日本のデザインアーカイブ実態調査
DESIGN ARCHIVE
Designers & Creators
中西元男
CI戦略コンサルタント PAOSグループ代表
インタビュー:2017年7月24日 14:00~15:30
場所:PAOSオフィス
インタビュアー:関康子 涌井彰子
ライティング:関康子
PROFILE
プロフィール
中西元男 なかにし もとお
CI戦略コンサルタント、PAOSグループ代表
神戸市生まれ。
1964年 桑沢デザイン研究所を経て、早稲田大学第一文学部美術専修卒業。
1968年 株式会社PAOS設立。
1980年 PAOSNew York設立。
1997年 PAOS上海設立。
1998年 株式会社中西元男事務所(PAOS東京)設立。
2000年 株式会社ワールド・グッドデザイン設立。
2004~2008年 早稲田大学戦略デザイン研究所客員教授
2006~2010年 同広報室参与
2010年~「STRAMD(戦略経営デザイン人材育成講座)」開講 主宰
第一回勝見勝賞、毎日デザイン賞、SDA大賞 他受賞
Description
前文
中西元男は、欧米発のCI(コーポレート・アイデンティティ)を日本独自にアレンジし、定着させた功労者だ。日本でCIの取り組みが活発化した1970年代後期は、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万国博覧会を経て、日本経済が高度成長から成熟期を迎えていた時代と重なる。同時にSONY、HONDAなどの多くの日本企業が新たな市場を求めて海外に進出し、国際化の只中にあった。そのような背景から、多くの企業が理念を再構築し、国際的にも通用する企業の姿の確立を目指していた。
それ以前の日本企業には、ロゴタイプ(社名や商品名、ブランド名などデザインされた文字)やシンボルマーク(企業、団体、プロジェクトなどを象徴した記号)、シンボルカラーなどをトータルにデザインするという発想はなく、従来の家紋や商標をそのままマークやシンボルとして使っていた。そのため、優れた製品やサービスを提供しているにもかかわらず、企業としての一貫性を認識させることが困難な状況だったのだ。そんなとき、中西が率いるPAOSは、企業理念を体現するトータルに考えられたデザイン、すなわちCIを実現させることに成功した。それまでの「デザイン=製品デザイン」という解釈を「デザイン=企業の経営資源」へと拡大する原動力となったのだ。
PAOSの仕事でもう一つ注目すべきは、プロジェクトにおけるオープンシステムの採用だ。デザイナーやリサーチャーといった人材をPAOS 内だけでなくフリーランスのデザイナーとの協働体制によって、クライアントである企業に最適のデザイン成果を実現していた。(例えば NTTは東京オリンピックのポスターデザインで知られる、グラフィックデザイン界の巨匠、亀倉雄策を起用し大成功を納めている。)2000年以降、インターネット社会になって普及したコラボレーション、アライアンスなどの仕事の進め方を、すでに20年以上も前に実現させていたということだ。
PAOSの仕事は、デザイナーの作品主義とは性質が異なる。業務の主体はあくまでも経営コンサルティングであって、デザインはその結果であり、クライアントである企業のものだ。しかし、日本のデザインにとって非常に重要なデザインアーカイブなのである。
Masterpiece
代表作
・セキスイハイム(1973)
・マツダ(1975)
・松屋銀座(1978)
・ケンウッド(1982)
・神奈川県(1983)
・ブリヂストン(1984)
・NTT(1985)
・東レ(1986)
・伊藤忠商事(1992)
・NTT DoCoMo (1992)
・ベネッセコーポレーション(1994)
・早稲田大学 (2007)
書籍
『『デザイン・ポリシー(企業イメージの形成)』浜口隆一 共著(1964)美術出版社
『DECOMAS-経営戦略としてのデザイン統合』(1971)三省堂
『企業とデザインシステム全13巻』(1979~1983)産業能率大学出版部
『価値創造する美的経営』(1989)PHP研究所
『感動成長の発想』(1995)プレジデント社
『世界のCI選―Identity Design of the World』(2001)上海辞書出版社
『脈動する超高層都市 激変記録35年』(2006)ぎょうせい
『コーポレート・アイデンティティ戦略』(2010)誠文堂新光社
他
Interview
インタビュー
私たちが一貫して行ってきたことは、
「デザイン思考」とその実践そのものなのだと思います。
日本型CIを開発する
― 中西さんはPAOSという組織を設立して、それ以前の日本ではほとんど意識されていなかったCI(コーポレート・アイデンティティ)やブランドデザインという概念を知らしめ、100社以上のCI及びVI(ヴィジュアル・アイデンティティ)、ブランドや事業開発を実践してきました。いわゆる「デザイン」という切り札をもって、数多くの企業の経営コンサルティングをしていらしたわけです。その記録は日本のデザイン史、企業経営にとって重要な資料、アーカイブととらえることができますね。
中西 PAOSは1968年設立なので、来年(2018年)で創立50年です。その間、「デザイン」という視点を核に100社以上の企業の経営コンサルティングを行ってきました。企業の理念や事業のあり方をCI/VI、ブランドデザインといった手法、さらにシンボルマーク、ロゴタイプ、サイン、印刷物、最近ではWebデザインといった「核拡デザイン」によって見える化させてきました。私たちが手がけてきたデザインワークは、いわゆるデザイナーの方々の作品主義とは異なるものだと認識しています。
― 確かにそうですね。PAOSが手がけてきたデザインはあくまで経営戦略の一手段としてのデザインであり、重要なのはその背景にある企業存立や事業開発の戦略や構想ということですね。それにしても、以前拝見したCIマニュアルには膨大なデザイン思想やノウハウが詰まっていて、あれだけでも重要なデザインアーカイブであると思います。
中西 私たちは数年というスパンでCI/VIのコンサルティングや開発に取り組み、最終的にはそれらを1連のマニュアルというかソフトの資産にまとめてクライアントである企業に納品します。その後は、その企業がマニュアルにそって展開していくわけですから、それらはPAOSのデザインアーカイブというよりもむしろクライアント側の経営資源であるととらえています。
― しかしながら、ひとつのマニュアルの完成に至るまでには、さまざまな専門家による膨大な調査研究、デザインワークが実践されているわけです。マニュアルに納まらなかった情報や知識もたくさん存在するのではないでしょうか。そうした資料の現状はどうなっているのですか?
中西 個々のプロジェクトの記録、調査データや資料、デザインワークなどは、現在5カ所の倉庫に分けて保存しています。
― それらは具体的にはどのようなものなのでしょうか?
中西 世界中の著名企業から集めたCIやブランド戦略マニュアルは350冊ほどあります。またコンサルティングを行っていく上で参考にした資料、PAOS自身がプロジェクトごとに収集し制作したデータやレポート、またロゴやシンボルマークのアイデアスケッチやスタディなどのデザインワークスなどもありますが、量が多すぎて自分でもしっかり記憶できていません。問題は、こうしたグローバルな資料類を今後どのように引き継ぎ活用していくかということです。
デザイン思考は書籍化して残す
― 中西さんは早稲田大学で自ら独自のデザイン研究会を設立し、PAOSの先駆けとなるような研究調査を行っていらした。その一環として、3M、コカ・コーラ、IBM、英国国鉄といった欧米のビックカンパニーに直接手紙を書いてデザインマニュアルを収集することから始められたのですね。
中西 一歩先んじている欧米の実態を知ることが大切だと考えたからです。驚いたのは、日本の一大学の研究グループの申し出に対して、多くの企業が貴重なマニュアルを提供してくれたことです。私はそうした企業姿勢にまず驚き、感激しました。
― そして、それらを参考にさらに活動を深化させて、今でも日本型CIのバイブルとなっている『DECOMAS―経営戦略としてのデザイン統合』という本にまとめられたわけですね。DECOMASとはDesign Coordination as A Management Strategyの略で、1971年の出版は、まさに日本のCI元年となり、30年で10版を重ねていったわけです。その後、第二弾である『New DECOMAS―デザインコンシャス企業の創造』も出版されていますね。他にもたくさんの著書がありますが、それらすべてが中西さんとPAOSの実践を考察した、デザインアーカイブということができますね。
中西 確かにそうかもしれませんね。
― そもそも、欧米を起源とするCIを日本に導入するにあたり、PAOSが目指したことはどんなことだったのですか?
中西 私たちは当初から日本独自のCI/VIの創造にこだわってきました。例えば、アメリカのデザインはマーケティング志向です。それはビジネスを優先するアメリカ企業の文化性からきています。CIやブランドデザインにも同じような傾向があります。一方、最近はだいぶ変わってきましたが、日本企業には独自の経営風土や存立文化があり、必ずしもマーケティング一辺倒ではありません。そのためアメリカとは違ったアプローチによる日本型CIの開発が不可欠だったのです。70年代後半から80年代、90年代は企業が成長から成熟期を迎え、意識のある会社ほど企業としての文化や美しさを高めることに積極的でした。つまり「用の美=益の美」であり、CIに取り組むことが利益の向上につながると考えられていたのです。
― それが日本型CIとして、80年代に多くの企業が取り組む背景となったのですね。
中西 最近「デザイン思考」とか「Design Thinking」という言葉をよく耳にしますが、私たちが一貫して行ってきたことは、まさに「デザイン思考」とその実践そのものだと思います。私自身はCIとは企業の思考や経営、存立意識の表れであると考えています。ですから、私たちの活動を書籍などで記録化していくことがとても重要だと思います。
― なぜ、本というかたちなのですか?
中西 ロゴやシンボルマークなどのデザインは永遠ではなく、時代に即して変化していくものだと思います。もちろん私たちは息の長いデザインを提案しているつもりですが、最近ではM&Aのような経営環境の変化によって、変えざるを得ない状況になることもあります。しかしながら、本としてまとめられた思想や哲学は時代に即して発展・深化させていくことが可能な知的ストックなのです。
デザインミュージアムについて
― 日本のデザインアーカイブ、あるいはデザインミュージアムについてどのようにお考えでしょうか?
中西 1995年の阪神淡路大震災のために立ち切れになってしまいましたが、私はかつて「神戸市 デザイン史博物公園」なる企画を考えていました。企画書は今も保存してあります。当時の神戸は宮崎辰雄市長のもと、潤沢な資金に支えられて、「神戸市株式会社」と称されるほどに独自の事業計画がありました。「デザイン史博物公園」もその一つであり、私が神戸市出身で、数多くのCIや事業デザインを手掛けていたことから相談が持ちかけられたのです。
90年代に入るとCIブームも落ち着き、「これからはブランドデザインだ!」と言われていました。私としては、もともと情報化社会でのCIにはブランド戦略という概念も含まれているので、CIが表層的にしか理解されていないことを残念に感じていました。そんなこともあって、私は単なるの物のデザイン展示ではない生活文化の凝縮として、博物館を提案したいと考えていました。
― 具体的にどのような構想だったのですか?
中西 90年代はバブルがはじけて人々の物欲が一段落し、生活の質や文化性が求められるようになっていました。そこで単にデザイン作品を陳列するのではなく、デザインが生まれた背景や仕組みといったソフト・ハ―ドを合わせて収集し、調査研究も行える博物館を構想したのです。
例えば、19世紀後半のイギリスで起こったアーツ・アンド・クラフツ運動を推進したウィリアム・モリスの名住宅を再現し、室内には当時の家具や道具、そして近代芸術作品なども展示してモダンデザインの萌芽を空間や環境として体感してもらいたい。そうした近代デザイン史を飾る名住宅を30棟ほど、なるべく同時代の生活をリアルに再現し、人々の生活の場や道具を通してデザインの本質・役割をシステムとして見せたかった。
博物公園は、模型まで制作していましたが阪神大震災が起こり、神戸市はそれどころではなくなりました。あれから20年以上も経ちましたが、日本にデザインミュージアムが誕生していないことはとても残念です。
― 先ほど、中西さんはPAOSのアーカイブだけで倉庫が5カ所あるとおっしゃっていました。また来年はPAOS創立50周年だともうかがいました。そこで何か日本のCIの歴史を振り返り、同時に未来を展望するような展覧会、シンポジウムの計画などはないのでしょうか? 企業の在り方が大きく変わる今、とても意味のある企画になると思います。
中西 そう言っていただき嬉しいです。たまたまこの度JAGDA(日本グラフィックデザイナー協会)神奈川地区の依頼で、横浜国立大学を会場に50年を振り返る「中西元男の世界展」なる催しをいたしました。ご来場者からは「デザインの新しい意味や世界を識りました」などの声を多数お寄せいただきました。
― 本日は貴重なお話をありがとうございました。
文責:関康子
参考