日本のデザインアーカイブ実態調査
DESIGN ARCHIVE
University, Museum & Organization
トヨタ博物館
インタビュー:2017年10月26日(木)10:30〜12:00
取材場所:トヨタ博物館
取材先:浜田真司さん(トヨタ自動車株式会社 社会貢献推進部 企業・車文化室 トヨタ博物館 副館長)
インタビュアー:関康子、涌井彰子(伊奈史朗さん)
ライティング:涌井彰子
Description
前書き
トヨタ博物館は、トヨタ自動車の創立50周年記念事業の一環として1989年に開館した、世界の自動車の発達史を紹介する自動車博物館である。他の自動車メーカーの博物館・資料館と異なるのは、自社のコレクションだけではなく、ガソリン自動車の歴史上重要な国内外の車両を収集することに主眼を置いている点で、現在の展示車両は約140台。これらはすべて動態保存を基本としており、車両整備に伴う整備記録、車両始動要領や走行映像についても、博物館の一次資料として保管している。車両以外の所蔵品は、絵画、ポスター、ミニカー、カーマスコットなど自動車関連文化資料約1万点のほか、書籍(約11,000冊)、雑誌(約3,500冊)、カタログ(約96,000冊)や、AV資料(約250点)など多岐にわたる。
2019年に開館30周年を迎える同博物館では、15年から段階的に館内のリニューアルを進めている。本館は17年1月までにリニューアルが完了し、それまで欧米車(2階)と日本車(3階)に分離させていた常設展示を、「自動車の黎明期から日本車の誕生の歴史(1886〜1950)」(2階)、「モータリゼーションの進展と多様化(1950〜現代)」(2階)という構成に一新。時代別に区切ったゾーンに日欧米の代表的な車両を並べ、メーカー同士が影響を与え合いながら、その時代のスタイルを構築していった様子が体系的にわかる展示にしている。また、現在改装中の新館2階北側展示場(19年春公開予定)には、車に関する書籍やポスターなどのコレクションを公開する、文化展示エリアを新たに設ける計画だ。
今回は、トヨタ博物館が収集する日本の自動車産業にまつわるアーカイブと、トヨタ自動車としての独自のアーカイブの両面について話を伺った。
Interview
インタビュー
動態保存のためのメンテナンスと課題
― トヨタ博物館は、国内外のさまざまな車両を収集されていますが、どれくらいの台数を所蔵されていますか。
浜田 現在は約540台です。そのうち展示しているのが約140台で、バックヤードに約80台、残りは工場内にある倉庫で保管しています。
― カーデザインという観点からアーカイブの収集・保存をされていますか。
浜田 博物館として積極的に行っているわけではありませんが、自動車に関する書類、カタログ、ポスター、絵画を収集していますので、結果としてデザインに関する資料も含まれていると思います。また、誰のデザインかを特定し、記録していくことも必要だと考えています。
― ほぼすべての車両を動態保存しているとのことですが、どのようにメンテナンスをされているのでしょうか。
浜田 メンテナンスには7人の整備士が携わっているのですが、収蔵車両を一巡するのに約4年かかります。4年間動かさないと、ブレーキが固着したり、ガソリンがキャブレターの中に詰まったりするので、部品を交換して動作確認をして格納する、ということを毎回繰り返しています。
ただ悩ましいのは、動くようにするために部品を変えていくことは、オリジナルを破壊する行為でもあるということです。じつは文化庁には、動態保存という概念がなくて、どうしても動かすのならレプリカをつくってください、というのが基本的な考え方なのですが、われわれはそこまではできません。開館からもうすぐ30年になるので、今後の動態保存についてもそろそろ考え直さなければいけない時期に来ています。
けれども、クルマはやはり動いてこそのものです。エンジン音や走行する姿などを含めてひとつのクルマの価値なので、騙し騙し動かして塩梅を見ながら、どの程度まで修理するかを考えながらメンテナンスしています。
― 古いクルマのメンテンナンスは、技術的に難しいのでしょうか。
浜田 古いものは10年ぐらい放っておいても動くんです。金属部品は加工すればつくれますし、最近は樹脂部品も3Dプリンタでつくれる部分もあるので、それほど問題ではなくなってきました。ですから、2000GTはおそらく50年後も動くでしょう。むしろ電子部品の多い最近のクルマのほうが厄介なので、今後は電子化が進んだクルマをどうやって保存していくかが課題です。
トヨタ自動車としてのアーカイブを収集・整理
― トヨタ車については別途、収集・管理されているのですか。
浜田 トヨタ博物館は、もともと世界の自動車の発達史を紹介する博物館として設立されたので、トヨタ車の歴史という観点では収集してきませんでした。トヨタ車を特別扱いすることのないよう、大変厳しく言われていたこともあり、つい最近まで自社のコレクションはそれほど集めていなかったのです。
たとえば、トヨタ自動車の1号車「トヨダ・AA型」は、この博物館のシンボルなのですが、じつはレプリカなんです。写真資料を見ると1960年代までは残っていたのですが、その後に誰かが潰してしまったようなんですね。それくらいアーカイビングに対する意識は低かったわけです。現在は、トヨタ博物館のコレクションとは別に、トヨタ自動車のアーカイブとして必要なものを集めるようにしています。
― それは、過去から現在まで、すべてのものを収集されるということですか。
浜田 過去のものも集めたいとは思っているのですが、予算的に厳しいので、最低限、現代の車両についてはトヨタ会館(*1)で展示した中から重要なものだけを保存するようにしています。また、デザイン統括部では関係者にヒヤリングを行って、オーラルヒストリーを収集しています。亡くなられるOBが増えてきていますし、誰のデザインかを特定し、記録していくことはとても重要です。たとえば、トヨタ2000GTがアルブレヒト・フォン・ゲルツのデザインだという都市伝説のような話に対して、きちんと野崎喩のデザインであると反論しなければいけませんから。
― 昔のデザインの開発者を特定することは難しくはありませんか。
浜田 初期の頃のクルマに関しては特定しやすいですね。むしろ、新しいもののほうが難しい。最近はチーム作業ですし、アイデア出しと製品化の担当者も違いますから。レンダリングやスケッチなどの資料に関しては、現代のものはすべてデータで残すようにしています。手書きの時代のものは、劣化して色が移ったりくしゃくしゃになったりしていますが、最近のものは比較的しっかり保存しています。ただ、データも10年も経てば記録メディアが変わるでしょうから、安心はできません。たとえば今でもフロッピーのデータが出てくると絶望的ですからね。
OBの自宅から発見された貴重な資料
― 集めた資料は、今後の開発に活かしたり、博物館で公開したりするために残しているのですか。
浜田 そこまでは考えていませんが、リタイアした人にしかわからない資料が山積みになっていたので、きちんとしたかたちで残すために始めました。ただし、仕事の優先順位としては低いので、ぽつりぽつりとやっているのが実状です。
また最近は、亡くなられたOBの親族の方が、家に保管されていた資料を持って来られることも多いんです。先日も、2000GTの構造計画書を寄贈いただいたのですが、どうしてこんな資料をもっているんだ、と技術部の人間が驚いていました。1962年の東京自動車ショーに出展した「パブリカスポーツ」というコンセプトカーを復元したときも、同じようなことがありました。このプロジェクトは、もともとはトヨタ自動車をリタイアしたデザイナーの諸星和夫さんら有志が、数少ない写真を頼りに図面を起こしていたのですが、関東自動車工業(現・トヨタ自動車東日本)の開発担当だった方に、会社や自宅を探してもらったところ、当時の図面などの資料が見つかったんです。
― 今ではありえないことですね。
浜田 そうですね。昔の人は会社に置いておくと捨てられてしまうと思って、大切なものは家に持ち帰っていたようです。
業界を代表するメーカーとしてのアーカイブ
― メーカーは製品の数が膨大なので、アーカイブしていくのも大変な作業ではありませんか。
浜田 自動車メーカーの場合は、雑誌『カースタイリング』があるおかげで、ある意味そこにアーカイブされているという部分があるんですね。また、インターネットの『Car Design News』というサイトにも、世界中のメーカーの新車の記事が残っているんです。
トヨタの開発資料などは博物館ではなく、各本部が保管するルールになっているので、設計データなどは技術管理部のほうで残しています。ただ、相当古い資料が残っているので、それをどのようにするかが問題になっていますね。
ほかには、アーカイブズグループが編纂している社史があります。2012年に75年史を発行したので、次回は100年史になる予定ですから、今から記録を貯めるようにする仕組みをつくっています。また、社史には書けない情報も別に残しています。
― トヨタ自動車の場合は、一企業の歴史というだけでなく、そのまま日本の産業史につながるものですから、一つひとつの記録がとても重要になりますね。トヨタ博物館も、自社のコレクション以外のものも充実させて、業界を代表する企業としての責任を果たしていらっしゃる。
浜田 それはほかの業界も同じで、たとえば竹中工務店が竹中大工道具館、凸版印刷が印刷博物館をつくっているように、業界を代表する企業はどこも自社の歴史だけでなく業界全体の歴史として重要なものを所蔵・展示していらっしゃいますね。
日本車の歴史的な評価を発信する場に
― トヨタ博物館では、2019年の開館30周年に向けて大々的なリニューアルが行われていますが、重きを置いた点はどこでしょうか。
浜田 新館がちょうど改装に入ったところで、19年の春まで閉館する予定です。ここではポスター、ティントーイ、ミニカーなど、クルマの周辺に派生した文化資料を中心とした展示にする予定です。一方、本館は今年の1月にリニューアルを終えています。改装前は、2階が欧米車、3階が日本車というかたちで分けていたのですが、もう時代遅れなので全部シャッフルして、2階を「自動車の黎明期から日本車の誕生の歴史(1886〜1950)」、3階を「モータリゼーションの進展と多様化(1950〜現代)」という構成にしました。
ここでは特に、日本の自動車産業が世界に先駆けて実践したことを、しっかり示したいと思っています。たとえばホンダの「シビック」が、世界で初めてマスキー法(*2)をクリアしたことや、量産乗用車に四輪駆動を普及させたスバルの「レオーネ」、そしてハイブリッド車を普及させた「プリウス」などです。なかでもプリウスは、自動車の進化の方向性を変えましたから、その歴史的な評価をきちんとしたいと思っています。
こうしたことは、世界のどの博物館も取り上げてはくれません。ここでしか発信できないことなので、各社に協力をお願いしています。先日も、スバルビジターセンターに展示してあったスバル・レオーネ・エステートバン4WDを無期限で貸与していただいたところです。
デザインをテーマにした企画展
― 2014年に「流線型の時代とクルマたち」というデザインをテーマにした企画展をされていましたが、今後もデザインをテーマにした企画展を行う予定はありますか。
浜田 近々、テールフィンの時代を振り返る企画をやりたいと思っているところです。最近のクルマのデザインは、どちらかというとデザインリッチ気味に感じるので、今の時代につながるヒントがあるのではないかと。テールフィンが流行した50年代は、競争するようにどんどん羽が伸びていくんですね。それで、あるピークを過ぎるといきなり急にパタッと止まってしまう。そして、ちょうどそのピークに達したときに、イギリスでミニが登場するんです。そういうストーリーをからめた企画を考えています。
― それは、とてもおもしろいですね。展示内容はどれくらいの周期で入れ替えを行っているのでしょうか。
浜田 企画展示は、夏に子ども向けの大きな展示を1回、ほか小さな展示を年2回。常設展示は、半年に1回くらいの周期で展示車を5〜6台入れ替えています。
― デザインアーカイブのこの調査事業でみなさんにお話を伺うと、現物を保管するスペースが足りないという問題に出くわすのですが、こちらはいかがでしょうか。また、コレクションはするクルマは、毎年どれくらい増えていますか。
浜田 まだ集めたいクルマがたくさんあるのですが、予算的に厳しいものがあるので、寄贈していただいているものもあります。毎年購入するのが1〜2台、寄贈いただくのが5〜6台、レストアするのが1〜2台ですね。保存場所については、現在は、工場の中にかなり大きな場所を確保できています。一時期は足りなくて各工場のビジターセンターに展示してもらうことで、スペースをまかなっていたこともありました。
デザインの背景にあるストーリーを発掘
― こちらの博物館を、トヨタ自動車のデザインの教育や勉強会などで活用されることはありますか。
浜田 新入社員はもちろん中堅でもやりますし、新車を開発するときのアイデアソースとしても使ってもらっています。トヨタ以外にも関連メーカーさんや、日産さんやホンダさんなど他社さんがいらっしゃることもあります。
― デザインのアーカイブという視点から、トヨタ博物館をとらえた場合、もっとも重要なことはどんなことだとお考えですか。
浜田 難しい質問ですね。まずは、モノがないと何も始まらないので、とにかく現物を保存することが第一ではないでしょうか。そして、その一つひとつに対して、おもしろいストーリーを発掘して、それを説明していくことが大事だと思います。自動車の場合は、塗料の話だけでもすごくおもしろいストーリーがあるんですね。
たとえば、T型フォードに塗っている黒は「japan Black」という名前が付いています。「japan」は漆のことです。当時、欧米にはつやのある黒い塗装はなかったので、漆は憧れの色でした。その色をなんとか再現しようとしてできた塗料の名前が「japan Black」になったわけです。
また、初期のクルマは運転方法が定まっていなかったために、設計者によってアクセルの位置が違っていることや、馬車の時代の名残で運転席は右側だったこと。それをヘンリー・フォードが、助手席の女性が歩道に安全に降りられるように左ハンドルにしたことなど、デザインされた背景にある、当時の技術・歴史・文化についての説明とともに見ることで、カタチのとらえかたが変わってきます。これは、デザイナーのようにデザインリテラシーが高い人であっても、ほとんどの人が話を聞かなければわからないことなので、さまざまな切り口のストーリーを発掘して、展示に活かすことが重要だと思っています。
― 新館がリニューアルオープンすると、さらに多くのストーリーが発掘されそうですね。その際には、またお話を伺えればと思います。本日は、ありがとうございました。
注書き
*1 トヨタ会館:1977年に創立40周年を記念して設立された企業博物館。最新モデルの展示のほか、モノづくりに対する考え方や、最新の関連技術などを紹介する展示を行っている。
*2 マスキー法:1970年にアメリカで制定された大気汚染防止法。世界の自動車メーカーが実現不可能とさじを投げた基準を、ホンダのシビックCVCCがクリアし、日本車の技術力の高さを世界に知らしめた。
トヨタ博物館のアーカイブの所在
問い合わせ先 トヨタ博物館 https://www.toyota.co.jp/Museum