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どうなっているの?この人たちのデザインアーカイブ

DESIGN ARCHIVE

小島良平

グラフィックデザイナー

 

インタビュー01:2020年6月29日 13:00~14:30
インタビュー02:2020年7月8日 13:30~15:00

PROFILE

プロフィール

小島良平 こじま りょうへい

1939年 岩手県生まれ
1960年 武蔵野美術短期大学商業デザイン科卒業、銀座三愛宣伝課入社
1963年 ㈱ライトパブリッシティ入社
1976年 小島良平デザイン事務所設立
2009年 死去

小島良平

Description

概要

小島良平さんが活躍した1960年代後半から90年代の日本のデザイン界は、経済成長と歩調合せるかのように一気に多くの才能が花開いた時代だった。特にグラフィックデザイン界は、オリンピックや大阪万博などの国家的プロジェクト、急拡大する広告・宣伝媒体、雑誌の創刊ラッシュなどを受けて、仕事のチャンスはたくさんあったに違いない。さらに亀倉雄策、永井一正、田中一光、粟津 潔といった戦後のグラフィックデザイン界を牽引してきた重鎮たちを頂点に、石岡瑛子、青葉益輝、浅葉克己、松永 真などの個性的な若手たちが競い合っていた。小島良平もその一人として、伊勢丹やキッコーマンといった大企業の広告・宣伝やCI、『ミセス』などの一流誌のアートディレクションを通して、活気に満ちた日本の様相をグラフィックという形で体現していたのだった。
小島は、バウハウスにも参加したオーストリア生まれのハーバード・バイヤーに多くを学んだようだが、確かに、明快な構成に基づいて簡潔な造形性と豊かな色彩が融合したデザインは、「色も形もシンプルで明快、だれが見てもわかりやすい作品作りを今後とも追求したい」(ギンザ・グラフィック・ギャラリーWEBより)という小島の考えを裏付けしている。さまざまな仕事に取り組んだ小島だが、特にライフワークだった野鳥や動物、自然をテーマにしたポスター群は、自然破壊や野生動物たちへの思いを、言葉ではなくグラフィックによってメッセージしたいという願いがこもった小島デザインの真骨頂と言えるだろう。そんな小島作品とデザイン資料の現状について、佳子夫人とご子息でグラフィックデザイナーである良太さんに伺った。

Masterpiece

代表作

『家庭図書大百科事典、第4巻 医学』より(1968)
伊勢丹イメージポスター(1973~)
「Wild Bird Society of Japan」 日本野鳥の会(1985)
トヨタ博物館のCI トヨタ博物館(1989)
BIOSPHERE ポスター(1991)
「LIFE」 ポスター 日本産業デザイン振興会(1994)
KIKKOMAN 新聞広告 キッコーマン(1995)
『倉俣史朗展カタログ』 原美術館(1996)
『デザインニュース』表紙 日本産業デザイン振興会(1981~2002)
うおがし銘茶 茶 銀座 ロゴ パッケージ うおがし銘茶(2002)

 

主な受賞

日宣美展特選、東京ADC賞(1965)、日宣美奨励賞(1966)、準朝日広告賞(1972~)連続4年受賞)、
毎日広告デザイン賞特選・日本サインデザイン賞(1978)、毎日広告デザイン賞最優秀賞(1980、1987)、
毎日広告デザイン賞カラー広告賞(1991、1994)、日経広告賞優秀賞(1996)他受賞多数

 

主な展覧会

「K3展」INAXギャラリー/東京(1980)、「FLAG展」TDSギャラリー/東京(1982)
「BIOSHERE展」TDSギャラリー/東京(1991)、
「TROPIA GRAFICA展」ギンザ・グラフィック・ギャラリー/東京(1993)

 

主な書籍

『世界のグラフィックデザイナー:小島良平』 ギンザ・グラフィック ギャラリー(1999)
『小島良平』トランスアート(1999)、
『Visual Message 小島良平的設計世界』 広西美術出版社/中国(2000)

 

小島良平作品

Interview 1

インタビュー01:2020年6月29日 13:00~14:30
場所:ウェスティンホテル
取材先:小島佳子さん
インタビュアー:久保田弘子 関康子
ライティング:関康子

 

 

デザインと遊びのバランスの取り方が上手な人

デザインアーカイブの現状について

 小島良平さんが亡くなって10年が経ちました。最初に小島さんの作品や資料の現状についてお聞かせください。

 

小島佳子 代々の事務所のスタッフが作品はもちろんスケッチや写真、清刷りを保管していましたが、小島が亡くなり集合住宅に住むことになったこともあってストックを整理せざるを得ず、紙袋などの立体物は残念なことに処分しました。

 

 整理を進める際、何を残して、何を整理するか、その基準はどう決められたのですか?

 

小島 最終的な選別は息子(グラフィックデザイナー、良太さん)が行ったので、詳細は聞いてください。ただ、記録として写真だけは残しておこうと、知人のカメラマンに頼んでデジタル撮影を行っていたようです。

 

 小島さんの作品としては、どのようなものがありますか?

 

小島 主にポスターですが、スケッチや面白い版下などは残してあります。武蔵野美術大学がほとんどのポスターを収蔵してくださいました。他にも富山県美術館、大日本印刷のCCGA現代グラフィックアートセンター、ロンドンのビクトリア・アンド・アルバート・ミュージアム、ニューヨークのライン・ボルト・ブラウンギャラリー、シカゴ美術館、アムステルダム市立美術館などに収蔵されています。ポスターは展覧会の機会も多く、終わった後にそのまま寄贈することが多かったようです。

 

 小島さんは伊勢丹やキッコーマンの企業イメージ広告、トヨタ美術館のビジュアルデザイン、建築物のロゴやサインデザイン、『ミセス』や『ハイファッション』のアートディレクションなど幅広く活躍されていましたが、それらの作品や資料はどうですか?

 

小島 広告関係やロゴ、雑誌などの仕事は「クライアントがあってデザインされるもの」と言っていましたので、記録として写真を撮って現物は整理したのではないかと思います。

 

 小島さんのアーカイブについて、良太さんがなさったわけですね。

 

小島 息子は小島デザイン事務所のスタッフとして一緒に仕事をしていたので、代々のスタッフが整理して残してくれたものを再度整理したかたちです。PCで作業ができなかった小島に代わって息子がサポートしていたようですし、亡くなった後は事務所を引き継ぐかたちで今に至っています。私自身は小島の仕事に直接関わっていなかったので今日もどの程度お話できるかわからず、事務所のカタログを参考にと持参しました。

 

 ありがとうございます。では、佳子さんが印象に残っている小島さんのアーカイブは何ですか?

 

小島 いつでもどこでも思い立つと描いていた本人によるスケッチ、色にもとてもこだわっていたので外国で購入した色見本や色鉛筆、色紙の切れ端などでしょうか。それと旅行のスケッチが描かれたノートですね。

 

 そのスケッチにはデザインのアイデアなども描かれているのですか?

 

小島 旅のノートは自分の記憶として直接仕事に関わるものではありませんが、旅先の料理や食卓の様子、食材、建築物や街の様子などが描かれていて、旅日記のような楽しいものです。旅先ではアンティークとか古いおもちゃとか、自分の選択眼でいろいろな品々を買っていました。

 

 ワクワクしますね。コレクションということでは、蔵書はどうですか?

 

小島 蔵書も大量にありましたが、小島自身が気に入って持っていた本以外は処分したと思います。昔、東光堂という本屋さんがあって毎月訪問販売に来ていて、雑誌の定期購読だけでなく当時入手しにくい洋雑誌や洋書、アートブックや写真集など、たくさんの本を購入していました。今と違ってネットやSNSで何でも知ることができる社会ではなかったので、本から多くの情報を得ていたのでしょう。

 

 小島さんが使っていらした道具などはどうですか?

 

小島 色鉛筆、コンパスや鉛筆等はとってあります。物を大事にする人でしたので、鉛筆はユニを愛用していて短くなるまで使い切って最後は缶に入れて保存していました。

 

 奥様として、アーカイブ作業で一番苦労されたのはどういうところですか?

 

小島 学生時代のものまで何でもとっておく人だったので物が多くて、それらをどうしたいかという指示もなかったことから整理が本当に大変でした。

 

 現在、それらをどうされていますか?

 

小島 数カ所に分けて保管しています。

 

 

グラフックデザイナーとして

 

 では、アーカイブの詳細は良太さんに伺うとして、デザイナーとしての小島さんについてお聞きしたいと思います。白金台の小島デザイン事務所ではギャラリーも運営されていたと記憶していますが。

 

小島 はい。仕事場の1階に使っていない空間がありましたので、小島の作品を展示していました。それに興味を持ってくださる方がいらしたので、他の方の作品もご紹介してみようかと、始まりました。

 

 どんな作品を扱ったのですか?

 

小島 デザインとアートの接点をテーマにしていました。アメリカのアーティストのVASA(ニューヨーク、MOMAにもコレクションされているアクリル作家)に始まり、田中一光先生プロデュースのお茶室、安田侃さんの彫刻、マリメッコの石本藤雄さんのセラミックアートなど、楽しい展覧会をたくさんさせていただき、勉強にもなりました。最初は私も週に2日程の手伝いで始めたギャラリーでしたが、15年続けることになりました。

 

 小島さんはクラフトに興味がおありだったのですか?

 

小島 そうですね。クラフトに限らず、建築や現代アートなど、自分の感性に合ったものは何でも大好きでした。

 

 佳子さんからご覧になって、小島さんはどんなデザイナーでしたか?

 

小島 いつもデザインのことについて考えていました。仕事に関してはとても厳しかったですがスポーツも大好きで、デザインと遊びのバランスがとても良い人でした。

 

 小島さんの世代は、亀倉雄策さんや田中一光さんの次の世代として、日本のデザインのさらなる発展に貢献されたわけですね。

 

小島 同世代に浅葉克己さん、青葉益輝さん、上条喬久さん、長友啓介さん、松永真さんと、個性的な人が多く、皆さんご自身のスタイルを確立されましたね。小島は亀倉さんや田中さんの存在があまりにも大きくて、自分が個展を開いたり、作品集をまとめていいのだろうかと考えていたようでもありました。

 

 小島さんとはパーティなどでお会いしましたが、いつも朗らかでこちらのことも気づかってくださる優しい方でした。だからこそ仕事ではクライアント第一だったのでしょう。

 

小島 そうですね。常にクライアント第一というわけではありませんでしたが、広告やグラフィックのデザインは自己主張で終わってはいけないといつも言っていました。一方で日本野鳥の会などのボランティアの仕事は自分を反映させたデザインで製作していました。

 

 そんなお人柄だから、お友だとも多かったのでは?

 

小島 サッカーやテニス、ゴルフ、旅行と楽しいことを沢山していたので、それぞれの場で友人もたくさんいました。若い頃はデザイナーが集まる場所があって毎日のように出かけて行っていました。そこで異業種の方々、インテリアデザイナー、カメラマン、彫刻家、建築家とお会いして、楽しい時間を過ごしたようです。

 

 倉俣さんともお親しかったですよね。

 

小島 三愛時代に出会って、若いころには2人でヨーロッパツアーに参加していたようです。倉俣さんに自宅のインテリアや事務所の家具についてご相談すると、気軽に図面をひいてくださいました。それらは今も自宅でも事務所でも使わせていただいています。小島も倉俣さんの作品集を3冊デザインさせていただきました。

 

 本日はありがとうございました。引き続き良太さんにも伺います。

 

 

Interview 2

インタビュー:2020年7月8日 13:30~15:00
場所:小島デザイン事務所
取材先:小島良太さん
インタビュアー:久保田弘子 関康子
ライティング:関康子

 

 

次世代にデザインアーカイブの判断を委ねるのは難しい

デザインの「強さ」を基準に選択

 先日、小島良平さんのアーカイブについてお母さま(佳子さん)から伺いましたが、詳細は良太さんから聞いてほしいということでよろしくお願いいたします。

 

小島良太 作品はポスター類が多く、全部で300種類ほどあったと思います。最低1枚は残しておく、さらに代表作と僕自身の思い入れのある作品は10点くらい残すことを基本にしていて、大半を大日本印刷のCCGA現代グラフィックアートセンターと武蔵野美術大学のアーカイブに寄贈しました。リストは残していませんが、CCGAにはシルク系作品、武蔵野美術大学にはオフセット系作品という傾向があります。シルクは展覧会などで発表した自主制作の社会的メッセージを込めた作品が多く、オフセットはクライアントから依頼を受けたコマーシャルなものが多いということになります。

 

 ポスター以外ではいかがでしょうか?

 

小島 パッケージや袋類はかさばるので現物ではなく写真で残しています。ただ「うおがし銘茶」関係のものは少しだけあります。エディトリアルは『ハイファッション』や『SPACE MODULATOR』は現物を、それ以外はスクラップにしてファイル状で保管しています。蔵書は大量にありましたが、引越しを機に僕が残したいものという基準で整理して、倉庫と事務所で保管しています。

 

 作品をすべてデジタル撮影されたとお聞きしました。

 

小島 ポスターだけでなく、パッケージや袋類、校正刷りや版下、スケッチなどをカメラマンにお願いして、3カ月ほどかけて撮影して全部で4000カットほどになりました。

 

 それらをリスト化、データ化はされているのですか?

 

小島 特にはしていません。母がお渡しした事務所のカタログがあればおおよそのことはわかりますので。

 

 小島デザイン事務所のスタッフが小島さんの当時の仕事や作品のリストをつくっていたということは?

 

小島 毎年、ADCやJAGDAの年鑑の応募用にリストをまとめた記憶があるので、探せば部分的に残っているかもしれません。小島デザイン事務所は「仕事袋」というのがあって、そこにスケッチやプリントなどあらゆるものを入れて保管していました。僕はそれらを整理する際に特に手描きのスケッチをピックアップして、わかる範囲で分類してクリアファイルに入れて残しました。

 

 手描きのスケッチからは小島さんのデザインプロセスを辿ることができますね。

 

小島 スケッチからいろいろなことが思い出されますね。小島はポスターをデザインするときに、原寸大のケント紙に直接フリーハンドでアタリ線を描くこともあれば、素材の写真や図柄を映写機で投影してサイズを調整しながら壁に張ったケント紙に鉛筆でアウトラインを写し取ったりしていて、その姿が印象に残っています。ロゴタイプやロゴマークはロットリングと雲形定規を使って描いていました。その集中力と思い切りはすごいなあと感心して見ていました。

 

 良太さんは一緒に仕事をされていたとのこと。それだけに思い入れもおありだろうし、作品の整理は困難な作業ではなかったですか?

 

小島 そうですね。今までもなるべく残そうと努力はしてきましたが、保管場所の制約もあって、よいタイミングだったのである程度まで絞り込みました。

 

 ここまで苦労して整理した後は、美術館に寄贈を働きかけたりされるのですか?

 

小島 こちらからお願いすることは特にしません。今でもポスターは展覧会への出品依頼があるので、そのときに備えて主要作品は保管して対応できるようにしています。もちろん、どこからかご相談をいただいたらまとめて寄贈したいと思っています。ただ僕の世代ではキープできても、次の世代に判断を委ねることは難しいのが現状です。

 

 でも小島さんの作品は、デザイナーである息子さんがきちんと整理されているほうだと思います。

 

小島 ありがとうございます。ただ、これから公にデザインアーカイブとして残っていく対象は亀倉雄策さんや田中一光さんといった限られた方々のものではないかと思うのです。現状のままでは、大勢のデザイナーの作品がアーカイブとして残されることは困難でしょう。

 

 現在は数カ所に保管されていると聞きました。

 

小島 ポスター作品とコレクションの一部、スケッチ類、蔵書、写真などは2カ所に、それ以外は僕の事務所で保管しています。

 

 3カ所で保管されているのですね。実際、現物を保存していくことは本当に大変です。結局は、デジタル撮影をして写真として残すしか方法はないのでしょうか。

 

小島 写真はシンプルに記録として優れていると思います。しかし実物は筆圧だとか、書き直しとか、デザイナーの頭の中が痕跡として残っているので、そこからいろいろなことが想像できて楽しいです。小島はオリジナルのスケッチブックをつくっていたくらいなので、アイデアやメモを記すことに相当こだわっていました。スケッチブックには随所にトレーシングペーパーのアイデアの紙片が挟んであり、僕は作品よりもむしろそういったデザインプロセスがわかるスケッチ類に刺激を受けますし、残していく価値を感じます。そういったものが1カ所に集約されてアーカイブとして保存する場所があればよいのですが。

 

 現物を拝見すると、小島さんの筆圧が伝わってきますね。それにサムネイルのサイズって、5センチ角くらいの小さいものなのですね。

 

小島 スケッチは鉛筆のユニの2Bで書いていました。スケッチ類は思いついたもの、ひねり出したものを素直に書き留めているだけです。とにかく量を描いて試行錯誤して、似ているデザインがないか検討して、ある程度固まってくるとPCで清書して……というプロセスをくり返しながらデザインを完成させていきました。

 

 

小島良平スケッチブック

オリジナルのスケッチブックの表紙

 

 

デザイナーの父から学んだこと

 良太さんはご自身もグラフィックデザイナーですし、父、小島良平さんの作品や仕事についてどのようにお考えですか?

 

小島 小島のデザインへのこだわりは、そのデザインを見て、使ってくださる方々に対していかに「意味」を感じていただけるかが第一で、そのうえでデザインに込められた思考に「強さ」があるかを重視していました。この話は亡くなる直前にようやく聞くことができたのですが、「デザインをするときに何を一番大切に考えているか?」という問いに対し、「強さ」であると……。それは決して表面的で自己中心的なものではなく、相手とのディスカッションから探り出し、デザインのプロセスを通して共に形づくっていくデザインの中身の「強さ」という意味合いだと受け取っています。

 

 それが、整理の基準でもあったのですか?

 

小島 整理作業では小島の全作品を俯瞰して、僕自身がその「強さ」を感じられたものを残しました。僕は小島デザイン事務所で8年ほど一緒に仕事していたのですが、こうした本質的なことは亡くなる直前まで話し合うことはありませんでした。事務所では一スタッフでしたのでなかなか聞く機会もなかったのです。

 

 良太さんの子ども時代はどうでしたか?

 

小島 父は仕事が終わると夜中まで六本木のバルコンあたりで飲んでいたようで、一緒に遊んだ記憶はほとんどありません。たまに一緒に外出しても自分は仲間とサッカーやテニスをしていて、僕は一人で遊んでいました。ただ、スキーは一緒に楽しんだ記憶があります。

 

 どうしてデザイナーになろうと思ったのですか?

 

小島 小学生の頃、夏休みに事務所に遊びに行くとケント紙にロットリングで線を引かせてもらったりしていました。すると父が来てデザインプロセスを見せてくれて、面白いなあと、自然にグラフィックデザインという仕事に惹かれていったのだと思います。ただ母は、一家にデザイナーは父だけで十分と思っていたのか、僕がこの道に進むことに反対のようでした。

 

 親子で同じ事務所で仕事をすることは難しくなかったですか?

 

小島 そう思ったことはありませんでした。仕事の分担がはっきりしていましたから。というのも僕がこの世界に入った頃はすでにコンピュータが主流の時代でしたが小島は使えなかったので、手書きのスケッチをコンピュータに取り込んで仕上げていくという過程を他のスタッフと協力しながら進めていました。

 

 良太さんは小島さんを一デザイナーとしてどう見ていましたか?

 

小島 デザイナーとして尊敬していました。クライアントとのコミュニケーションの大切にしていて相手にわかりやすく伝える方法を常に考えていて、さまざまなジャンルの本を読み知識を得るなど、努力を惜しまない人でした。常にクライアントの側に立って行うことを心掛けていて、例えば言葉ひとつでも相手のフィールドに立って、相手が理解しやすい物事に置き換えてプレゼンテーションしていました。

 

 そんなお父さんから学んだことは?

 

小島 「デザインすること」とは相手の希望や要望を的確に汲み取り、自分のなかで醸成して形として表現する作業だと思うのですが、そのプロセスや考え方がデザインの本質であることを教えてもらったような気がします。

 

 小島さんが影響を受けたデザインについてはどうですか?

 

小島 小島が1965年、日宣美の特選を受賞した「MONTHLY REPORT からだの科学」という作品は、バウハウス出身のハーバード・バイヤーの「World Geo-graphic Atlas」に魅了されて、それを手本にデザインしたと聞いています。その後の「家庭図書大百科事典」もバイヤーの影響下の作品で、それらを比較すると確かにバイヤーさんの構図や色遣いなどから多くを学んでいることがよくわかります。小島は自分のデザインの原点としてこの本にカバーをかけて大切にしていましたが、整理作業を通してこうした事実を知ったことは僕にも大きな刺激になります。

 

 先ほどから気になっているのですが、このスケッチブックは何ですか?

 

小島 日常から解放されて興味が広かったのでしょう、小島は旅には必ずスケッチブックを持参して、食べ物が一番多いのですが、目にしたもの、気になったもの、例えばアルヴァ・アアルトの建築、気に入ったインテリアなどをスケッチし、美術館のチケットやショップカード、植物の押し花なども張り付けていました。これを見ていると、写真ではなくてスケッチであるところが父らしいし、やっぱり手が自由に動く人なのだなとわかります。こうした旅日記は20冊ほどあって、僕も海外に行くときには参考にしています。

 

 

小島良平スケッチブック 小島良平スケッチブック

旅のさまざま場面やであった物たちを書き留めたスケッチブック

 

 

 小島さんと言えば、ボランティア制作していた「日本野鳥の会」のポスターが印象的ですが、最近はそうした活動をしているデザイナーが少なくなったように感じます。

 

小島 その背景には、印刷にかかわる職人さんの高齢化、制作費用が捻出できない状況、展覧会などの発表の場の減少、インクジェットなどのデジタル技術の発達といったいろいろな要件があると思います。

 

 小島さんが活躍されていた70、80年代は、日本のデザインのノビシロがまだまだあった時期でもありましたね。

 

小島 当時は徹夜なんて当たり前でとても忙しかったけれど、それでも現在と比べるとアイデア出しからプレゼンまで十分な時間をかけてデザインできいたような気がします。デジタルではなく手描きがほとんどですから作業的には大変だったと思いますが、アイデアを幾つも出して検討できる時間、精神的な余裕がありました。最近はコンピュータで短時間にできてしまう分、デザインにかける時間が短縮されています。じっくり考えて練り上げることが少なくなり、そういう時間にあまり価値を見ない世の中になってしまった。僕らも相手とのコミュニケーションにもっと努力しなければならないですね。

 

 最後に、倉俣さんの家具を今も引き継がれていると聞きました。

 

小島 小島は倉俣さんと親しかったようですね。僕は数回しかお会いしたことがありませんが。昔住んでいた自宅は倉俣さんに家具をデザインしてもらっていて、それらの家具は今でも大切に使っています。倉俣さんにデザインしていただいた小島デザイン事務所の家具は今も使っています。これからも倉俣さんの家具は大事に使い続けようと思います。

 

 今日はありがとうございました。小島デザインの原点にも触れることができて貴重なお話を伺えました。

 

 

 

小島良平さんのアーカイブ

問い合わせ先

小島デザイン office@kojimadesign.com

HEARING & REPORT

どうなっているの?
この人たちのデザインアーカイブ

What's the deal? Design archive of these people

調査対象については変更する可能性もあります。

調査対象(個人)は、2006年朝日新聞社刊『ニッポンをデザインしてきた巨匠たち』を参照し、すでに死去されている方などを含め選定しています。

*は死去されている方です。

 

FORMAT MAKING

作品や資料をどのようにアーカイブすればよいか?
共有することを目的とする

How do I archive my work and materials?

SPECIAL PROJECT

PASS the BATON

倉俣史朗を語ろう

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倉俣史朗(1934〜1991年)は、60年代から80年代にかけて活躍した伝説的なデザイナー。
その人物と仕事は世界中の人々を魅了し続けています。
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