日本のデザインアーカイブ実態調査

DESIGN ARCHIVE

Designers & Creators

川上玲子

テキスタイルデザイナー、インテリアデザイナー

 

インタビュー:2024年11月28日 13:30〜16:00
場所:SWEDEN GRACE STORE
取材先:川上玲子さん
インタビュアー:浦川愛亜
ライティング:浦川愛亜

PROFILE

プロフィール

川上玲子 かわかみ れいこ

テキスタイルデザイナー、インテリアデザイナー

1938年 福岡県生まれ
1957年 女子美術短期大学生活デザイン学科入学
1958年 桑沢デザイン研究所リビングデザイン科入学
1959年 女子美術短期大学生活デザイン学科卒業、
    通商産業省(現・経済産業省)の産業工芸試験所に研究生として入所、
    退所後、前川國男建築設計事務所に入所
1960年 桑沢デザイン研究所リビングデザイン科卒業
1963年 前川國男建築設計事務所退所、スウェーデン国立美術工芸デザイン大学留学
1966年 帰国
1967年 川上信二・玲子デザイン研究室設立
1990年 スカンディックハウス設立
1991年 有限会社フォルムSKR設立
1994年 JID賞インテリアスペース部門賞受賞
2002〜2006年 公益社団法人日本インテリアデザイナー協会理事長(現在、永年会員)
2017〜2025年 北欧建築・デザイン協会会長 (現在、理事)

 

川上玲子

Description

概要

評論家の柏木博は、「戦後日本のインテリア・デザインのひとつの結節点となったのは、1960年のように思える」と、『インテリアデザインの半世紀』(六耀社、2014)で述べている。1960年に完成したシャルロット・ペリアンと坂倉準三が設計・監修した「エールフランス東京事務所」が大きな注目を集め、インテリアデザインが発展する契機になったのではないかと指摘する。それまで日本の建築空間の家具を主に設計していたのは、産業工芸試験所と百貨店内の設計部だった。1940年を過ぎた頃、日本を代表する三大建築事務所内に家具デザイン部門が開設され、前川國男の事務所に水之江忠臣、吉村順三の事務所に松村勝男、坂倉準三の事務所に長大作という新進気鋭の家具デザイナーが在籍し、活躍。それ以降、清家清と渡辺力、増沢洵と松村勝男、丹下健三と剣持勇など、建築家とインテリアプロダクト(家具)デザイナーの協働が増え、1958年に剣持勇や渡辺力らによって日本室内設計家協会(現・日本インテリアデザイナー協会)が設立された。
そんな日本のインテリアデザインの草創期、60年代初頭に川上玲子は建築空間のための家具のテキスタイルに携わり、海外でテキスタイルを学んだ先駆けのデザイナーである。川上がテキスタイルの世界に進む後押しをしたのは、前川國男だった。インテリアの生地を手がけるデザイナーの活躍を前川は予見し、「これからの時代はテキスタイル・デザインがもっと重要になるので、北欧に留学するのなら、テキスタイルを勉強してはどうか」(『北欧インテリア・デザイン (太陽レクチャー・ブック ; 3)』平凡社、2004)と助言。海外渡航がまだ自由化されていなかった60年代前半に川上はスウェーデンに渡り、生活に密着したテキスタイルデザインを体感し学んだ。帰国後、さまざまな建築やインテリアのプロジェクトに携わり、テキスタイルアートの世界にも進出して創作活動の幅を広げた。
女性として初めて、公益社団法人日本インテリアデザイナー協会理事長に就任し、日本のインテリアデザイン界のボトムアップに尽力。また、北欧建築・デザイン協会会長として、講演やセミナーなどを通じて北欧デザインを日本に普及する活動にも携わる。1990年にスカンディックハウスを設立してスウェーデンの良質な家具を厳選して輸入販売を行い、現在は東京・谷中のSWEDEN GRACE STOREでスウェーデンのキッチンやインテリア小物を販売。自身のブランドReikoKawakamiでは、オリジナルのテキスタイルデザインを開発し、公共、商業、住宅など、多様な空間に対応するカーペットシリーズ「1&2」や、日本の畳に使われるい草を用いたカーペットなどのデザインを手がけた。
『インテリアデザインの半世紀』にて、川上はこう述べている。「北欧の家具は、(中略)デザインのためのデザインではない、毎日使う人のためのデザインという考えが根本にあります」。川上がスウェーデンで学び、日本に伝えてきたのは、表層的な色や形ではなく、デザインに対する向き合い方そのものである。
日本の建築・インテリア界におけるテキスタイルデザイナーの活躍の場は依然として少ない状況にあるが、若い世代は確実に育ってきている。川上の切り開いてきた道は、後進の一つの指針になるに違いない。そんな川上の資料は、2023年の暮れに一旦整理をしたところだという。東京・千駄木にあるSWEDEN GRACE STOREに伺い、これまでの軌跡とともに、その資料について話を伺った。

Masterpiece

代表作

インテリアテキスタイル

スイートルームのタペストリー(京王プラザホテル、1971)、テキスタイルデザイン(IBM大和研究所、1985)、インテリア&テキスタイルデザイン(岡山県庁増築、VIPルーム、1991)、テキスタイルアート&インテリアデザイン「ステンレスファンタジー」(横浜市中央図書館、1994)、インテリア&テキスタイルデザイン(盛岡グランドホテル)、テキスタイルデザイン(新横浜ウエディングパレス)、スウェーデン輸入住宅のモデルハウスデザイン、ほか。

 

 

オリジナルブランド

ReikoKawakami(2003頃〜)

 

 

書籍

『北欧インテリア・デザイン』共著、平凡社 (2004)

 

川上玲子 作品

Interview

インタビュー

 

あらためて考えてみると、
デザインアーカイブを扱うミュージアムは
あるようでないというのは不思議なことですね

戦後に台頭した北欧デザインに魅せられて

 今日伺った「SWEDEN GRACE STORE」は、娘さん(女優の川上麻衣子さん)と運営されていらっしゃるとのことですが、いつオープンされたのですか。

 

川上 2016年にオープンしました。娘がオーナーで、私も時々、店頭に立っています。このお店では、自分たちが自信をもってお客様にご紹介できるものをと思い、私たちが暮らしていたスウェーデンのものを中心に、生活に根ざした良質なものを厳選して販売しています。テーブルウェアやインテリアの小物類のほかに、娘がデザインしたガラス作品や猫のグッズなども扱っています。2階では時々、講習会やワークショップを開催しています。私は以前、長野の絹織物の信州紬のデザイン指導をしていたことがあるのですが、そのご縁から先日は信州紬を制作するグループの和服の展示を開催しました。

 

 

川上玲子 資料

東京・千駄木にある「SWEDEN GRACE STORE」の店内。

 

 

 川上さんが最初にデザインに興味をもたれたきっかけからお伺いしたいのですが、お父様が建設会社に勤務されていたことから影響を受けられたのでしょうか。

 

川上 父は技術者ではなく、営業職でした。もしかしたら私は、美術が好きだった父の弟の血筋を受け継いだのかもしれません。当時、戦後はまだインテリアデザインという言葉も職種もなく、デザイナーというと、アパレルの仕事と思われていました。そういう時代に、うちの家には父が取り寄せた室内設計の雑誌がたくさんあって、私は子どもの頃からよくそれを見ていました。小学6年生くらいからそこに掲載されている図面を真似して、自分の家の間取りを描いたりしていました。その後、中学1年生のときに描いた図面をもとに、父が私の部屋を改装してくれたことがありました。図面といっても、新たに窓を付けるなど、簡単なものでしたけれど。そういうことがきっかけで、インテリアへの興味が高まっていきました。

 

 高校卒業後、1957年に女子美術短期大学に入学されて、桑沢デザイン研究所でも学ばれたのですね。

 

川上 女子美に入学した翌年、1958年に桑沢デザイン研究所の新校舎が渋谷に完成しました。私は創立者の桑澤洋子さんの教育やデザインに対する考え方に賛同したことと、今で言うインテリアデザインを教えるリビングデザイン科があったことから、日中は女子美で学び、桑沢の夜間コースに通い始めました。私は桑沢の渋谷校の一期生で、当時の講師陣には通商産業省(現・経済産業省)の産業振興・研究機関として設立された産業工芸試験所の方や著名なアーティストがいたり、学生にはすでに仕事をしている人がたくさんいて刺激を受けました。

 

 その後、産業工芸試験所の研究生として従事されましたが、そのきっかけは何だったのですか。

 

川上 50年代後半から北欧デザインが台頭して世界的に注目されるようになり、私は北欧に留学したいと思うようになりました。当時、私はインテリア全般というよりも家具デザインに興味があって、北欧の中でも優れた家具デザインが多く集まるデンマークで学びたいと考えていました。自分がデザインした家具を、1955年に開設された松屋銀座のグッドデザイン展に出品したこともありました。けれども、留学する前に2、3年くらい仕事の経験を積んだほうがいいと周りの人から言われ、大学卒業後に産業工芸試験所に研究生として入所しました。そこでは当時、世界中のモダンデザインの製品を収集し研究していて、私も椅子を分解して原寸図面を描く仕事をしていました。
私の夫で家具デザイナーの川上信二は、私よりも8歳年上なのですが、やはり大学を卒業後に産業工芸試験所に入所しました。お送りいただいたPLATの報告書の中のインダストリアルデザイナーの豊口克平さんのページに掲載されている、「雪型による椅子の支持面の実験」の写真に写っている男性が夫です。産業工芸試験所に入ってまだ新人だった頃、豊口さんとこうした椅子の研究をしていました。夫は今年で95歳になりますけれど、おかげさまで元気にしています。このお店にも飾っているのですけれど、先日、その夫がデザインした照明器具を欲しいという方がいたので、制作していました。紙やプラスチックなどを使ったユニットを組み合わせたもので、1968年の第一回ヤマギワの東京国際照明デザインコンペティションで金賞を受賞しました。最近、ある照明器具メーカーさんで量産化されたので、これから市場に出ると思います。

 

 

前川國男の事務所でテキスタイルに携わる

 

 川上さんは産業工芸試験所を経て、前川國男さんの事務所にどのような縁で入所されたのですか。

 

川上 その前に別の設計事務所に入所したのですが、自分のやりたいことと方向性が違う気がして半年ほどで退所しました。しばらくゆっくりしようかなと思っていたのですが、父の勤める建設会社が前川國男建築設計事務所とよく仕事をしていて、おそらく父が事務所のどなたかに「うちの娘がデザイナーになりたいと考えている」と話をしたのだと思います。父は当時としては珍しかったと思うのですが、これからは女性も男性と同じように職をもったほうがいいと考えていて、それで前川事務所に話をしてくれたようなのです。その頃、前川事務所に家具デザイン部門が開設されて家具デザイナーの水之江忠臣さんが一人で担当していたので、そのアシスタントでよければ、というお話をいただきました。水之江さんも産業工芸試験所の研究生だったこともあり、夫とも面識がありました。

 

 水之江さんのアシスタントとして、川上さんはどのような仕事をされたのですか。

 

川上 前川事務所の3階が建築設計部門で、2階に図書コーナーが併設した家具デザイン部門の部屋があって、そこには水之江さんと私2人だけでした。私が最初に携わったのは、上野の東京文化会館でした。前川先生から、そこのホールの家具の椅子の張り地については、私がメーカーと打ち合わせて提案するようにと言われました。「どうしてですか」と聞いたら、色を使うこともあり、女性のセンスのようなものがあったほうがいいので、経験がなくてもやってみるようにと言われました。私はテキスタイルについては経験がありませんでしたが、色彩についてはとても興味があったのでやってみることにしました。一番難しかったのは、前川先生の表現の仕方です。

 

 『前川國男・弟子たちは語る』(建築資料研究社、2006)にも書かれていましたね。上野の東京文化会館の椅子の張り地の色のイメージを、前川さんは「女の人が寒空に立っていたため、唇が少し紫色になった時のワインカラー」と言われたと。

 

川上 前川先生はほかのスタッフにもそういう詩的な表現をされました。色見本にもない色彩なので、私はメーカーの担当の方にそのまま伝えたのですが、それではだめだなと思いました。
家具デザイン部門に併設されていた図書コーナーに海外の本や雑誌がたくさんあったので、私は時間があるときに勉強のために読むようになりました。その中で一番感動したのが、ハーマンミラーのテキスタイル部門責任者でデザイナーのアレキサンダー・ジラードのテキスタイルです。自分も専門的な知識や技術を身に付けて、こういうテキスタイルをデザイナーとしてつくれるようになれば、メーカーの方にサンプルをつくって見せながら自信をもって説明することができるのではないかと思いました。私はそれまで家具のデザインを学ぶために北欧に留学したいと考えていましたが、インテリアのなかでテキスタイルを学ぶことも必要だと感じて考えが変わり、先生も私にテキスタイルの道を勧めてくださいました。

 

 前川さんは、モダニズムの騎手として戦後の日本の建築界を牽引した一人であり、フランスの近代建築の巨匠ル・コルビジュエの事務所に入所して、日本人で初めてコルビジュエの弟子になった方でもありました。川上さんから見て、前川さんはどのような方でしたか。

 

川上 『前川國男・弟子たちは語る』には、私も含めて前川先生の事務所で働いていた方々の寄稿文が掲載されているのですが、男性にはとても厳しかったようです。設計部門の人たちが図面を描いているところに、前川先生が来られて後ろから眺めたり、横に立たれると、みなさん緊張されたようです。前川先生はフランスでの生活を経験されたからか、私も含めて女性スタッフに対してはレディファーストで優しい方でした。前川事務所では、私以外の女性は先生の秘書と設計部と事務に一人というくらいで、少なかったですね。前川先生はお客様と図書コーナーで打ち合わせをされたので、海外から来られた著名な建築家の方々と、私もお話しする機会をいただいたことがあります。

 

 水之江さんについては、いかがですか。著書も出されていなくて、その人物像について語られている記事が少ない印象です。

 

川上 水之江さんをよく知っている方から、私がアシスタントになっても長続きしないだろうと言われました。水之江さんは、仕事に関してはとても細かい方ですけれど、怒ったり、イライラしたりするところは一度も見たことがなく、とてもやさしくて穏やかな方でした。前川先生の部屋は、家具デザイン部門の一番奥にあったので、朝と帰りに先生が私たちのところを通るのですが、先生の姿が見えると、水之江さんは体を震わせていました。前川先生に話す声も小さくうわずって、私はいつも見かねて前川先生と水之江さんのあいだに入って通訳のようなことをしていました。水之江さんに「こういうふうに考えていらっしゃるんですよね」と念を押しながら、前川先生に説明したりしていました。今から思えば、私も若かったので怖いもの知らずのところがあったと思います。
水之江さんは、スウェーデンのデザイナーのブルーノ・マットソンと雰囲気が似ていました。マットソンは、スウェーデン政府からプロフェッサーの称号を授与された方です。性格的なこともそうですけれど、水之江さんの製図台には、前川先生が設計した神奈川県立図書館のための椅子の図面がいつも置いてあって、毎日ちょっとずつ調整して100回くらい修正を加えたという有名なエピソードがあります。この椅子は「S-0507」という製品名で現在、天童木工で販売されて、今もロングセラーの名作です。マットソンも同じように、一脚に対して細かい修正を何度も加えていた印象があって、そうした丁寧な仕事によって、すばらしい家具を数々生み出しました。スウェーデンの家具の中で私が最も好きなのが、マットソンのデザインした椅子です。彼の代表作「EVA」は、成形合板の技術を応用した優美な曲線と、背もたれと座面は麻のベルトで編まれているので、ほどよい弾力性があって座り心地を高めています。

 

 

スウェーデン国立美術工芸デザイン大学で学ぶ

 

 その後、川上さんはスウェーデンに留学されますが、当時、海外留学は珍しい時代ではなかったでしょうか。

 

川上 私がスウェーデンに留学したのは、1963年です。日本では観光目的の海外旅行が自由化されたのは1964年で、それまでは仕事や留学に限って渡航が認められていました。グラフィックデザイナーの河野鷹思さんのご長女、イラストレーターでデザイナーの葵・フーバー・河野さんは、1960年にスウェーデン王立美術大学に留学されました。家具デザイナーの三井緑さんは1964年からデンマーク王立アカデミーの家具科に留学され、照明デザイナーの石井幹子さんは1965年からフィンランドの照明メーカーで働かれていました。当時、日本のデザイナーはアメリカに行く人が多く、北欧を選ぶ人はまだ少ない時代でした。また、その頃、デザイナーの大野美代子さんは、1966年から日本貿易振興機構海外デザイン留学生として、スイスのオットー・グラウス建築設計事務所に研修に行かれました。

 

 川上さんはどのような経緯で留学できたのですか。

 

川上 最初はデンマークに行きたいと考えていたので、デンマークのデザイナー、モーエンス・コッホさんの家具の張り地を手がけていたデザイナーのリス・アールマンさんに手紙を書きました。「今、私は建築事務所にいて、そこでテキスタイルデザインの必要性を感じているので、勉強に行きたいと考えています。でも、私はまだ何もできないので、まず織物を織るところから教えていただきたいと思っています」と。彼女はそのとき80代だったこともあり、自分が教えるよりも留学したほうがいいと勧められ、スウェーデン国立美術工芸デザイン大学を教えてくださいました。
また、私が前川先生の事務所に入所したときに、偶然にも前川先生がスウェーデンの建築家ニルス・アーボムさんと日本のスウェーデン大使館(現在の前の建物)と公邸を共同設計で完成したところでした。その家具を建築家で家具デザイナーのカールアクセル・アッキングさんが担当して、スウェーデン大使館のための有名な家具「Tokyo Chair」をデザインしました。そのアッキングさんの家具のテキスタイルを、アストリット・サンペさんが手がけました。サンペさんはテキスタイルデザイナーで、北欧最大のデパート、ノルディスカ・コンパニエットのテキスタイル部門の責任者を務め、数多くの建築家や芸術家と製品化を実現し、イサム・ノグチやチャールズ・イームズとも交流がありました。
リス・アールマンさんからのスウェーデンの大学への留学の勧めと、完成したスウェーデン大使館のインテリアデザインの美しさに衝撃を受けてスウェーデンに留学しようと決めて、前川先生に伝えました。前川先生はアッキングさんに手紙を書いてくださり、アッキングさんがスウェーデン国立美術工芸デザイン大学の校長を紹介してくださいました。こうした方々のお力添えによって、私はスウェーデンへの留学に踏み出すことができました。今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
この頃には私は夫と結婚していて、夫はこの大学の家具デザイン科に留学を決めて、私はテキスタイルデザイン科を選択しました。大学には入学試験はなく、仕事の経験が必要でした。私はテキスタイルの仕事は未経験だったので、日本で織物作家の方に基本的な技術を教わり、スウェーデンの国立美術工芸デザイン大学でテキスタイルのサマーコースを受講して、これまでつくった家具作品も審査に入れていただき、なんとか9月に入学することができました。

 

 60年代初頭に、スウェーデンに実際に訪れていかがでしたか。

 

川上 本や雑誌を見ていたので、おおよそのことは知っているつもりでしたけれど、日本とはすべてが違うと感じましたね。自然の豊かさに感動したり、街の中もきれいで、その後も何度も訪れていますが、昔も今も変わらない印象です。日本は毎年、新商品を次々に出していかないと経済が成り立たないような感じがありますけれど、スウェーデンでは古いものも新しいものも、その時代に合わせて生活の中で上手く組み合わせて大切に長く使っているのが印象的でした。
北欧のテキスタイルメーカーの中では、フィンランドのマリメッコが日本でよく知られていますけれど、スウェーデンにもさまざまなテキスタイルメーカーがあります。高い技術力を誇るハンドプリントのヨブス、大胆な色使いと動植物をモチーフにしたスヴェンスクテン、そのほかにもたくさんあります。また、アレキサンダー・ジラードさん、リス・アールマンさん、アストリット・サンペさんのようなテキスタイルデザイナーが多数活躍されていました。
日本ではその当時、テキスタイルデザインという言葉は珍しい時代でしたが、現在でも特に一般の方にはわかりにくいように感じています。テキスタイルデザイナーでは、粟辻博さんが先駆的な存在だったと思います。粟辻さんは、1958年に粟辻博デザイン室を設立され、1963年からフジエテキスタイルなどの仕事をされていました。

 

 スウェーデンの大学ではどのようなことを学ばれたのですか。

 

川上 大学は4年制で、1、2年生のときは基礎を学び、3年生から作業スペースで自由に制作ができます。私は日本の美術系大学を卒業していたので、最初の1年で基礎を終えて、翌年に3年生のクラスに飛び級しました。ですので、ほかの学生よりも多くの時間を制作の実技に費やすことができました。
一番勉強になったのは、色彩についてです。有名な色彩学者が講師として教えていました。織物では、主任教授のエドナ・マーティン先生から指導を受け、貴重な体験をしました。彼女はハンドアルベーテッツ・ヴェンネル(テキスタイル・アート友好協会)の主任アートディレクターを務めて、さまざまな芸術家の原画をタペストリーや刺繍、カーペットなどにすることに尽力されてきた方です。織物は糸の組み合わせが自在にできて、不思議な色使いを生み出すことができるのでおもしろいです。

 

 川上さんが最初に制作された織物の作品がスウェーデン国王の目に留まって買い上げてくださったそうですね。

 

 

川上玲子 資料

川上玲子さんの織物作品を見る、スウェーデン国王。椅子は、川上信二によるデザイン。

 

 

川上 夫がデザインした椅子を学内で発表するときに合わせて、椅子の下に敷く敷物を私がつくりました。壁にもかけられるアート的な作品で、私にとって織物で制作した初めての作品になります。私は日本の昔のものが好きで、以前からよく蛇の目文様をモチーフにした作品を制作していたのですが、そのときも蛇の目文様のデザインをあしらった敷物を考えました。日本の着物は、袖口や裾の裏地に凝ったデザインや派手な色を使うなど、見えないところにこだわりますよね。そこから着想を得て、北欧の麻の糸を使って、普通に敷いているとナチュラルな色味ですが、天地左右の端に多様な色の糸を使っているので、視点を変えるとその色が見える仕かけになっています。
スウェーデン国王は、学生の作品発表会があると、必ず見に来られました。あるとき主任教授に呼ばれて行ったら、国王が自分の寝室に敷くものを探していたなかで、あなたの作品をとても気に入ったので譲って欲しいと、国王から直接言われました。周りの人から、自分が初めて制作した作品は手元に置いておいたほうがいいと言われたのですが、国王にとても気に入っていただいたので、お譲りすることにしました。その作品は、のちに国王のコレクションに入ったと聞きました。

 

 

建築空間のテキスタイルアート作品を制作

 

 川上さんの作品がスウェーデン国王のコレクションにアーカイブされたということですね。大学を修了して帰国後はどのような仕事をされていたのですか。

 

川上 一度帰国してから、娘が小学2年生になったときに学校に相談して、1年間、娘を連れて再びスウェーデンに行きました。市が援助しているアーティストたちの共同工房施設のアトリエを大学の友だちがシェアしてくれたので、そこで日本の会社の仕事をしながら、ブルーノ・マットソンがデザインした椅子の張り地の仕事をしていました。織物ではなくてプリントの生地で、それを制作する会社と量産化に向けてやり取りをしました。マットソンとは家族ぐるみで長年、親しくさせていただきました。
その後、友人が所有するスウェーデンのアパートの一室をたまたま購入することができたので、年に数回行って仕事をしていました。日本では武蔵野美術大学や昭和女子大学などの非常勤講師をしながら、テキスタイルだけでなく、インテリアや家具のデザインの仕事、テキスタイルアートの世界にも足を踏み入れました。テキスタイルの量産品だけでは自分が表現したいことに限界を感じたことと、もともとアートの世界にも興味をもっていたので、作品をつくって展覧会で発表していました。それを見てくださった建築事務所の方からお話をいただくようになって、建築空間の中のテキスタイルアート作品をつくるようになりました。スウェーデンから帰国後、最初にテキスタイルアート作品として制作したのは、1971年に開業した剣持勇さんが空間の総合プロデューサーを務めた京王プラザホテルです。陶芸家の會田雄亮さん、美術家の篠田桃紅さん、画家の加山又造さん、デザイナーの粟辻博さんや渡辺力さんなど、多彩な分野の方々が参加しました。

 

 川上さんは横浜市中央図書館や岡山県庁などの作品も手がけられていますが、どこから依頼を受けた仕事だったのですか。

 

川上 公共的な仕事は、竹中工務店さんや前川事務所の方からのお声がけが多いです。前川先生がご存命の頃には私は仕事をしていなくて、亡くなられたあと、建築物に合わせた作品をいくつか制作させていただきました。横浜市中央図書館では、私はエントランスホールに飾る作品を制作しました。図書館なので吸音効果があり、あまり堅苦しいものではなく、織物のようなアート作品を実現したいという構想がありました。自然素材の綿やウールなどは防炎性の問題から使用できないため、いろいろ考えるなかで私はステンレや鉄板、ガラスを糸と見立てたタペストリーの織物作品を提案しました。静けさと安らぎを与えるデザインを目指し、照明によって温かみのある表情を演出して、金属なので年月とともに色味の味わい深さも増していきます。今まで手がけたなかで一番制作が大変でしたが、私の代表作となりました。
建築物件のテキスタイルの仕事は、建築設計の全体案が決まったあとに入るので、部分的な参加が多いのですが、その中でも横浜市中央図書館や岡山県庁はテキスタイルも含めて幅広くインテリア空間に携わらせていただきました。

 

 

川上玲子 資料

横浜市中央図書館では、ステンレや鉄板、ガラスを用いて制作した。

 

 

 近年、日本でも個性豊かな若手のテキスタイルデザイナーが多数出てきていますが、彼らに話を聞くと、建築やインテリアのテキスタイルに携わりたいけれど、なかなか難しいと感じているようです。現在の日本のテキスタイルデザイン界の状況についてどのように感じていらっしゃいますか。

 

川上 昔も今もあまり変わらないような気がしますね。日本の建築・インテリア業界では、プロジェクトで特別な予算がある場合は、テキスタイルデザイナーにテキスタイルを開発してもらうこともあると思いますが、一般的に仕事の需要は少ないと感じます。テキスタイルは経年劣化するので、メンテナンス費用がネックになるということもあると思います。
それから学生時代は学内の作業室で作品を制作できますが、卒業後に個人で高額な機械設備を揃えることはなかなか難しいと思います。スウェーデンには、私も利用した市や自治会から寄付や援助を受けたアーティストたちの共同工房施設があり、そこで自身の研究と仕事を両立させながら活躍の場を広げていくことができました。そういう環境もクリエイターには必要だと感じます。また、スウェーデンでは、公共建築の総工費の1%をパブリックアートに充てる「1%フォー・アート」の法律が1937年という欧州の中でも早い時期に制定されました。スウェーデンでは、テキスタイルをアートして扱う傾向があって、学校、銀行、病院、公民館、教会など、さまざまな公共空間にシルクスクリーンや織りのタペストリー作品が飾られています。「1%フォー・アート」は、日本でも法制化の動きが出てきているようですね。これから若い人たちのテキスタイルが公共建築の中でどんどん取り入れられていくようになれば、状況も変わってくるかもしれませんね。

 

 川上さんがスウェーデンに滞在中に訪れたご友人の家のインテリアの写真をいくつか拝見しましたが、テキスタイルが生活文化のなかに馴染んでいて、その点も日本との違いを感じました。

 

川上 スウェーデンでは、テーブルクロスやナフキンを使うのは日常のことで、テキスタイルは生活の一部です。スウェーデンではみなコーヒーをよく飲むのですが、留学しているときに午後のコーヒータイムに、生地を織っていた人が織り上がった布を織り機から外して、それをテーブルに敷いてみんなでコーヒーを飲んだことがありました。サマーハウスの屋外のテーブルにもクロスを敷いたり、娘の学校の父兄会は夜に行われたのですが、テーブルにクロスを敷いてキャンドルを灯して、コーヒーとシナモンロールをいただきながら話をするというスタイルにも驚いたものです。日本の場合は、きれいなテーブルクロスがあったら、汚れないようにと上にビニールをかけるかもしれませんね。インテリアのテキスタイルが日本にあまり浸透しない理由の一つには、そういう生活文化や考え方の違いもあるかもしれません。

 

 

マンションの売却を機に資料の整理に着手

 

 ここからアーカイブのお話をお聞きしたいのですが、昨年末に娘さんが手伝われて、断捨離をされたとお聞きしました。

 

川上 1966年に私たち夫婦がスウェーデンから帰国後に住んでいたマンションが物置きのようになっていたので、処分しようと思ったのがきっかけでした。父の会社が建設した分譲マンションで、建設中に設計変更をして壁を取り払って広い空間にしたり、床をフローリングにしたり、家具は特注でつくったりました。日本ではインテリアに興味をもつ人が増えていた頃でしたが、マンションの部屋をそうやって改装するのは珍しい時代でした。その頃、私は雑誌にインテリアの提案をしたり、NHKのスタジオに自宅と同じコーナーを再現して、番組でインテリアの講義をしたこともあります。そのときの資料や、北欧の家具やビンテージの食器など、思い入れのあるものがたくさんあって、なかなか捨てられずにいました。
けれども、このまま放っておくわけにもいかないので、昨年、思いきって不動産屋に連絡をして処分することに決めたのです。たまたま娘がその家のものをどういうふうに処分していこうと、ネットの記事か何かで書いたところ、テレビ局の方が見てご連絡をいただき、断捨離をテーマにした番組で、その経過を取材・撮影いただくことになりました。その物件は売却が決まって期限があったので、そこにあるものを整理するのに時間がほとんどありませんでした。昨年末の2カ月間ほどの慌ただしいなかで、とりあえず必要と思うものを倉庫に入れました。
ありがたかったのは、テレビ番組のもつネットワークです。特にインテリア関係の書籍については専門の書店を紹介いただき、希少な本もあったので店主の方が見に来られて、とても興奮されていました。知り合いのデザイナーからのハガキなども貴重ということで持って行かれました。後日、その書店によく行かれるという建築家の方からも喜ばれました。当時の時代の方のものをコレクションして書籍にまとめることを考えているそうで、その中の一人のメモや領収証がうちの資料の中にあったそうなのです。紙切れ一枚でも、必要な人にとっては大切なものですが、その価値がわからなければ捨ててしまうこともあるというのは不思議ですね。

 

 川上さんの作品の図面やスケッチ、写真類などは、どのようになっているのですか。

 

川上 倉庫に入れているものと今住んでいるところにもあって、まだ整理できていません。うちは夫と私の2人分ありますから大変です。夫のデザインした家具は、場所をとるので廃棄してしまいましたが、手描きの図面は保管してあります。帰国後に私が最初に展覧会で発表したテキスタイル作品は大切に保管していたのですが、先日やむを得ず処分しました。それ以外の私の作品は、倉庫に入れてあります。本当はデザイン画もとっておきたかったのですが、スマートフォンで撮影してデジタル画像にして現物はほとんど廃棄しました。思い入れのあるデザイン画は数点残していて、書籍もまだたくさんあり、これからそれらをどうしようかと悩んでいるところです。デザイナーの方々は、みなさん同じ悩みを抱えているのではないでしょうか。そういえば同じ世代の方たちと、こういう資料をどうするかというような話をしたことがなかったですね。

 

 川上さんはテキスタイルデザイナーとして、どのようなかたちで自分のアーカイブを残したいと考えていらっしゃいますか。また、テキスタイルのアーカイブはどのように残していくべきと考えていらっしゃるでしょうか。

 

川上 作品を保存し、若い世代が歴史的な視点で先達が成し遂げてきた作品に触れる機会をもつことは、とても大切なことだと感じていますし、やはり、自分が手がけた作品も、できるだけ長く残したいという思いがあります。
けれども、例えば、展覧会などで制作した大きな作品は、個人で保管するにはやはり限界があると感じています。また、テキスタイルのような布素材の作品は、湿度管理など保存環境がとてもデリケートで、保管が難しいという課題があります。一方で、横浜市中央図書館のために私が制作した「ステンレスファンタジー」のように、布ではなく、ステンレスや鉄板、ガラスといった素材を用いた作品は、水洗いなどのメンテナンスによって長期保存が可能です。ただし、メンテナンスを行う際には足場を組む必要があり、その設営にかなりの費用がかかるとのことでした。このように、テキスタイル作品は「保管」だけでなく、「維持・管理」の面でも難しさがあると感じています。

 

 衣服のアーカイブミュージアムは、日本では神戸ファッション美術館などがありますが、テキスタイルのアーカイブ資料を保管するミュージアムは北欧などにあるでしょうか。

 

川上 スウェーデンにもテキスタイルをアーカイブするミュージアムはなく、デザインだけで独立したデザインミュージアムというのもないと思います。以前、日本テキスタイルデザイン協会の設立メンバーとして、粟辻さんたちとそれについて話をする機会もありましたが、あらためて考えてみると、デザインアーカイブを扱うミュージアムというのは、あるようでないですね。不思議なことですね。
そういえば、お送りいただいたPLATの報告書に掲載されていた、デザイナーの大野美代子さんとも私は生前親しくさせていただきました。私と大野さん、山本棟子さんが日本インテリアデザイナー協会のメンバーで、当時、日本のデザイン界では女性があまり多くなかったことと、ほぼ同世代だったので海外の会合に一緒に参加したり、プライベートでも親しくさせていただきました。大野さんは2016年に逝去されましたが、少し早かったですね。

 

 そうですね。これからも一人でも多く、日本のデザイン界の礎を築いてきた方々にお話をお聞きしていきたいと考えております。本日は貴重なお話をありがとうございました。

 

 

 

川上玲子さんのアーカイブの所在

問い合わせ先

川上玲子さんのデザインアーカイブに対するお問い合わせは、 NPO法人建築思考プラットフォームのウェブサイトからお問い合わせください。
https://npo-plat.org