日本のデザインアーカイブ実態調査
DESIGN ARCHIVE
Designers & Creators
黒川雅之
建築家・プロダクトデザイナー
インタビュー:2016年4月19日 17:00~18:30
場所:株式会社K&K(黒川雅之建築設計事務所)
インタビュアー&ライティング:関康子
PROFILE
プロフィール
黒川雅之 くろかわ まさゆき
建築家、プロダクトデザイナー
1937年愛知県生まれ。
1961年(昭和36)名古屋工業大学工学部建築学科卒業後、
1967年早稲田大学大学院理工学研究科建築工学博士課程修了。
同年黒川雅之建築設計事務所を設立。
Description
説明
黒川雅之は建築デザインとプロダクトデザインを両立する、日本では特異な存在である。家具や照明器具をデザインする建築家、橋や店舗などをデザインするプロダクトデザイナーはいるが、両領域をパラレルに手掛けるデザイナーは日本ではほとんど見当たらない。
もう一つの特徴は、黒川の代表作の多くは、自ら仕掛けたプロジェクトによって誕生していることだ。ニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久コレクションにもなった代表作のGOMシリーズ(1973~83年)は、黒いゴムを素材に丸と四角を中心にした幾何形体によるシンプルな造形で、ステーショナリーやテーブルウェアから、ドアノブなどの建材、照明器具までバリエーションを増やし、プロダクトかから環境までに広がりを見せた。その第一歩は、電話帳を使ってアイデアを造形化してくれる町工場探しだったと聞いたことがある。
ゴム以外にも、ステンレス、プラスチック素材、ガラス、木材、鉄、漆など多様な素材を用い、照明・ペンダント、水栓金具、バスタブやトイレ、ドアノブ、腕時計、生活用品、家具まで幅広いジャンルのデザイン開発を手掛けているが、それらの底流には黒川スタイルともいうべき、素材の持ち味を生かし切ったマテリアルコンシャスな感性と、極限まで追求されたシンプルな造形だ。同時に一定量以上の量産を前提とした、工業製品としての品質と完成度の高さ、市場性も黒川製品の特長である。そこが、黒川と同時代に存在していた「デザイン=アート」というアプローチとは一線を画していた。
建築家としての仕事では、独立間もない1970年代前半は、カプセル住宅や家具住居、アルミシャフト住宅など、プレハブに代表される量産化を前提とした建築のシステム化を導入した住宅などを手掛け、プロダクトデザインと建築の思想と手法を融合した独自のスタイルを確立した。
最近は、中国本土を中心に、プロダクトはもちろん、ギャラリー、オフィス、ショップなど、精度の高い室内空間のデザインなども手掛けている。
Masterpiece
代表作
<プロダクト>
GOMシリーズ、薄型ガステーブル、水栓金具Kシリーズ、ドアノブGIGA、INTERFACEシリーズ、銅製小物EN、ACCENTシリーズ、バイオライトプロ、腕時計CHAOS CITIZEN、山形清光銅の鋳鉄シリーズ、金沢漆器シリーズ、半閉鎖式スキューバダイビングシステム「グランブルー・フィーノ」など。
<建築>
林別荘、EXPO '85政府出展館展示設計(茨城県)、パロマ工業恵那(えな)工場(岐阜県)、ワールドプレスハウスビル(東京都)、大阪天王寺博覧会会場内施設設計、パロマアワザビル大阪府)他。
<書籍>
『黒川雅之のプロダクトデザイン』(1993・六耀社) 『反対称の物学』(1998・TOTO出版) 黒川雅之・稲越功一著『ARCHIGRAPH 01 黒川雅之×稲越功一』(1992・TOTO出版)』 『八つの日本の美意識』(2006・講談社)『デザインの修辞法』(2006・求龍堂)他
Interview
インタビュー
アーカイブの大半を中国天津に移動
関 黒川さんは近年、中国天津市の創意パーク内に中国での活動拠点を設立されたのと同時に、黒川雅之資料館を開設して、作品や試作品、図面等の資料も移されています。経緯をお話しください。
黒川 倉庫がいっぱいになってしまったことが最大の理由。それと数年前に金沢工業大学の「建築アーカイヴス研究所http://wwwr.kanazawa-it.ac.jp/archi/から、建築図面を整理して保管する活動を行っているので協力してほしいという要請を受けて、昔のトレペに描いていた原図を預けることにしました。これが動機となって、自分の作品や資料を整理して保管しておきたいと考えるようになりました。
関 建築アーカイヴス研究所の活動とはどんなものなのですか?
黒川 建築アーカイヴス研究所は、建築に関わる図面の原図、模型、書籍などを保管はもちろん、建築アーカイヴィングの研究、所蔵品の調査研究などを行っています。メンバーは金沢工業大学の建築系の教員が中心で、展覧会なども定期的に行っているようです。 トレーシングペーパーなど紙製の原図どうしても劣化してきてしまう。デジタル化して保存したいけれど、保管場所や費用もかかってしまう。僕自身が原図を持っていても死蔵しているに近いし、保管してくれて、なおかつ建築の研究に役立てばと考えて寄贈しました。
関 原図以外は中国・天津市の黒川雅之資料館に移動させているのは、なぜですか?
天津の黒川雅之資料館
黒川 天津にもっていくまでは、東京の事務所の倉庫に保管していたのですが、そこがまずいっぱいになってしまったこと。また未来に向かって仕事をすべき事務所が、過去のもので占領されているのはどうかなあ、過去のものは別のどこかに移動させたいなあとはずっと考えていたんです。 そんな時に、中国の仕事が増えてきて、天津の実業家、李雲飛さんと出会って事務所をつくって、広いスペースもできたのでとりあえずそこに資料を移動させて、棚に収めて、黒川雅之資料館として、中国のデザイン教育に役立てることができればと考えたわけです。
関 公開されているのですか?
黒川 最初はとりあえず物を移動させたという感じしたが、ようやく整理に取り掛かりました。まだ途中段階ではありますが、予約制で公開も始めました。
関 なぜ、日本ではなく天津だったのですか?
黒川 李さんとの出会いが一番の理由です。それから天津市は中国の中でも建築やデザイン教育のレベルがとても高い町。特に天津大学の建築学部は中国でもトップ2に入るレベルの高さなのです。けれども中国におけるモダンデザインや近代建築の歴史が浅いから、資料や参考になるものがとても少ない。ならば、僕のものがデザイン教育や研究に役に立てばうれしいと考えました。また、資料はただ保管しているだけでは意味がありません。デザインに興味のある人、デザイン学生たちの研究に役立つことではじめて価値をもつものだと思います。だから、僕のデザインアーカイブの学生たちの学びの素材になって、中国の大学で近代デザインの研究が行われたら面白いだろうと思うのです。 それに、僕は1937年生まれ。この年はちょうど日中戦争開戦の年です。つまり、黒川雅之という一人の建築家、デザイナーの足跡は、20世紀における日中の歴史、日中関係とオーバーラップしていると言えます。ですから、黒川雅之のデザインを社会史的、文化的に研究することは、日中文化比較という視点からも中国の学生にとって興味深いことなのではないか・・・。また、建築、デザインという視点から社会を俯瞰することも可能ですし。
関 天津に移動した黒川さんの作品、資料は具体的にどのようなものがあるのですか?
黒川 紙物は、著書、作品集、掲載雑誌など。僕の記事が掲載された雑誌は全部とっておくようにしていたけど、最近は抜けているものもあります。後はスケッチブックやメモなど。それから写真やフィルム類、昔はスライドだったので劣化してしまうので、いいものを選んでデジタル化して保管できればと思っています。物としては、試作品、スタディ模型、製品のパッケージ、プロダクトなどです。ただすべてを保管しておけませんから、相当間引いています。
関 黒川さん作品はMoMAなど、海外のデザインミュージアムで永久保存されている物も多いですよね?
黒川 MoMA、デンバー美術館、メトロポリタン美術館などいずれもアメリカのミュージアムで、合わせて20点くらいがコレクションされていると思います。
デザインミュージアムの意義とは?
関 国内のミュージアムにはないのでしょうか?
黒川 日本インダストリアルデザイナー協会が長野県にJIDAミュージアムというのをつくって、主にメーカーの歴史的製品を保存していますが、僕のような個人デザイナーの作品はほとんど扱っていません。 実際、インダストリアルデザインやプロダクトデザインはデザインミュージアムとして成立させることは難しいと思います。実際問題、展示方法には相当の工夫が必要になるでしょうね。アート作品や家具などと違って、家電製品、PCのような情報機器を単に並べるだけでは、懐かしさや古臭さを感じるだけで、鑑賞物としてはあまり魅力的ではないのではないか。それは、多くのプロダクトやインダストリアルデザインはテクノロジーの進歩やライフスタイルと共にあるので、そのテクノロジーが廃れてしまったり、生活様式が変わってしまうと、古さとか懐かしさ、一抹の寂しさしか感じられないと僕は考えます。 モダンデザインのお手本のように言われているディエター・ラムスのブラウン社の製品だって、陳列されているだけだったら魅力的に見えるかどうか疑問です。ラムスのデザインが今でも魅力的なのは、デザインそのものというよりも、デザインの原型としてアップルの製品などに受け継がれているというストーリーがあったり、ラムスというデザイナーの人間性とリンクしているからであって、プロダクトそのものではないように思います。
関 インダストリアルやプロダクトデザインの場合は、背景のストーリーやデザイナーと関係性の両方がないと魅力的でないと?
黒川 例えば、チャールズ・イームズの木製ギブスは、コレクターにとっては憧れのようだけど、じゃあ、あれがアート作品のような価値があるか?と言えば、僕は疑問を感じる。あれはイームズ夫妻という、1950年代のアメリカを代表するデザイナーが「ギブス」という普通はデザイン対象としないものをつくったから面白いのであって、単に物だけならミュージアムコレクションの対象になるかどうか・・・。 建築では、パリ郊外にル・コルビュジエの「サボア邸」という名住宅があって、現在では建築ミュージアムとして公開されていますが、やっぱり90年近く前に建てられた住宅だから同時の技術力とか生活思想とかはだいぶ違うなあと思います。要はデザインや建築というのはやはり「用の美」だから、その形だけを取り上げることにはあまり意味がないのではないか。
関 では、黒川さんはどうすれば意味が出てくると考えますか?
黒川 一つはプロダクトや建築を解剖するということでしょうか。 それが誕生し、使用された時代性、つくられた思想、デザインした人物像、機能や素材、製造方法などを解剖しながら、プレゼンしていく。
関 解剖結果を、一つのデザインを総体として見せていくということですか?
黒川 ミュージアムの在り方の一つとして、そうしたアプローチがあるように思います。ミュージアムの楽しさは、発見する喜び、発掘する楽しさだから。作品を並べているだけだったら倉庫と変わらないですからね。ミュージアムとの機能は、保存し、調査研究し、未来へつなげていくことですから。
デザインアーカイブの生かし方
関 黒川作品のデザインアーカイブ化について話を戻したいのですが、黒川さんが図面以外を天津に移していますが、所有権についてはどうなのでしょうか?
黒川 まさにそれをどうするかが鍵ですね。長く保存管理していくには、誰が権利を持って管理していくかは重要だし、現在デザイン遺産が上手く引き継がれていかない理由もそこにあると感じています。僕の場合はまず、天津に設立した会社に所有権をおいています。膨大なデザインアーカイブをパートナーや子どもといった個人が背負うのは重たすぎると思います。また、彼らが亡くなったらおしまいですしね。ただ、「個人の権利」という点では、アジアの国はどこも未成熟ですからね、その辺は広い心と長い目で取り組まなければなりませんね。実際、僕が天津に移した物を金額に換算すると相当な金額になりますが、そうした価値を中国の人たちがきちんと理解しているかどうかは疑問です。
関 ミュージアムという概念は西洋のものですよね?
黒川 アジアは文化面ではまだ未成熟社会ですが、僕はとても大きな可能性を秘めていると思っています。人口、経済規模など、どれをとっても巨大ですからね。
関 日本はこれだけの工業国であり、建築デザインの領域でも世界的な評価を受けるようになってきました。そして、戦後の日本をデザインしてきた第一世代のデザイナーや建築家が亡くなったり、高齢になってきて、彼らのデザイン遺産をどう扱っていくかが大きな課題になっています。数年前に三宅一生さんが「デザインミュージアム構想」を発表して一時期盛り上がりましたが、その後どうなったのか。 ズバリ、黒川さんはデザインアーカイブやデザインミュージアムについてどのようにお考えですか?
黒川 デザインミュージアムということになると、三宅一生さんが2121デザインサイトで、田中一光さんや倉俣史朗さん、クリストさんといったご自身の友人や関わりのあったクリエイターの展覧会を企画されています。僕はそれも理解できるのです。やはり、田中さんや倉俣さんのような、個人で活動していて、思想性があって、作品そのものが鑑賞に堪えるインパクトのあるもの、つまりアート志向のデザインに限られるのではないかと思います。三宅さんが目指していたデザインミュージアム構想が具体的にどのようなものなのかはわかりませんが、展示を前提としたデザインミュージアムはそうならざるを得ないのではないでしょうか。あるいは、作品ではなく人物に焦点を当てるというアプローチもあるかもしれません。 いずれにしても、多くのインダストリアルデザインやプロダクトデザインは対象から外れてしまうでしょう。
関 それはなぜですか?
黒川 別の言い方をすると、そのデザインに思想があるかないか、とも言えます。残念なことに、多くのインダストリアルデザインやプロダクトデザインは経済活動の一端として側面が強い。僕は思想が歴史や社会を変えていくものだと考えています。我々がミュージアムに足を運ぶのも、作品にある思想やメッセージを受けとるためだと思います。
関 では、デザインアーカイブという点ではどうでしょうか?
黒川 デザインアーカイブということであれば、先ほども述べたように、展示することよりも研究や調査の資料として的確に整理管理されることが重要になってくるわけですが、日本にはアーカイブをきちんと扱う組織や研究所はありません。 僕は極端な話、デザインアーカイブはどこにあってもいいと考えています。日本人の作品だから日本で保管しなくてはならない理由はありません。国の文化施策としては問題かもしれないけれど、それを欲して、役立ててくれる場所にあればそれは外国であってもいいと思う。 また、これだけインフォメーション技術が発達してきた今、新しいかたちのアーカイブが確立されてくるでしょうし、発想を変えればさまざまなデザイン素材をまとめて出版したり、WEBにしたりすることもアーカイブであると言えなくもない。 もちろん、デザインミュージアムができれば素晴らしいことだけど、一堂に集積させるといった以外の方法を模索すべきだと考えます。
関 黒川さんはいろいろな意味でいつも柔軟で、革新的だなと思っていましたが、今回もいろいろ示唆に富むお話しをありがとうございました。
文責:関康子
黒川雅之さんのアーカイブの偏在
トレーシングペーパーの図面類 金沢工業大学建築アーカイブズ研究所 http://wwwr.kanazawa-it.ac.jp/archi/
その他の作品 天津市黒川雅之資料館
問い合わせ先 Kシステム http://www.k-system.net/