれプロジェクト名を書いてファイルにまとめています。仕事を始めた当初の1973年頃のものからあります。かなり捨ててまとめたのですが、それでもスケッチだけで20箱、二千枚ほどあります。整理するまでは、その倍くらいありました。これは「みんなの森 ぎふメディアコスモス」のコンペ時のスケッチです。こういう図面やスケッチも本にまとめられるといいのですが。
— おっしゃるように、最近、本をつくることも重要なアーカイブのひとつになると考えております。
藤江 そうだと思います。完成したものを作品集としてまとめるよりも、こうした思考のプロセスを集めたものの方がおもしろいのではないかと思います。
— デザインを学ぶ学生にとっても、そういうものの方が勉強になると思います。最近では、手で図面を描くこともあまりないでしょうから。こうした手描きの図面を見ていると、ミーティング時の様子が浮かんできますね。あとは現場に行って撮影されたお写真などもありますか?
藤江 写真も膨大にあるので、学生のアルバイトの方に来てもらって整理をしているところです。ポジフィルムもたくさんあります。それもどうやってデータ化するか、その費用も莫大になるので苦慮しているところです。
— そもそもこういうアーカイブの整理を始めようと思われたきっかけは何だったのですか? みなさん日常業務がお忙しいので、そこまで手が回らないとおっしゃる方が多いのですが。
藤江 最近、家具やインテリアの仕事が雑誌などの媒体に掲載されることが少なくなりましたよね。Webでも、私たちから発信しなければ、なかなか伝わっていかない。仕事を発表する場がないんですね。そこで自分から発信していこうと考えて、まずはやってきたことを総覧したいと思って作品集というより、記録集ですが『Fujie Kazuko Works 1997-2015』(2015・藤江和子アトリエ)をつくりました。このアトリエの自費出版なのです。実はそれ以前の仕事をまとめたのが、TOTOギャラリー・間で展覧会を開催したときに出版した本(『藤江和子の形象—風景のまなざし』1997・ギャラリー・間叢書)です。これまでを振り返って、自分も結構、長いこと仕事をしてきているなと思ったのがきっかけになって、アーカイブの整理をしようと考えました。
— そうでしたか。その作品集をつくられたときにかなりアーカイブを整理されたのではないでしょうか?
藤江 もちろん完璧ではないですけれどね。でも、この作品集には2015年までの作品しか掲載されていませんが、この後もプロジェクトは続いていますからね。
整理する時間をつくって、集中して取り組む
— 日常業務もお忙しいと思うのですが、アーカイブの整理は、どのように時間をつくって行っていらっしゃるのですか?
藤江 特にスケッチは自分でないとわからないので、とりあえずは、スタッフと一緒に「今から2時間!」と言って、時々、時間をつくって集中して整理しています。
— こちらにある模型は、多摩美の図書館でしょうか? ここまで細密につくるんですね。
藤江 建築家の方がつくる模型とは違うもので、空間を把握するためと家具に必要な情報を盛り込んでプレゼンテーションのために製作します。台湾大学の図書館の模型は、プレゼンテーション用としてだけでなく、家具の工事予算を獲得するという目的で、寄附者にプレゼンするためにつくったものです。ここにある多摩美の図書館と台湾大学の図書館の模型は、事務所にあるなかでも一番大きなものです。模型のほとんどはプロジェクトが終われば廃棄していますが、この2つは思い入れもありますし、建築と家具デザインの関係を示すのに最もわかりやすい材料ですから捨てないでいます。
— ほかに資料や試作品などを、どこか倉庫などに預けていらっしゃるのですか?
藤江 うちにはそんな経済的な余裕がありませんので、ここにあるものがすべてです。当時うまく実現できなかったものとか、アイデアで止まっている試作品などもあります。それをいつか機が熟して、チャンスが訪れて実現できたらと思っていて、棚の上にホコリをかぶっていますけれど、目につくところに置いています。
— 家具の試作品は、どのようになっていますか?
藤江 この事務所にある、この辺りの家具がすべて試作品です。ほとんどは、部分試作などはやはりプロジェクトが終わったら廃棄してしまいます。すべてとっていたら、物であふれてしまいますからね。家具を数百、数千という、たくさん数をつくらなければいけない場合には、一台試作してから検討を重ねます。これなどは最近、完成したばかりの京都女子大学の図書館のための椅子の最初の試作品で強度チェックをしたものです。紙が貼ってありますけれど、もう少しこの辺をカットしてほしいというような印で、緑色のシールは、少し面を少しとってくださいという指示です。
— こうしたアーカイブをどのように活かしていくかということも、考えなければいけないところですよね。藤江さんの場合は、公共施設に入っているものが多いので、商業建築の家具に比べると息が長いですよね。例えば、商業施設の家具を多く手がけられた倉俣史朗さんの作品は、ほとんど残っていないそうです。
藤江 そういう意味では、少しだけ息が長いかもしれませんけれども、ただプロダクトとしての家具の方がもっと長生きしますよね。使う人も、置かれる場所が変わってもいいわけですから。
— そういうプロダクトとしての家具づくりをこれから重点的にやっていこうという思いはないのですか?
藤江 むしろ、大いにやりたいと思っているのですが、一緒につくってくれるメーカーさんがいないと、私だけ思っていてもしょうがないことですね。デザインは喜んでするのですけれどね
家具デザインを未来につなぐための活動
— 藤江さんが主催されている家具塾は、後進を育てることも目的とされているのですか?
藤江 そういう意味合いもあります。ただ、一番の目的は、建築とデザイナーとつくり手の3つがきちんと三位一体にならないといい仕事ができないので、毎回、その3者が集って家具について考えることを目的にしています。主催は私というよりも、ミネルバの宮本茂紀さんです。今年80歳を迎えられて、彼も今、自分の年表をつくられているそうです。
— 安藤忠雄さんも、最近は建築を設計する人はたくさんいるけれど、つくる人がいないとおっしゃっていました。
藤江 宮本さんもモデラーとして家具をつくる立場の方ですが、とても幅広い知識をおもちの方です。以前、家具展がよく開催されていましたけれど、宮本さんがいらっしゃらなかったら実現しなかったと思います。この家具塾は、これまでご自身が経験されてきたことを多くの人に伝えられたいと、私が台湾大学の図書館の仕事で技術指導をいただいたときに熱く語られて、私自身も家具デザインについて伝えたい気持ちもあり、お手伝いすることで始まったのです。
— 今、建築家と家具デザイナーが一緒にプロジェクトを行うということが少なくなってきていますよね。藤江さんの下というと、藤森泰司さんくらいで、その下の若い世代になると、ほとんどいないのではないでしょうか。
藤江 そうですね。藤森さんはまだ若いですから、私よりもプロジェクトの数はまだ少ないかもしれませんが、彼は建築家との協働と、プロダクトとしての家具デザインと両方にスタンスをもっていますね。
— もっと上の世代では、剣持勇さんや渡辺力さんなどの家具デザイナーが建築家と協働して、そこから名作が生まれたりしていましたよね。
藤江 ただ建築家のなかには、家具に興味をもっている人が結構いるんですよ。家具塾にも、若手の建築家がたくさん参加しています。むしろ建築家の方が多くて、家具デザイナーが少なく、つくり手はもっと少ないというのが現状です。
— 家具デザインの現状の問題と未来を考えるという、素晴らしいご活動をされていますね。
藤江 できることは何だってやります。そんなことしかできませんしね。もうこの家具塾の活動も2013年夏に始動して、2014年春に第1回開催、この秋に15回目を終えました。これも本当はまとめて本を出すなどして、もっと広く発信していければと考えているのですが、なかなか難しいですね。
— 私たちの方でも、何かご協力できることがございましたらと思います。本日はありがとうございました。
左/「みんなの森 ぎふメディアコスモス」のスケッチ
右/「みんなの森 ぎふメディアコスモス」の家具のスケッチ
左/ 図面やスケッチをまとめたファイル
右/ 京都女子大学新図書館(2017年・佐藤総合計画+安田アトリエ 設計)の家具の試作
文責:浦川愛亜