日本のデザインアーカイブ実態調査
DESIGN ARCHIVE
University, Museum & Organization
大阪中之島美術館準備室
インタビュー:2019年6月27日 13:30~15:00
取材場所:大阪中之島美術館 準備室
取材先:植木啓子さん(大阪中之島美術館準備室 研究副主幹)
インタビュアー:関康子 涌井彰子
ライティング:涌井彰子
Description
概要
大阪中之島美術館は、構想から30年以上もの準備期間を経て、ようやく2021年度に開館することになった美術館である。すでに、日本と西洋の近代美術をはじめ、現代美術、デザインなど多岐にわたる5,700点超のコレクションが所蔵されており、2022年4月から本格的な展覧会が開催される予定だ。
また、日本で数少ないアーカイブに力を入れている美術館でもあることも注目されており、昨年6月に訪問した折には、準備室室長の菅谷富夫さんから、その成り立ちやデザイン分野におけるアーカイブ事業の概要に関する貴重なお話を聞かせていただいた。
同美術館に所蔵されている資料群(アーカイブズ)は、「具体美術協会」、日本最古の広告代理店「萬年社」、広告頒布誌『プレスアルト』など多岐に渡る。また加えて、同美術館は家電を中心とした工業デザイン製品の情報を集積・発信するために設立された「インダストリアルデザイン・アーカイブズ研究プロジェクト(IDAP)」の事務局としての役割を担っている。
今回は、IDAPの情報収集から整理までの作業を行っている植木啓子さんを訪ね、具体的な仕事内容や直面する問題点など、より詳細な内容についてお話を伺った。
Interview
インタビュー
アーカイブは、保管・整理・公開が伴わなければ単なる倉庫
自分たちで整理・管理できるものなのか慎重に考える必要があります
IDAP設立の背景
― 昨年、訪問した際は、美術館設立の経緯やデザインのコレクションなどを中心にお話を伺いました。今回は、アーカイブ事業についての詳細についてお聞かせいただきたいと思います。
こちらが事務局をされているインダストリアルデザイン・アーカイブズ研究プロジェクト(IDAP)では、家電を中心とした工業デザイン製品の情報収集を行っていらっしゃいますが、まずその背景について教えてください。
植木 IDAPの活動は、2014年の秋に立ち上がった、大阪中之島美術館準備室、パナソニック、京都工芸繊維大学との産学官連携プロジェクトから始まりました。ちょうど私たちも、戦後のデザインをコレクションするにあたり、大阪にある公立美術館としてのしっかりとした軸足をどこに定めるべきか、という問題を抱えていたんです。そうしたなかで、家電王国と呼ばれる関西において、その部分を欠かすことはできないだろうということになりました。
けれども、家電製品の包括的なコレクションをもつことは物理的に無理です。それで、自社製品を保存する企業と協力して、その情報を収集し、美術館はプラットフォームとしての役割を担う体制を考えました。そして2年後に、より幅広い企業や研究機関との協力関係を築くためにプロジェクトを協議会へと発展させ、現在に至ります。
現物とオーラルヒストリーから情報を収集
― 工業デザインのアーカイブとなると、製品数だけでも膨大ですよね。さらに設計図や、パンフレットなど、関連資料も多岐にわたると思いますが、どのように情報を収集されるのですか。
植木 基本的には現物主義とし、実際の製品が残っているものを対象にしています。やり始めてからわかったのですが、設計図は残っていないことがほとんどです。製品の詳細を確認するために意匠登録の情報をあたることもありましたが、意匠登録特有の書き方というものがあって、製品の実際とは微妙に異なります。現物があれば、サイズも測れますし、製品番号などを記したラベルも貼ってあるので、そこからいろいろな情報を得ることができます。
企業に現物が残っていない場合は、個人の方が残しているものを探すなど、少しずつ紐解きながらやっている状態で、情報は意外にあるようでないんです。当初は、ありすぎて困るくらいだと思って、調査項目を120項目も設けたのですが、それが全部埋まったことは一度もありません。
― 120項目もあるんですか。それをお一人で収集して記録しているんですよね。
植木 バイリンガルにした合計が120項目なので、内容としてはその半分の60になります。工業デザインの場合、素材がプラスチックだというだけでは情報が足りないので、成形や表面加工の方法など、技術的なことも含めるようにしています。60項目が埋まるようなことはありませんが、それでも美術品と比べると数は多いですから、一人ではなかなか進みません。
― 現物を見れば、材質や加工までの情報がわかるものなのですか。
植木 製品開発を手がけたデザイナーの方から、材質まではなんとかわかっても、昔のものになればなるほど、その加工や見えない部分の詳細については当時の開発者にしかわからない、と言われたんですね。そこで、当時の開発者の方たちを訪ねて、製品開発の経緯から掘り起こすために、オーラルヒストリーを実施することにしました。
けれども、1950年代から1960年代までの開発に携わった方たちの多くは、残念ながら既にお亡くなりになっている。ご存命の方のお話は聞くことができているものの、オーラルヒストリーで得た情報と、現物から得た情報を完全に一致させるのは不可能なので、どちらの情報も手を加えず、異なる情報として扱い、まずはとにかく集められるものを蓄積していくという方針にしています。
― オーラルヒストリーも、植木さんお一人でされているんですか。
植木 一人の場合もありますが、企業の現役社員の方や研究協力者のOBデザイナーの手をお借りしてインタビューに取り組む場合もあります。しかし、インタビュー後の作業は私の手に残ります。現在、約20人の方からお話を聞けてはいるのですが、記録は溜まっていくばかりです。アルバイトさんに文字起こしをお願いすることもありますが、公開できる記事や報告書というかたちに整えるまでにはまったく追いついていません。
また、お話を伺ううちに、アプライアンスといわれる完結型の製品と、建材、内装、配線といったインフィル系の製品を、同じ方法で記録するのは難しいということがわかりました。そこで、インフィルに関しては、IDAPのなかで分科会として切り離し、積水ハウスのOBの方のご協力のもとで進めています。それでも、二人だけですし、今ではアプライアンスのほうの活動が滞りがちになってしまったので、今後はもう少し協力者を得て進めたいと思っています。
表からは見えない膨大な作業
― 開発者がご存命のうちに訪ねなければなりませんし、膨大な調査項目も埋めていく作業もやるとなると、とても追いつかないボリュームですね。
植木 まだ製品数は少ないのですが、現在、美術館の暫定的なウェブサイト内に、IDAPのページを設けていて、その中にある「インダストリアルデザイン・アーカイブズ」というページに、情報の一部を製品の写真とともに公開しています(http://nak-osaka.jp/idap/archives.html)。そこに載せている情報は、大本の情報管理データベースから、発売年、寸法、主な素材・加工、価格など、公開用の項目だけを抽出したものです。例えば「主な素材・加工」の欄に掲載している内容は、情報管理データベースに、製品の細かい部分ごとに登録されている素材や加工の情報を簡略化して合体しています。情報管理データベースの項目を埋める作業は随時コツコツと進めているのですが、まだまだ登録できていない情報がいっぱい溜まっています。
― 表に出ている情報からは見えない、膨大な作業を裏でしていらっしゃるんですね。そうした詳細な情報が取れる、設計図面や技術関係の資料なども、たくさん残っているのですか。
植木 設計図面や意匠登録に関する項目も設けているのですが、先にもお話した通り、こうした資料は開発者の方が保管されていない限り、なかなか出て来ないので、あまり埋まることはありません。残っている資料の多くは、お客様用や販促用のパンフレットですね。
― 写真も、植木さんが撮られているんですか。
植木 何を撮影するかは私が指示しますが、撮影自体はプロにお願いしています。以前手がけた工業デザインの展覧会のカタログ用に、製品の全面を撮影したのですが、これがものすごく評判がよかったんです。前面だけでなく、背面や側面などを5面、6面撮ることで伝わる情報があるということを、そのとき実感しました。それなので、このページで公開している写真もいろいろな角度から撮影したもので、かなり大きく拡大できるようにしています。
工業デザイン特有の問題点
― 美術館では、工業デザイン以外にも、デザインのアーカイブを手がけていらっしゃいますよね。
植木 IDAPは、大阪中之島美術館が取り組んでいる本来的なアーカイブ事業とは趣旨もかたちも異なります。実際の資料群を美術館で収集して、整理・保管する事業ではなく、あくまで情報収集と公開に特化したプロジェクトですから。一方、デザイン分野における本来のアーカイブ資料としては、前回の取材時に室長の菅谷がお話しした、萬年社という日本最古の広告代理店の資料のほか、『プレスアルト』という関西で戦前から1980年代まで発刊された広告頒布誌と発行元の「プレスアルト会」が所有していた資料があります。その包括的な整理・調査は、同志社大学の研究者を中心としたチームが進めてくださっています。
さらに、戦後の関西の都市建築の研究を進めるために、大阪市立大学の工学部との連携を始めています。家電・広告・建築の三つがそろうことで、戦後の関西・大阪の都市と生活を、俯瞰的な視点から捉えることができるようになればと考えています。
ただ、やはりこの膨大な数のものを、今のペースで進めていては、やるべきことは増えるばかりで減っていかないのが一番大きな課題です。おそらくどの分野でも、アーカイブをやっている方はみなさん同じだと思いますが、とにかくお金と人と場所が必要だということに尽きると思います。
― IDAPのほうも、大学と連携して学生に手伝ってもらうことはできないのでしょうか。
植木 大阪工業大学をはじめ、IDAPに協力していただいている大学はありますが、学生さんの協力となると、歴史的な工業デザインを研究テーマに選ぶ方があまりいないので、なかなか難しいですね。デザイナーを目指している人は、昔の製品には興味がない人が多いですし、デザイン史となると美術史以上に将来的につぶしがきかないので、手を出す人は少ないです。たとえデザイン史に興味があったとしても、今の学生さんはエコが謳われた時代以降に育ったので、大量生産・大量消費というものに悪いイメージをもっている人が多くて、昭和の工業デザインに注目してもらうのは難しいのかもしれません。
ただ、企業でアーカイブを管理されている方たちは、それを仕事としてやっているだけでなく、文化的な再発見があるということに対して賛同してくれたり、情熱をもってくださったりするので、とにかく美術館が開館する2021年度末までには、「ここまではできた」というかたちにして、次の世代になんとか引き継いで行けるようがんばろうと思います。
アーカイブ事業に共通する問題
― アーカイビングの専門家であるアーキビストがいる美術館はどれくらいあるのでしょうか。
植木 アーキビストを、アーキビストとして採用している美術館は、まだ少ないと思いますが、われわれの美術館には専門職としてのアーキビストが1名おります。アーキビストは美術とデザイン両分野のアーカイブズを管理しています。また、デザインを専門とし、デザイン作品とアーカイブ資料の整理・研究に従事する学芸員が室長の菅谷を含めて4人おります。これは日本でもわれわれの美術館だけだと思います。
今後のアーカイブ事業は、整理や管理、資料閲覧の対応、著作権関連の課題への取り組みなど多岐にわたります。一人のアーキビストがすべてを行うのは物理的にも時間的にも無理なので、開館時にはもう少し人的な補強は必要だと考えています。
― すばらしい体制ですね。現在、さまざまな業界で、アーカイブの重要性が急速に認識されつつありますが、それについてどうお考えですか。
植木 おそらく、今まで溜めに溜めてきたものが、どこも限界に近づいている状況なのではないでしょうか。われわれの美術館は、30年間も準備室の状態だったということも特殊なのですが、建物がないなか、公開の場が限られているなかで収集を行ってきたという、通常とは異なる状況があります。念願の開館を前にして、集積した資料の公開という課題にあらためて向き合うことになり、整理の必要性が他館よりも急速に高まったので、アーキビストが必須だと考えたのだと思います。
また、作品だけでその周辺の資料がないと、研究にも自ずと限界があるということを、キュレーターや研究者がわかっていたとしても、けっしてお金が潤沢にある業界ではないので、目の前に迫る展覧会を回していくので精一杯だったという部分もあるでしょう。アーキビストが必要だという認識が広まるのは非常にいいことですが、だからといって現在抱えている問題が解決したわけではないんですね。
― MoMAやV&Aなど、海外のミュージアムのアーカイブは充実しているのですか。
植木 彼らとしてはけっして十分ではないと思っているのでしょうが、われわれから見たらうらやましいほどの環境でアーカイブ事業が進んでいます。MoMAにしても、V&Aにしても、アーカイブ室を設置していますし、公開もしています。デザイン分野で言えば、ニューヨークのクーパーヒューイット・デザインミュージアムも近年アーカイブ事業をずいぶん推し進めましたし、ドイツのバウハウスアーカイブ&ミュージアムもバウハウス100周年にあたって外部資金を調達し、アーカイブをさらに充実させています。ただ、抱える問題の本質は、われわれのものと同じだと思います。
― 金・人・場所の問題というか、お金が一番の問題ですよね。予算があれば、人も場所も確保できますから。
植木 本当にその通りだと思います。文化活動に対する予算が増えないなかでは、どこかをプラスしたら、結局はどこかをマイナスにしなければいけません。その中で一番いい選択はどこなのかを、みんな一生懸命考えて、考えて、考え続けて、また次の世代に移って、また考えて、考えて……となっていくしかないような気がしています。
IDAPに携わるようになった当初は、あと10年早く始めていたらもっと違っていたのではないかとよく思いました。でも、その一方で、始めていなければ失われてしまっていたものはたくさんあったのだろうと。おそらく、最初に思い描いていた理想のかたちに到達することは、私のキャリアの中ではないでしょう。けれども、始めたことはよかったのだと思っています。
アーカイブを受け入れる際の要望
― これまでの取材を通じて、アーカイブを受け入れる側の方々のご苦労を目の当たりにしました。特に、無造作に資料を入れた段ボールが大量に持ち込まれている状況を目にしたとき、寄贈する側が整理する側の作業に即した送り方をすることで、負担を少しでも軽減できるのではないかと思ったのですが、最低限これだけはしておいてほしいということは、どんなことでしょうか。
植木 種類ごとに分けてくださると大変ありがたいです。例えば、グラフィックデザインの場合だと、校正稿や指示書など制作プロセスがわかるものと、成果物である印刷物と分けていただけると、だいぶ楽になります。
― プロジェクトごとではなく、モノごとのほうがいいのはなぜですか。
植木 プロジェクトごとでも、何もされていないよりはいいのですが、例えばグラフィックデザインの場合だと、印刷されているものと、水彩やペンが使われているものでは、保管するときの扱いが微妙に違うんですね。たしかにプロジェクトごとにまとまっていると時系列で追えますし、その背景を知るにはとても便利なのですが、最終的な保管を考えた場合、媒体別に分かれていたほうが楽なんです。当然、納めておく箱の大きさがあるので、大きさ別になっているとさらにいいのですが、まずは印刷物とそうでないものに分けていただけると、とても助かります。ほかの分野の資料では事情は異なるとは思いますが。
アーカイブを維持するための取捨選択
― アーカイブとしては、あるがままの状態で取っておくのが一番の理想ですが、スペースは限られていますから、どうしても取捨選択せざるを得ないことがあります。そのあたりはどのように対応されていますか。
植木 価値判断で選別はしませんが、アーカイブの方針としての判断による取捨選択はしています。扱う分野によって違いますが、グラフィックデザインの場合は、いったんすべてを受け取って、校正稿など同じものが複数枚あるものは基本的には1枚だけを保管します。残りについては、明らかに資料的価値がないものや、状態が悪すぎてほかのものに悪影響を及ぼすものとともに、元の所有者にお返しするか、同意を得て処分することにならざるを得ません。本については、公立図書館に所蔵されている一般図書などは基本的にはいただきません。ただし、そこに作家の書き込みがあるなど、一般複製物とは違った独自性のあるものの場合は残しています。そのため、寄贈していただくときには、そうしたさまざまな事情で廃棄することに同意していただく必要があります。
IDAPは、製品自体は企業で保管しているので、まだ私一人でもやっていけますが、実資料を受け入れる場合は、負わなければいけない責任も大きくなります。ですから、何でも預かるのではなく、自分たちの手で賄いきれるものなのかどうか、よく考えたうえで受け入れの判断はすべきだと思います。保管と整理と公開が伴わないと、アーカイブではなく単なる倉庫になってしまうので、そこは常に慎重に考えなくてはいけないし、慎重に考えるうえで基準を示してくれるのもアーキビストの仕事だと思うんですね。
デジタル時代のアーカイブの方向性
― あらゆるものがデジタルに置き換えられる時代になって、今後のアーカイブもコレクションも、モノからデジタルになる割合が増えていきます。そうなると、保管の仕方も大きく変わりますが、そのあたりはどうお考えですか。
植木 データは生ものですから、サーバーという名の冷蔵庫に入れておきますが、賞味期限があるので、10年後、20年後には使えなくなっている可能性があります。あるいは、冷蔵庫自体が壊れていて取り出せなくなることもあります。そうした部分を、連続性をもって検証しながらデータをケアしていくことがいかに重要かということを、うちのアーキビストが口を酸っぱくして言っているのですが、そのような意識はまだそれほど広く普及していないと感じています。ですから、データを受け入れる時に、どのような形態、どのような質のものを入れればいいのかを、専門的な知識をもって判断できる人間が必要だろうと思います。
― 世界的な動きとしてはどうですか。
植木 デジタルコンテンツのコレクションは、世界的にあまり進んでいないようです。MoMAでも始めてはいますけれども、モノのコレクションに比べたら遅いというか、様子見をしている感じがします。今の段階では将来的にどういう規模になって、どのような負担が生じるのかを見極めるのはとても難しいと思いますね。スペース的に考えるとデータは場所を取りませんが、メンテナンスコストなどがどのような規模になるのか、今の段階ではわかりませんから。
― セキュリティ、ハードディスクの寿命、記録メディアやクラウドなど、今後大きな変化があったときには、丸ごと入れ替えなければいけない可能性を考えると、常に手間がかかるので、最終コストとなると想像がつきませんよね。
植木 そうですよね。例えば、紙資料は、適切な保存環境さえ用意すれば100年は大丈夫です。今の紙は酸性紙ではないので、もっと長くもちます。つまり、100年間放っておいてもいいわけです。データは、状態が悪化していないかどうかを目の前で確認できませんし、いざというときに開かなくなってしまう可能性があります。
私たちも、作品を撮影したデータの入ったハードディスクが壊れて開かないという失敗を何度も経験したので、デジタルは要注意ですね。今後は、自分たちでデータを抱えるのか、クラウドに預けるのか、そもそもコレクションとはなんぞや、というようなことまでいろいろ考えながら、ぐるりと回って戻ってくるのかな、という気がしています。
開館に向けた今後の展望
― 今後、デザインのコレクションやアーカイブの収集については、関西の方を優先されていくのですか。
植木 デザインに関しては、先ほど申し上げた通り、日本には公的なデザインミュージアムがありませんし、デザイン専門の学芸員が4人もいる美術館は国内にありませんから、関西だけに特化するようなことはないと思います。
ただ、大阪に美術館を構える意義や意味を常に考えていますし、地元の財産や文化というものを、われわれが掘り起こさないで誰が掘り起こすのか、われわれが残さないで誰が残すのか、という思いはあります。けれども、大阪のことだけをやって、「大阪はよかったね話」をつくるつもりはないんですね。単なる地域史ではなく、全国的あるいは国際的な視野をもちながら、地域の財産がどれだけ大きな影響を残したかということを示していきたいと。そのためには、まだまだ溜まっているものをコツコツと整理しなければなりません。
美術館は、2022年の3月までに開館して、本格的な展覧会は4月から開催する予定なので、それに向けて鋭意努力していきたいと思います。
― 2021年度の開館を楽しみにしています。お忙しいなかお時間をいただき、ありがとうございました。
問い合わせ先
大阪中之島美術館準備室 http://www.nak-osaka.jp
インダストリアルデザイン・アーカイブズ研究プロジェクト http://www.nak-osaka.jp/idap/index.html
大阪新美術館建設準備室
インタビュー:2018年6月24日 13:00~14:30
取材場所:大阪新美術館建設準備室
取材先:菅谷富夫さん(大阪新美術館建設準備室室長、研究主幹)
インタビュアー:久保田啓子、関康子
ライティング:関康子
Description
解説
大阪新美術館(以下新美術館)は、日本のバブル景気最高潮の1988年に構想が発表されて以来30年、さまざまな時代の変遷を経てようやく2021年度開館する予定だ。今回、お話を伺った建設準備室室長、研究主幹の菅谷富夫さんは、1992年以降、準備室メンバーの一人として「これからの美術館とは」を問い続けきた。そして日本ではまだ定着していない「デザインアーカイブ」という活動領域を発掘し、その基礎づくりにあたっている。
現在でもすでに、東京国立近代美術館工芸館、富山県美術館、武蔵野美術大学美術館・図書館など、デザインコレクション&アーカイブを持っている美術館はある。しかし、それらの多くは「ポスター」や「椅子」「工芸品」などの特定のテーマであったり、あるいは「亀倉雄策」や「柳宗理」といった巨匠たちの仕事を対象としている。もちろんこれらもひじょうに貴重なアーカイブには違いないが、もう少し大きな世界観でデザインを俯瞰できるものもほしいところだ。なぜならデザインは人々の生活に密着した道具や環境であり、一個の椅子、一枚のポスター、一台の自動車といった単体では成立していないからだ。言い換えれば、デザインアーカイブは社会、文化、科学技術などの研究に欠かせないコンテンツでもある。作品性では美術品に及ばないかもしれないが、社会の貴重なアーカイブとして保存されるべき対象であると言える。
そんななか大阪新美術館は、活動方針に「特別/企画展覧会」「コレクション展示」「連携」「アーカイブ」の四つを謳っている。公立の美術館で「連携」と「アーカイブ」が堂々と記される例を知らないが、どうやらこの二つが新美術館の活動の目玉になるようだ。公立の美術館の活動とデザインアーカイブがどのように結びつくのか、どのような体制で取り組むのか、そのあたりの疑問を菅谷富夫さんに伺った。
Interview
インタビュー
アーカイブの価値は未来の人が決める
大阪新美術館の概要
― 大阪新美術館(以下新美術館)はデザインアーカイブにも力を入れていくと聞いています。大きなチャレンジだと思いますが、まず、美術館の概要についてお聞かせください。
菅谷 2021年度開館を目指して準備を進めています。敷地は大阪市の中心、中之島で、江戸時代には広島藩の蔵屋敷があったという歴史的な土地です。新美術館はその遺構の保存と、堂島川や淀川、大阪湾も近いために水害への配慮もあって、地下を掘らずに地上5階建ての建物になります。建築設計はコンペティションで遠藤克彦さんが選定され、「さまざまな人と活動が交錯する都市のような美術館」というコンセプトに沿って建設が進められています。
運営は、現在、大阪市が管轄している大阪新美術館(建設準備室)、大阪市立美術館、大阪歴史博物館、大阪立自然史博物館、大阪市立科学館、大阪市立東洋陶磁美術館の運営、建物、作品が来年創設予定の独立行政法人に移管されます。新美術館はさらにそこから民間会社に運営が任され、開館準備、展覧会、広報などの企画運営にあたっていくことになります。
― 美術館の運営体制はなかなか複雑なのですね。
菅谷 従来の公立の美術館は与えられた予算の範囲内で事業を行うというのが一般的でした。それが独立法人化されて、そののち民間に運営が委ねられることによって企画や運営面で自由度が増し、自主裁量の幅が大きくなります。また職員を中心にさまざまな人材が参加できる可能性が生まれ、時代に即して柔軟にユニークな企画や事業を実現できるものと考えます。
― 新美術館の柱となるコレクションにはどのようなものがあるのでしょうか?
菅谷 美術コレクションは、19世紀後半から現代に至る国内外の絵画、彫刻、写真、版画、デザインなど約5600点で、そのうち寄贈が4600点、購入が1000点となっています。なかでもパリで活躍した洋画家の佐伯祐三の絵画60点、モディリアーニやブランクーシなどの西洋近代美術の作品、また大阪を拠点に活動した吉原治良と具体美術協会の作品約900点は、新美術館を特徴づける重要なコレクションです。デザインは、19世紀のアーツ・アンド・クラフツ運動からアール・ヌーヴォー、ウィーン工房、バウハウスに至るエポック的な作品群があり、なかにはオットー・ワグナー、リートフェルト、アアルト、日本の倉俣史朗などモダンデザインの巨匠たちの作品も含まれます。
デザインアーカイブ事業を模索
― さっそく、デザインのアーカイブについて詳しくお聞きしたいのですが。
菅谷 大阪新美術館は1988年に構想が発表され、90年に準備室が開設されてデザイン分野を含む基本方針が定まりました。その後もさまざまな議論を経て、従来のコレクションに加えて独自の特色を持たせようと、大阪の産業・商業的な土地柄を反映したデザインアーカイブを柱に加えました。
そのひとつが、戦後日本、特に関西のデザインを象徴する家電製品です。本来なら現物のコレクションが基本となるところですが、実際には不可能に近いのです。なぜなら家電といっても洗濯機、冷蔵庫、炊飯器、配線器具、照明器具など対象物の種類がとても多い。さらに、例えば洗濯機に限っても時代性や技術革新、エポックデザインといった視点で絞り込んでもかなりの数になります。そのすべてを収蔵する収蔵庫を設置することも、適切にメンテナンスすることもできません。
― そこで、現在はどのようなかたちで進めているのですか?
菅谷 私たちとしてはメーカーの協力を得ながら二つのアプローチで資料のアーカイブ化を進めています。ひとつは写真や製品の仕様や詳細のスペックのわかる資料です。写真は、建築の設計図面のように平面や立面といったアングルも含めて再撮しています。もうひとつは当時開発にあたったデザイナーのオーラルヒストリーの聴取で、開発当時のデザインや社会の状況などをインタビューしています。
言い換えれば、家電製品の「記録」と「記憶」を同時に集めることによって、より多義的なデザインアーカイブを整備ができるのではないかと考えています。
― 一つひとつプロセスを重ねていくという膨大な作業ですね。
菅谷 私たちだけでは到底できません。幸いなことに大学の先生方々も興味を持って下さり、2014年に大阪新美術館準備室、パナソニック、京都繊維工業大学を中心として産学官三者連携事業「インダストリアルデザイン・アーカイブズ研究プロジェクト(IDAP)」を立ち上げました。最近ではそれを発展させるかたちで「インダストリアルデザイン・アーカイブズ協議会」を設立して、パナソニック、シャープ、象印、大阪ガスなどの在阪企業や大阪工業大学、武蔵野美術大学にも加わっていただいています。少しずつですが活動の輪が広がっていると感じています。アーカイブの進捗は随時ウェブにアップしていく予定です。
― デザイナーへのオーラルヒストリーも楽しみです。
菅谷 製品開発においてデザイン発想が入ってくるのは50、60年代で、多くのメーカーがデザイン部門を設立してデザイナーの雇用を始めます。いわゆるインハウスデザイナーの登場ですが、この時期に活躍され た方々はすでに引退しています。彼らから資料では計り知れない製品の開発物語や当時のデザイン状況についてヒヤリングすることで、デザインを多面的に捉えることができると考えています。こちらも整理でき次第、ウェブにアップしていく予定です。
― 画期的なアーカイブになりそうですね。
菅谷 まだまだ長い道のりですが継続していきたいですね。このようなプロジェクトによって、メーカーやデザイナーの製品や資料の保存に対する意識が高まっていくことも期待したいです。
― 新美術館では現物の保管は難しいとのことでしたが、そこはメーカーに任せるということですか?
菅谷 その通りです。私たちはアーカイブ作業を進めるなかで、何がどこに、どのような状態で保存されているかという記録を作成します。それを美術館、メーカー、研究者や関係者と共有することによって、必要なときに現物確認が可能になると思います。もちろんメーカーのみなさんのご協力が大前提ですが。大切なことは、アーカイブ業務をひとつの機関ですべてを行うのではなく、適材適所で分散するとともに情報を集中させるシステムすなわち、プラットフォームを構築することです。
― 家電以外にはどのようなものがあるのでしょうか?
菅谷 2012年にサントリーホールディングス社から「サントリーポスターコレクション」18,000点が寄託されました。2014年には、京都工芸繊維大学工芸資料館と共同で「ベルエポック時代のポスター展」を開催しています。
― ポスターと言うことではれば、数年前に開催された大阪出身の早川良雄ポスター展が印象的でした。
菅谷 東京国立近代美術館で開催されたものですね。その前にも大阪で当準備室主催で大規模な早川展を開催しています。実はあの世代には大阪出身のグラフィックデザイナーがとても多いのです。早川良雄をはじめ、片山利弘、田中一光、永井一正、テキスタイルの粟辻博は、最初は大阪で活躍して後に東京に拠点を移しました。最近では、有能なデザイナーばかりかパナソニックやサントリーといった大企業が宣伝や広告などの機能を東京に移転したので、関わっていたプランナーやデザイナー、カメラマンやコピーライターなどのクリエイティブ集団も一緒に移動してしまい、大阪の文化的空洞化が加速しつつあるのではないかと心配しています。
― 文化庁が京都に移転するようですが、クリエイティブの東京一極集中はいかがなものかと思いますね。
菅谷 日本は放送や新聞、出版などのメディア、文化機関が東京に集中していますが、アメリカやドイツなどではそうではないようですね。棲み分けも必要だと思いますね。
広告ということでは、大阪には1890年創立の「萬年社」という日本最古の広告代理店がありました。現代の広告代理店の業態をつくりあげた会社でしたが、広告業の東京集中の影響などもあり1999年に倒産しました。その結果、膨大な資料が散逸の危機に直面しましたが、大阪経済界の方々が関西企業の歴史と広告草創期の記録が散逸してはいけないと、それらを買い取って新美術館に寄贈してくださったのです。
― 大阪らしい気風の良さを感じさせるエピソードですね。
菅谷 萬年社本社ビルは大阪市内にありました。私は管財人と一緒に資料室に行き、コマーシャルフィルムやポスターなど200箱ほどを引き取ってきました。その中には企画書や社長挨拶文、調査のために収集された日本全国の新聞、海外の日本語新聞など、萬年社の活動とその時代を知る貴重な資料などが含まれています。しばらく手つかずのまま大阪市内の廃校に保管していたところ、大阪市立大学の先生方や学生、また「大阪メディア文化史研究会」のメンバーが手を挙げてくださって、アーカイブ化を進めてくれました。コマーシャルフィルムは6000本ほどをデジタル化しましたが、広告独自の複雑な著作権問題をクリアする必要があり、現段階で公開できていないのが残念です。しかしその概要は大阪市立大学ホームページのなかで「萬年社コレクション」の名前で公開されています。
― アーカイブは保存するだけでなく、公開されることが重要なのでしょうか?
菅谷 他にも大阪を中心に活躍し近年世界的に注目されている具体美術協会の関係者から200箱分の資料を寄贈いただきましたが、今、整理している最中です。私としては、こうした貴重な資料や作品を一般の方々に公開できる状態にいかにもっていくのかが大切だと考えています。アーカイブは保管され、活かされて初めて価値あるもとなります。
― ところで、お話を伺っていて思ったのですが、新美術館では、「アーカイブ イコール 展示物」ではないのでしょうか?
菅谷 美術館としてはアーカイブの対象は資料であって、作品ではありません。それはコレクションになります。もちろんアーカイブされた資料も展示されることはありますが、アーカイブとして保管しているものを展覧会のようなかたちで公開するには準備が必要です。私は、アーカイブの分析と研究をした後で展覧会を企画する場合、逆に展覧会を設定してアーカイブを整理していく場合、両方のアプローチがあると考えます。
― 個人のデザイナーでは倉俣史朗さんの資料をアーカイブするとお聞きましたが。
菅谷 はい。倉俣史朗さんは国際的に知名度が高く、今のデザインにも大きな影響力を持つデザイナーであると認識しています。19世紀から現代までのデザイン作品を収集している当準備室でも、倉俣さんの作品は「ミス ブランチ」をはじめ何点か所蔵していますし、今後も増やしていきたいと思っています。海外でも彼の作品を収蔵している美術館は多数ありますね。日本が生んだ世界的なデザイナーとして、新美術館のデザインアーカイブに倉俣史朗さんの図面や写真、スケッチなどの資料を加えたいと考え、現在、夫人の倉俣美恵子さんにご相談しているところです。
― デザイナー個人の貴重な資料が海外に行ったり散逸するなかでとても重要な活動ですね。
菅谷 先日、関西を拠点に活躍する建築家にお会いしたところ、代表作の図面のほとんどをパリのポンピドゥーセンターに寄贈されたと伺いました。実際に丹下健三さんをはじめ戦後の巨匠建築家たちの図面の多くがハーバード大学やポンピドゥーに行ってしまったと聞いています。現在、日本建築は世界の注目を集めていますが、研究者はパリやボストンに行かないと資料が見られないということです。デジタルやネットで見られたとしても、手書きの図面などはやはり現物を見たいものではないでしょうか。倉俣さんの資料も現在は美恵子さんのお手元にありますが、資料の重要性や保存・公開を考えるとやはり将来には公的な機関でお預かりしたほうがよいのではないかと考えています。それは将来の倉俣研究のもとになるものですし、結果として倉俣史朗の評価を高めていくことにもなると思っています。
デザインアーカイブと美術館の未来
― 今までは寄贈のお話が中心でしたが、作品やアーカイブを購入することもあるのでしょうか?
菅谷 美術品に関しては、作品購入は困難になってきています。すぐれた作品は市場に出回ることが少なく、出たとしても非常に高額なってきています。その一方でご寄贈いただいた資料のアーカイブ化はますます重要になってきています。まずはいただいた資料のアーカイブ化に取り組んでいきます。
― これから美術館の在り方も大きく変わりますね。
菅谷 うですね。新美術館でも、特別・企画展の開催、コレクションの展示、アーカイブ、連携という四つを行動指針に掲げています。先ほどのインダストリアルデザインアーカイブ、つまり家電製品のアーカイブではメーカー、大学、アートやデザインに興味のあるさまざまな方々と連携しながら、アーカイブの整備や活用の可能性を探っています。
ここ30年ほどで美術館の概念も大きく変わったなあと実感しています。以前であれば美術館は少しでも多くのスタッフをそろえて何でも自前で行おうとしてきましたが、現在は予算的にも大きな組織を維持できてなくなってきています。そこで出てきたのが「プラットフォーム」としての美術館像です。多様な人々が集い、流れ、出会い、アートやデザインを介して連携して活動する新しい公共施設というイメージです。
― すでにアーカイブの整備は進んでいるようですが、新美術館開館後は一般の人でも閲覧することはできるのですか?
菅谷 はい、それを目標にしています。現在、アーカイブに対する考え方も大きく変わってきています。以前であれば、最初に目録をつくって、整理して公開することが普通でした。でも最近は目録にこだわらず、まず年代や項目でざっくり大きな塊をつくって、そこから小さい塊に仕分けていくという方法で大まかに分類しておく。そして、閲覧の希望者がいれば小さい塊を幾つか見ていただき、その人たちの力も借りながら作業を進めていくというやり方です。
例えば、あるデザイン展のアーカイブであれば、企画書、展示物のリスト、展示計画、出版などの関係資料をすべてざっくりまとめておいて、閲覧した人たちも巻き込みながらアーカイブとしての精度を高めていくというイメージです。最初から完璧を求めたら、いつまでたっても公開・閲覧していただくことはできませんので。
― 新美術館の図面を拝見すると大きなアーカイブ室が設けられていますね。
菅谷 それなりの大きさを確保しているつもりです。ただ厄介なのはフィルムです。フィルムは普通の環境で保管していると劣化が激しく、低温低湿かつ空気が循環する特別なスペースが必要です。建築やデザインのアーカイブでは特に作品写真が膨大な量になります。そこで新しい美術館ではフィルム用に専門の収蔵スペースをつくる予定です。もちろんデジタル化作業も同時に進行させていきます。
― 菅谷さんが考えるデザインアーカイブ事業の重要性とは何でしょうか?
菅谷 日本ではデザイン、特にインダストリアルデザインは産業、経済という軸で語られることが多いと思います。しかしここは美術館なので、デザインを産業よりも文化という軸で捉えています。特にデザインアーカイブに関しては、大きな賞を受賞したとか、ヒット商品だったとう理由で優劣を付けず、すべてのデザインを平等に扱います。例えば、メーカーではGマークをとった製品が優遇されがちなのですが、ではその時代の評価が未来永劫続くのかと言ったら決してそうではありません。30年後にはGマークの陰に埋もれたデザインが再評価されるかもしれないのです。アーカイブ事業に関してはニュートラルな視点が大切だし、過去から現在だけでなく、未来に何を伝えるかという点が重要です。アーカイブとは、未来の人が新しい発見をするための文化的資源なのです。
― 最後に、菅谷さんがデザインアーカイブ事業として、実現してみたいことはありますか?
菅谷 空間のアーカイブですね。倉俣史朗さんに関しては新橋のすし屋のインテリアを香港にできる「Mプラス」とういうミュージアムが買い取って、再現すると聞いています。まずは倉俣さんをはじめいろいろなデザイナーがつくった空間、店舗、バーやレストランといった商業空間を何とかアーカイブできないかと考えています。例えば、倉俣さんや杉本貴志さんのインテリアでは美術家とコラボレーションしたデザインが幾つもありますが、今は写真で見て想像するしかありません。そのなかには貴重な美術品が空間デザインの一部として存在していたわけです。
また、倉俣さんや杉本さんが手掛けたバーは当時の文化人やデザイナーが集う場であり、デザインの記憶としても大切なアーカイブです。建築に関しては保存運動がありますが、インテリアデザインは知らないうちに煙のようになくなってしまいます。現物の再現は難しくても、デジタル映像などを駆使して空間を体感できるようなアーカイブの手法はないかなどと考えています。
― 最近はプロジェクションマッピングなどのさまざまな映像テクノロジーがあるので、ぜひとも実現してほしいですね。本日お話を伺って、あらためてアーカイブの重要性を再認識でしました。
菅谷 アーカイブの価値は未来の人が決める。私たちはそのために少しでも多くの資料をアーカイブに残し、伝えていかなければならないと思っています。
― ありがとうございました。
文責:関康子
大阪新美術館建設準備室アーカイブの所在
問い合わせ先
大阪新美術館準備室
http://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000009428.html
参考
インダストリアルデザイン・アーカイブズ研究プロジェクト(IDAP)
https://nakka-art.jp
大阪市立大学「萬年社コレクション」
http://ucrc.lit.osaka-cu.ac.jp/mannensha/