日本のデザインアーカイブ実態調査
DESIGN ARCHIVE
Designers & Creators
柏木 博
デザイン評論家
インタビュー:2024年10月21日13:30〜15:30
取材場所:柏木邸
取材先:柏木美紀子さん、内山まなさん
インタビュアー:関 康子
ライティング:関 康子
PROFILE
プロフィール
柏木 博 かしわぎ ひろし
デザイン評論家
1946年 兵庫県生まれ
1970年 武蔵野美術大学造形学部商業産業デザイン学科卒業
1983年 東京造形大学助教授
1993年 〃 教授
1994年 勝見勝賞受賞
1996年 武蔵野美術大学教授 (~2017)
2021年 逝去
主な役職
文化庁芸術選奨選考委員、武蔵野美術大学名誉教授、英国王立芸術大学(RCA)名誉フェロー、文化庁メディア芸術審査委員など
Description
概要
柏木博がデザイン評論家として活躍した1980年代から以降の30年間は、日本社会が成熟し、デザイン、ライフルタイル、生活文化といった概念が広く浸透した時代だった。衣食住が満たされた人々は、より良い製品を、より格好いいデザインを、より豊かなライフスタイルを求めるようになりデザインは重要な要因となった。柏木はこの時代の転換を、長年取り組んだ街のサーヴェイを通して体感していた。それは人々がもの自体の機能や利便性と同様に、ものが放つイメージ(当時は付加価値という言葉が多用されていた)に注目するようになったということだ。彼は1979年に著した『近代日本の産業デザイン思想』で「ものの形態的差異は、そのままイメージの差異である。このことを前提にして身の回りにあるものを眺めて見れば、どれほど多くのイメージがひしめいているかわかるだろう」と述べている。この一文はイメージが氾濫するデジタル社会をも予見している。
柏木はデザイン評論家として認知されているが、デザインという眼鏡をかけた文明評論家だった。
だから、デザインをあらゆる領域から語ることができ、あらゆる領域のデザインについて考察することができた。SNSやインターネットの普及で、誰もが批評家、評論家になり、あらゆる価値が相対化されてしまった今、かつてのように美術や映画、文芸や建築、そしてデザインの世界でも評論家の存在は希薄になりつつある。そういう意味で、柏木博は文明論的な視点でデザインを語れる最後の評論家だったのかもしれない。だからこそ、柏木が残した多くの著書、デザイン評論は、評論なき時代においてより一層の重みをもつ。その資料の多くが大阪中之島美術館にアーカイブされることは喜ばしいことだ。
今回は柏木博の活動と人物像、アーカイブについて、夫人の柏木美紀子さんと娘のまなさんにインタビューし、アーカイブ創設に尽力したNPO法人デザイン史リサーチセンター東京の代表、井口壽乃さんにテキストをいただいた。
Masterpiece
主な著書(共著)
『近代日本の産業デザイン思想』晶文社(1979)
『おもちゃの神話 近代玩具の諸相』毎日選書、毎日新聞社(1981)
『日用品のデザイン思想』晶文社(1984)
『欲望の図像学』未来社(1986)
『肖像のなかの権力』平凡社 (1987)
『デザイン戦略』講談社現代新書(1987)
『道具とメディアの政治学』未来社(1989)
『デザインの20世紀』NHKブックス(1992)
『家事の政治学』岩波書店(初刊 青土社)(1995)
『現代デザイン事典』平凡社(1996)共編:伊東順二
『ファッションの20世紀―都市・消費・性』NHKブックス (1998)
『日用品の文化誌』岩波書店(1999)
『色彩のヒント』平凡社新書(2000)
『ファッションの20世紀―都市・消費・性』NHKブックス(1998)
『普請の顛末―デザイン史家と建築家の家づくり』岩波書店(2001)共著:中村好文
『20世紀はどのようにデザインされたか』晶文社(2002)
『モダンデザイン批判』岩波書店 (2002)
『「しきり」の文化論』講談社(2004 )
『玩物草子』平凡社コロナ・ブックス(2008)
『デザインの教科書』講談社現代新書(2011)
『日記で読む文豪の部屋』白水社 (2014)
『視覚の生命力―イメージの復権』岩波書店(2017)
主な展覧会(監修)
「前衛芸術の日本展 1910-1970」ポンピドゥーセンター(パリ) 国際交流基金(1986)
「田中一光回顧展」東京都現代美術館(2003)
「ひととロボット 電脳空間の夢想」日本文化会館(パリ)(2003-04)
「Japan Design Today 100」国際交流基金 (2004-2014)
「WA:現代日本のデザインと調和の精神」日本文化会館(パリ) 国際交流基金 (2008)
「ムサビのデザイン コレクションと教育でたどるデザイン史」武蔵野美術大学美術館・図書館(2011)
「ムサビのデザインⅡ デザインアーカイブ50s-70s」 〃 (2012)
「うさぎスマッシュ展」東京都現代美術館 共同キュレーション:長谷川裕子(2013)
グラフィックデザイン「ペルソナ展」DNPアートコミュニケーションズ (2014)
「モダンリビングへの夢―産業工業試験所の活動から」武蔵野美術大学美術館・図書館(2017)
Interview
Part 1
インタビュー
街のサーヴェイという実践から得た知識やデータが
彼のデザイン評論の核心になった。
柏木アーカイブができるまで
ー 本日は、ご家族の視点から柏木博さんのアーカイブ、生前のご様子について伺いたく、宜しくお願い致します。
柏木 こちらこそ、どこまでお話できるかわかりませんが宜しくお願いします。
柏木が亡くなって最初に私が行ったことは、活動目録の制作と膨大な蔵書をどうするかでした。目録は、著書(共著)、雑誌などの原稿、講演活動、展覧会、テレビ出演、コンペの審査委員などいくつか項目を立てて年代順にできる限り書き出し、そのリストに沿ってメモや資料、新聞の切り抜きや写真などをざっくり仕分けしてファイルや箱に納めています。昨年にはデザイン史家の井口壽乃さんのご協力を得て、その一部を大阪中之島美術館(以下NAKKA)に寄贈しました。
美紀子さんがまとめている柏木さんの活動目録
ー NAKKAへの寄贈の経緯をお話いただけますか?
柏木 私は膨大な蔵書をどこかにまとめて寄贈したいと考え、柏木の同僚だった武蔵野美術大学(以下武蔵美)の前田恭二先生を介して大学の図書館に相談しましたところ、あちらにもいろいろな事情があったのでしょう、結局1年半ほど待ったのですが叶いませんでした。それから柏木が懇意にしていた方々を通していくつかの機関に可能性を探ったのですがいずれもだめでした。
そんなとき、井口さんが夫の弔問に来てくださったことがきっかけで協力してくださることになり、NAKKAに連絡してくださいました。館長の菅谷富夫さんが我が家にみえて蔵書や資料を見てくださり、「我々にとっては、蔵書よりも柏木さんが本を書き上げるまでのメモや草稿、資料の方に価値を感じます」ということでした。私はそれを聞いてとても驚きました。なぜなら私は蔵書にこそ価値があって柏木のメモなどは単なる紙切れのようなものだと考えていたからです。私にとってNAKKAがこれらを引き取ってくださるのは本当にありがたかったし、そのうえ何かの役に立つならこれ以上にうれしいことはありません。
ー それから寄贈に向けて整理されたのですね?
柏木 まず、井口さんが柏木の書棚から専門家の視点でNAKKAにふさわしいものをピックアップしてくださり、それをざっくりと仕分けして50箱ほどの段ボール箱に詰めて送りました。井口さんが関わってくださらなかったらNAKKAにつながらなかったし、私には何に価値があって何を優先すべきかといった基準がわからなかったので、サポートいただけて本当に助かりました。最近、NAKKAのウェブサイトの特別コレクションとして柏木のアーカイブ情報がアップされていると聞きました。
中之島美術館ウェブサイトより一部転載
「柏木博 1946-2021」より https://nakka-art.jp/
〇概要
デザイン評論家として活躍した柏木博(1946-2021)の資料群。主な構成物は執筆原稿及び執筆のために作成されたノートやメモカードのほか、手帳、講演、会議、取材等において生成・収集されたデザインに関する資料のスクラップ等文書類、並びにその成果物である著書や掲載書、掲載記事ファイル、記録映像などからなる。
〇編成方法
手帳、ノート、メモカードは冊子体またはファイルに綴じられた形態で、原稿や文書類、掲載記事はファイルケースや封筒への収納、ファイルに綴じるなどの分類がされていた。一部未分類・未ファイリングのものが存在するが、概ね各ファイルなどへの記載により著作原稿、講演、テレビ出演、学校授業、委嘱業務、海外取材等、内容・年代を識別できる。文書類には参考資料のスクラップ、スライド、CD、収集物など複数の種別・媒体資料が含まれる。掲載記事ファイルは年代順にファイリングされ、一部家族による整理もなされており柏木博の2021年没後の掲載記事を含む。オリジナルのファイル単位の秩序を維持したうえで、以下編成とした。
シリーズ1:手帳・ノート・メモカード(Box1-8)
シリーズ2:著作原稿(Box9-12)
シリーズ3:講演、会議、取材等文書類(Box13-33)
シリーズ4:記録映像(Box34-41)
シリーズ5:掲載記事ファイル(Box42-49)
シリーズ6:著書、掲載書 *OPAC登録済
令和5(2023)年度に作家遺族より受贈。
ー NAKKAはもともとアーカイブに力を入れている美術館なので、柏木アーカイブができて本当によかったですね。一方、膨大な蔵書はどうなったのですか?
柏木 私は蔵書の寄贈にはひとつだけこだわりがありました。それは、できれば柏木が本棚に並べている状態のままで扱ってほしいということです。本の並べ方にはその人の脳の中=思考が反映されているので、バラバラになってしまったら蔵書の価値は薄れてしまうと思うのです。ということで、武蔵美の図書館が希少価値の高い本、例えば戦時中に発行されていた『FRONT』などや、昭和初期の商業デザインの本を何十冊か持って行ってくださいました。
ー 『FRONT』と言えば、原弘がアートディレクションした海外向けプロパガンダ誌で、同時期に発行されていた『NIPPON』と並んでまさに幻の雑誌ですね。柏木さんはそうした希少本もコレクションされていたのですか?
柏木 『FRONT』の購入は偶然でした。NHKの番組に出ているときに、あの大山巌(明治・大正期の元勲)の孫という方から連絡をいただいて、現物を見に行ってその場で購入しました。仕事場を見ていただければ一目瞭然ですが、柏木は本が大好きで、神保町の古本屋、大学の研究室にくる書店の営業の人など、いろいろなルートから本を購入していました。
ー 膨大な資料の整理は継続中とのことですが、今後は?
柏木 今も自宅に雑多な状態で資料が残っていて、整理中です。他にスクラップブックやファイルもあります。スクラップブックには雑誌や新聞の切りぬきが脈絡なく貼り付けられていて、中には三波春夫や歯磨きの広告といった切り抜きもあります。私にはまったくわかりませんが、柏木にとっては何か意味のある記事だったのでしょう。
仕事場には未整理の膨大な資料が残されている。
デザイン評論家への道
ー 柏木さんがデザイン評論を目指したきっかけをご存じですか?
柏木 柏木は大学を卒業後、お茶の水美術学院や阿佐ヶ谷美術専門学校で教えたり、雑誌の編集に携わったり、街のサーヴェイなどをしていました。当時は学生運動の影響が色濃い時代で、実際に街に出て行ってサーヴェイすることがはやっていて、現在文学や建築、評論の世界で活躍している方々がグループをつくって活動をしていました。例えば、東京藝術大学、建築グループの松山巌さんは「コンペイトウ」というグループをつくり、三宅理一さんや布野修司さんら東京工業大学の建築グループは「雛芥子(ヒナゲシ)」をつくりました。、藤森照信さんや赤瀬川原平さんの「路上観察学会」は看板建築、赤瀬川さんの「トマソン」はよく知られています。柏木も川村隆一さんらと「測候所」というグループを結成して、横浜や福生、八王子に繰り出しては気になるものを写真で撮りまくっていました。私もこのグループに参加して行動を共にしていました。柏木はサーヴェイの手法をお茶美や阿佐美の授業に応用していて、今でいうワークショップ的な進め方が学生さんたちに人気だったと聞いています。当時の活動やそこで得た知識、人間関係がその後の柏木のデザイン評論の基礎になったのだと思います。
ー サーヴェイには美紀子さんもご一緒されたとのことですが、どんな感じだったのですか?
柏木 私は彼の近くにいてその独特の視点には感心しました。同じものや景色を見ていても、普通の人が思いもよらないことを写真に撮り、考えていました。彼のあくなき知的欲求にはサーヴェイという手法が合っていたし、その実践や経験を通して得た知識やデータはデザイン評論の核心になったと思います。晩年はあまり外に出かけられませんでしたが、やはり少し煮詰まっていた印象は免れません。
ー 20代の柏木さんはサーヴェイという手法で都市や生活、社会現象を調査して、風俗、世相を研究されていた。それは「考現学」とも近いのかなあと思いますが、そうした視点がデザインや道具、都市や情報にシフトした背景についてどう思われますか?
柏木 詳しいことはわかりませんが、柏木が1979年に最初に出したのが『近代日本の産業デザイン史』という本です。これは日本の近代化、明治期から戦後のデザインを産業という括りでまとめたもので、過去にそうした本がなかったので評判になりました。本文に加えて年表や人物のインデックスなどのデータ、文中の図版も全部一人でまとめました。柏木の興味はグッドデザインやデザイナー論だけではなく、もっと広い文化論や記号論、あるいは社会論的な視点だったと思います。
柏木さんがまとめたダイヤグラム。資料としても一級品だ。
ー そうですね。同書のあとがきには「ものはそのイメージによって、われわれの生活像を着実に組織していく」と記されていますね。また、著者の部分には柏木さんが「生活のなかで無意識に使っているものを、もういちどとらえかえすための方法を探っている」と紹介されていて、なるほどなあと思いました
柏木 柏木は「イメージ」という言葉にこだわっていて、物は有用性という切り口だけでなく「イメージ」という視点からも思考されるべきだと語っていました。
ー 柏木さんはデザイン評論家として知られ、『デザイン戦略』『デザインの教科書』などに加え、共著で『現代デザイン事典』のような本をたくさん出版されていますが、井口さんは「柏木さんがデザインを文明論として捉えていることが重要」とおっしゃっていました。また、知の巨人である松岡正剛さんは「千夜千冊」という自身のサイトで「柏木博の本はみんなとりあげないと、そのデザイン思想はわからない。それほど広いし、それほどデザインを一つの大きな脈絡に入れようとはしてこなかったということである。この姿勢はデザイン史を研究している者が選んだ方針として、敬服に値する。ウィリアム・モリスから説いて (中略) 60年代や70年代を一挙に観測するというのがわかりやすい常道なのに、それをあえてしないというのは、柏木博にはデザインの進歩とおもわれている大きな流れに対するラディカルな批判精神があるからなのだ」と記しています。
柏木 生涯に37冊の本を出していますが、それらはデザインを軸としながらもテーマ設定は実に多様です。
ー 本当に、美紀子さんが作成されている目録では、本のテーマは家政学や住まい、建築や都市、グラフィックや道具、イメージや映像、おもちゃや宝塚歌劇まであらゆる分野に及んでいますし、講演会やテレビ番組の対談者はデザイナー以外にも美学、文学、建築、演劇とあらゆる分野の研究者や専門家です。これらの多様なテーマや人に呼応されていた柏木さんの知識や興味の広さと深さを感じます。
柏木博の暮らしと住宅
ー 柏木さんは『近代日本の産業デザイン史』を出版された後、東京造形大学に着任されますね。
柏木 1983年に同大学の助教授、1993年に教授に就任し、1996年に武蔵美から招聘されて教授に就任しました。ここは母校ですし、大学院教授でしたので授業に忙殺されることなく、やりたかった調査研究や執筆活動に時間を割くことができました。大学ではデザイン史を担当していましたが、用事がすむとすぐに帰宅して調べものや執筆をしていました。
ー 柏木さんは『普請の顛末ーデザイン史家と建築家の家づくり』『わたしの家ー痕跡としての住まい』などの本も出版されていて、ご自宅を愛されていたことが伝わってきます。住居や住まい方にもこだわりがおありだったのですか?
柏木 この家に越してきたのは2000年ですが、その前は国立駅の南側、駅から徒歩15分くらいの小さい家で暮らしていました。そこも知り合いの建築家に設計してもらったのですが、蔵書が増えたこともあって駅の反対側に土地を見つけて、住宅の設計は中村好文さんにお願いしました。その際、こちらの希望として1階はパブリックな場、柏木の仕事場と書庫で土足も可、庭を眺められる大きな窓、2階はプライベート使用ということくらいをお伝えして、デザインは中村さんにほとんどお任せでした。柏木の住まいへのこだわりは半端ではなかったし、この家をつくってお気に入りの居場所を確保できて、ゆっくり本を読んだり、資料を整えたり、執筆したりする時間は至福だったのだと思います。
柏木さんの仕事場と膨大な蔵書、資料など。写真:赤羽佑樹
ー 普段の柏木さんはどんな方で、どんな暮らしをなさっていたのですか?
柏木 優しくて生真面目でとても勉強好きでした。普段は夕飯がすむと書斎に入って調べものや原稿を書いていました。調べ事はインターネットではなくて本などの印刷物が中心でした。家でボーっとテレビを見ているとか、ソファに寝っ転がっている姿とかを見たことがありませんね。
家族の時間と仕事の切り替えも早く、ついさっきまで子どもたちと遊んでいても書斎に入るとすぐに原稿を書き始めている‥‥‥ような。けじめがはっきりつけられる人でした。海外も含めて出張が多くて家にいないことも多かったけれど、普段は友だちと飲み歩くこともほとんどなく、研究会や会合で仲間と月一度集まっていたくらいですね。多忙な時期は国立駅前や渋谷、新宿の決まった喫茶店を事務所代わりに使って、打ち合わせやインタビューを何本かまとめてこなしていました。
柳宗理さんの事務所での会合で、柏木さん(右端)、柳宗理さん(その隣)
ー 私も柏木さんとの打ち合わせで2度ほど新宿の喫茶店に行きました。仕事一途の柏木さんですが、ご趣味とか?
内山 私から見ますと、小説家の幸田文さん風の慎ましく生きる、生活するみたいな価値観が好きだったのかなと思います。それにかわいいものが好きで、散歩で小石や松ぼっくりを拾ってきては書棚やデスクに飾っていました。ピンバッチを集めていた時期もありますし、仕事柄なのかルーペなども収集していましたね。
柏木 仕事場に今もありますがブルースギターが趣味で、年齢を重ねてからは金継ぎも始めて友人と教室に通っていましたね。
内山 金継ぎは材料費が高価で、壊れた器よりも高くついてしまうことがあったり‥‥‥。
柏木のコレクションがさりげなく飾られている。
柏木 そういえば、柏木は年賀状を自分でデザインしていました。
ー この版下は柏木さんの自作ですか?
柏木 そうです。柏木は雑誌編集の仕事をしていたこともあって版下や指示書づくりが得意でした。当時のエディトリアルデザインはトレペとピンセットの時代、活字を切って字詰めして文字間などを調整するのが当たり前でした。なので年賀状も自分でデザインして、版下をつくって印刷会社に発注するのだけれど、最近の担当者はデジタル時代の人だから昔の版下入稿を知らなくて、かえって手間を取らせていたみたいです。
内山 私が仕事を始めたときにはパソコンが当たり前だったから、お父さんがこんなことをしていたなんて、初めて知りました。家にPCがあるのに何でわざわざこんな手間のかかることをしていたのかしら?
柏木 昔ながらのやり方で年賀状をつくることを懐かしんでいたのかもしれませんね。PCが普及する前は、柏木は伊東屋のちょっといい原稿用紙を使っていて、原稿が仕上がると私がコピー屋で複写して書留郵便で出版社に送っていました。それからワープロ、パソコンに代わってメールで原稿を送れるようになりました。私が送っていたころは記録をつけていたのだけど、メールになってからは私を経由しなくなったので何もわからなくなって、今、目録をつくるときに苦労しています。
伊東屋の原稿用紙に下書きしてから指示書をまとめていた。
ー 指示書には書体や級数、色指定まできちんと書き込まれていますね。何でもご自身でされたのですか?
柏木 そうですね。授業や講演会で使うパワーポイントも全部自作でした。編集の仕事をしていたことがあるから、レイアウトにもこだわっていてモダンにすてきに仕上げていました。
ー 年賀状の指示書の話で盛り上がりましたね(笑)。ちょっとレトロですけど、手づくり感満載の年賀状をもらった方はさぞかし嬉しかったことでしょう。
文明的な視点でデザインを語る
ー 晩年は『探偵小説の室内』『日記で読む文豪の部屋』など、文学と空間をつなぐ独特なアプローチからの執筆もありました。
柏木 60歳を超えた頃から、文学が住宅をどのように表現しているのか、文学者がどんな家に住んでいたのか、あるいは文章からインテリアを想像する、そんな視点で原稿をまとめるようになりました。「グッドデザインとは?」といったテーマはもとより、普通の人が生活にどのようにデザインをとり込んでいったかということに興味があったのでしょう。
ー 家政学や暮らし、住宅をテーマとした著書も多いですね。
柏木 何かひとつのテーマを追求するというよりも、興味がいろいろ移って勉強して本にまとめる。また何かのきっかけで新しいテーマに出合って勉強するということの繰り返し、同じ場所に留まることはありませんでした。新宿のリビングデザインセンターとは一時期交流があって、「しきり」というテーマはそこから始まりました。
ー 柏木さんのデザイン評論には「ヒューマニズム」を感じます。最近、デザインは経済活動や科学技術の一端にとり込まれて語られることが多いですが、柏木さんは人間中心のデザインという視座からぶれることがなかったのだと思います。
柏木 その意味からも、柏木の資料の整理を継続し、蔵書もより良いかたちで残せればうれしいです。
ー 柏木さんの膨大な資料の整理が大変かと思いますが、NAKKAにアーカイブはできたことがとてもラッキーなことだと思います。今日はありがとうございました。
最後にデザイン評論家をとして一時代を築いた柏木博が、デザインミュージアム、デザインアーカイブについてどのように考えていたのか、いくつか文章を紹介したい。
〇柏木さんは、大学ミュージアムは「啓蒙的な役割も担う必要がある」とも述べている。優れたコレクションは、教育はもちろん、学外の研究者も巻き込んだ共同研究を促し、その成果は展覧会として公開し周知させることができるからだ。しかも、市民に広く公開していくことでもある。限られた時代や分野であっても、「人類の記憶を集めていく『記憶の塔』としての美術館」である。(「柏木博さんと美術館・図書館」今井良朗 美史研ジャーナル18、2022)
〇近代の博物館(美術館)は、歴史的には博物学や啓蒙主義によって始まった。つまりは教育的装置としてである。してみれば、デザイン・ミュージアムもまた、デザインをどのように教育していくかということと深く関わっており、そうした視点からも、展示や解説が考慮される必要があろう。中略 もののデザインは、わたしたちの生活や生活様式、また、さまざまな生活行為に深く関わっている。したがって、そこから社会や時代の文化を理解することができる。デザイン・ミュージアムのコレクションの展示や解説には、デザインに関わるそうした情報を簡潔に入れることが望ましいだろう。(『デザインの教科書』柏木博著、講談社現代新書)
〇日本にはデザインの充実した歴史的コレクションを持って、デザイン・ミュージアムを名乗る公的博物館が存在しない。産業先進国としては、めずらしい状況であるし、寂しいことでもある。中略 今日のデザイン・ミュージアムももちろん、デザインの歴史的作品とともに、同時代の作品をそれらにふさわしい形で展示している。その収集と展示の方法が各ミュージアムの特性にもなっている。近代の博物館(美術館)は、歴史的には博物学や啓蒙主義によっており、つまりは教育的装置としてある。してみれば、デザイン・ミュージアムもまた、デザインをどのように教育していくかということと深くかかわっており、その視点は展示へと反映されることになる。(ウェブサイトArtScape 「デザインの現在形」から)
〇世界で最初のデザインミュージアムは、1899年に設立された、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館だと言われています。当初はデザインする人や学生、産業のため、と利用者を想定していましたが、今は市民にデザインの重要性を啓蒙するための機関です。デザインを読むためには知識が必要ですが、日本にデザインミュージアムがないのは、デザイン教育がされてこなかったことと連動しています。美術教育はありますが、デザインは相当遅れていると思います。(ウェブサイトArtScape 「デザインの現在形」から)
Part 2
大阪中之島美術館(以下NAKKA)の「柏木博アーカイブ」に尽力されたNPOデザイン史リサーチセンター東京理事長の井口壽乃さんに、デザイン史家の視点から柏木アーカイブ創設までの経緯とデザインアーカイブについて、PLATからの質問に回答いただくかたちで文章をまとめていただいた。
柏木博アーカイヴについて
文:井口壽乃
柏木さんのアーカイブを整理するきっかけは?
柏木博先生が2021年12月13日にご逝去された後、しばらくはその知らせを受け止めることができないままでした。数年前の大病から回復され、すっかりお元気になられていたこともあり、また同年11月のDNP文化振興財団の会議がリモートで開催されたときには、委員長として会議に参加されていました。訃報を聞いたときは、私自身、かなり動揺していたと思います。少し経ってから、夫人の美紀子さまへお悔やみのお手紙をお送りし、生前お世話になった友人と一緒にご自宅へ伺ったことが、アーカイブをつくる発想のきっかけです。
書斎と書棚に残る数々の貴重本と資料がありました。美紀子さまは、柏木先生の勤務先だった武蔵野美術大学(以下武蔵美)の図書館にご寄贈を希望されていましたが、同大学側は、退職教員の蔵書の寄贈は受けないという決まりがあるそうで、その貴重本の行く先を探していらっしゃたのです。
中之島美術館への寄贈の経緯、寄贈内容
柏木先生の書斎には先生の多岐にわたるお仕事を映し出すように木工、工芸、広告、住宅、建築といったデザイン学研究の領域の書物から、芸術理論、美術評論、家政学関連の資料や児童文学、そしてヴァルター・ベンヤミンやテオドール・W・アドルノ、ジャン・ボードリヤールなどの思想書に至るまで蔵書が残され、その学問領域は広範にわたっていました。さらに、近代芸術・デザイン研究には欠かせない『帝国工藝』、『工藝ニュース』、『商業美術全集』、『廣告界』、そして『写真週報』、『岩波写真』の復刻版ではないオリジナル資料などもありました。そしてロシア構成主義の建築家ヤコフ・チェルニホフによる『幻想建築101』(1933年)、イギリスの19世紀の風刺漫画雑誌『Punch』といった価値ある資料が置かれていました。
書斎を拝見した際、これらの貴重図書と柏木先生が執筆のために収集した関連する資料が散逸することなく、一箇所に保管され後世の研究者にも活用できるための居場所が必要だと直感しました。柏木先生は日本のデザイン活動にさまざまな角度から関わってこられたので、その資料が日本のデザイン史をかたちづくる資料でもあると考えました。書籍は図書館で閲覧でき、古書店で入手することも可能かもしれません。しかし、柏木先生が携わった国内外の事業(展覧会やプロジェクトなど)の記録は他にはなく、資料の分析を通じて日本のデザイン史を掘り起こすことができるからです。資料は決して廃棄されてはいけない。まとまったかたちで、どこか「柏木博アーカイブ」がつくれる美術館や図書館はないものか。私は、まず東京国立近代美術館の大谷省吾副館長に相談し、NAKKAの菅谷富夫館長のご尽力により、何とか同美術館内に「柏木博アーカイブ」をつくることが決まりました。
書棚の一部。貴重な本が蔵書されている。
コレクションとアーカイブの違い
アーカイブはコレクションとは異なります。コレクションは収集する側の意図で内容が選別されます。一方アーカイブは、すべてが含まれます。作家であれば完成された作品とは別に、作品に関連するエスキースやスケッチ、また発想の源となるような写真や雑誌など、メモや手帳、書簡、そして展覧会の歴史や記録、契約書の類に至るまで、あらゆるものが保存されるべき対象となります。柏木先生の場合は、デザイナーではありませんので作品はありませんが、著作の他に国や地方公共団体そして美術館の協議会委員、国際交流基金と国外での国際展の企画、またNHKの教育番組などメディアでのお仕事もあり、それらに関係するものはすべて保存の対象です。
NAKKAでは先生が直接関わった仕事に関係する資料だけを受け入れるということで、書棚の資料を分類する作業は、美紀子さまと娘のまなさま、そして私の3人で行いました。幸い、美紀子さまは、柏木先生のお仕事をほぼすべてを把握し、整理されファイルに収められていましたので、分類作業はかなりスムースに行われました。2023年の年末、段ボール箱およそ50箱がNAKKAへ運ばれました。2024年秋、NAKKAでは整理が終了し、資料のリストがウェブサイトで公開されています。美術館に申し込めば、現物が閲覧可能となっています。
デザイン評論家、デザイン史家としての柏木さんの位置づけ
柏木先生は、デザイン史という研究がまだ新しい研究領域であった頃からデザイン評論家という肩書きでお仕事をされていました。1979年に最初の単著『近代日本の産業デザイン思想』を上梓されて以来、単著37冊、共著28冊、雑誌などに寄稿された論文や記事は79篇、その他毎年刊行されている『現代デザイン事典』や『現代社会学事典』などの事典と、実に多くのお仕事を残されています。さらに監修・企画・コーディネータを手がけた展覧会は31、NHKをはじめとするテレビ番組への出演と講演会やシンポジウムへの登壇は数えられないほどあります。先生は「デザイン」という人の生活に関わる行為を研究対象とする学問領域を切り拓いたパイオニアです。
生前の柏木さんと井口さんとの関係性
私が大学院生の頃、東京大学の情報学環(旧新聞研究所)に戦時下のプロパガンダポスターが数多く保存されていたことをきっかけに、吉見俊哉先生と柏木博先生、そして筑波大学の嶋田厚先生が中心となり日本のデザイン史の研究会が発足しました。そのとき、第一回の研究会で、嶋田先生がほんの話題提供ということで、ハンガリー留学から帰国したばかりの私に話をする機会を与えて下さいました。確かそのとき、嶋田先生から柏木先生をご紹介いただいたと記憶しています。
その後、私は北九州市にある大学に就職し、2002年に若手のデザイン史研究者たちで「デザイン史学研究会」という組織を発足しました。柏木先生の一番弟子に当たるサラ・ティーズリーさんという大変優秀なカナダ人留学生も、設立頭初からメンバーとして参加いただき、その後、サラさんは東京大学で博士号を取得されました。つまり、東京大学情報学環で始まった日本のデザイン史研究を、私たちが引き継いだというかたちになります。
その後、私自身は柏木先生の推薦で武蔵美の非常勤、さらにはDNP文化振興財団のお仕事にも関わらせていただき、柏木先生には個人的に大変お世話になりました。ですから恩返しをしたい、先生のために何かできないか、と思っておりました。
私自身は歴史家であって評論家ではありませんが、デザイン研究家として、「柏木博」がひとつの目標とするところでもあります。というのは、柏木先生のお仕事には多くの学ぶべき点があるからです。先生の著書を読むと、近代、メディア、技術、権力、経済、消費、ジェンダー、そして戦争に至るまで人文社会学が扱う多くの課題が見えてきます。それらの課題を探求する視点には、「デザインとは何か」と言う本質的な問いがあるのだと思います。
柏木アーカイブを通して感じた日本のデザインアーカイブ
私も含めて、デザイン史の研究者は国内外のアーカイブで調査をすることが多いです。アーカイブの多くは、美術館や芸術系大学の図書館内のスペシャル・コレクションの中に置かれていて、事前にウェブサイトで公開されている資料リストから研究に必要なものをチェックし、予約の上訪問します。
代表的なアーカイブでは、米国ワシントンDCのスミソニアン研究所、LAのポール・ゲッティ研究所、英国のブライトン大学のデザイン図書館などがあります。特定のテーマやデザイナーに関しては、バウハウス関係の資料はベルリンのバウハウス資料館、ニュー・バウハウスに関してはシカゴのイリノイ工科大学図書館というように、多くの大学や研究所の図書館の中にアーカイブとして整理・保管されています。
日本ではアーカイブに関しては世界的に遅れていますが、アートアーカイブに関しては、慶応義塾大学のアートセンターの取り組みが早い方でしょう。2018年には多摩美術大学にアートアーカイヴセンターが開設され、シンポジウムや冊子の編集など、学外へも情報発信をする取り組みがされており、一部デザイン領域も含まれています。
一方、デザインに関しては、多くは個人で活動しているデザイナーは個人所有で、あるいはデザイン事務所があれば事務所で管理している場合が多い。企業が所有する資料類は企業機密として公開しないばかりか、古いものは大抵の場合は廃棄されてしまいます。デザイナーと関係の強いところでは、作品と合わせて資料類を社内に保存・管理されていますが、数は少ないです。その意味では、DNP文化振興財団の「田中一光アーカイブ」は、NAKKAの「柏木博アーカイブ」は優れた成功例かと思います。
現状から申しますと、新潟県立美術館所蔵の亀倉雄策の資料は、専門のアーカイビストがいないなかで担当学芸員の方が地道に整理されていますが、未だ整理が終わっていません。今後はこうしたところに、公的な予算をつけるなどして整備を進めることが必要でしょう。
おそらく、個人事業主の多くのデザイナーたちはアーカイブとして残したい資料があっても、どれを残しどれを廃棄するのか、どう整理していいのか、わからないままでいることもあるでしょう。いずれどこかに寄贈したいと考えていても、ご本人が亡くなった後、ご遺族がどうして良いのかわからないまま、保管場所がないため最終的に廃棄してしまうという事態になります。歴史的に貴重な資料が廃棄されれば歴史にも残らない。だからこそ、寄贈を受けることのできるアーカイブセンター、あるいはアーカイブ機能を有したデザインミュージアムの設立が望まれるのです。
NPO法人「建築思考プラットフォーム」は、この問題にも取り組むことのできる組織かと思っております。どこに、どれだけの資料があるのか、国内のデザインに関する資料のありかを調査し、それぞれをネットワークでつないでゆく。私たちのNPO法人「デザイン史リサーチセンター東京」は、そのネットワークの網の目に、研究上の経験と知見を提供できる組織でありたいと考えております。
柏木博さんアーカイブの所在
大阪中之島美術館 https://nakka-art.jp/