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日本のデザインアーカイブの実態調査

どうなっているの?この人たちのデザインアーカイブ

DESIGN ARCHIVE

田中一光

グラフィックデザイナー

 

インタビュー:2019年6月13日 10:00~12:00
場所:DNP銀座ビル
取材先:木戸英行さん(公益財団法人DNP文化振興財団、ggg・ddd企画室室長)三上華代さん( 〃 事業企画室 )
インタビュアー:久保田啓子 関康子
  ライティング:関康子

PROFILE

プロフィール

田中一光 たなか いっこう

グラフィックデザイナー
1930年 奈良市生まれ。
1950年 京都市立美術専門学校(現京都市立芸術大学)卒業後、
     鐘淵紡績勤務
1952年 産経新聞勤務
1953年 日宣美会員
1957年 株式会社ライトパブリッシティ勤務
1960年 日本デザインセンター創立に参加
1963年 田中一光デザイン室設立
1975年~セゾングループ、クリエイティブディレクター就任
1980年~無印良品、アートディレクター就任
2000年 文化功労者顕彰
2002年 急性心不全のため逝去(享年71)

田中一光

Description

概要

2002年、田中一光の急逝は、グラフィックのみならずデザイン界、産業界に大きな衝撃を与えた。
田中は、琳派を彷彿とさせる日本的な造形や色彩、質感をモダンデザインへと昇華させ、その堂々とした気品ある作風から世界的な称賛を受けている。デザイナーとしては戦後日本の復興と歩調を合わせるように、大阪から東京に拠点を移すと同時に日宣美会員となり、草創期のライトパブリッシティ、日本デザインセンターで腕を磨いた後、田中一光デザイン室を設立。この間、1964年の東京オリンピックではメダルのデザイン、1970年の大阪万国博覧会では日本政府館一号館の展示デザインを担当するなど、国家的プロジェクトにも参加している。まさに日本のグラフィックデザイン界のど真ん中を歩んでおられる。
70年代に入り、デザインの主導権が国家から企業へ移行する時期に西武グループのクリエイティブディレクターに就任。70から80年代の文化を牽引した「西武・セゾン文化」を、総帥の堤清二とともに築いたのだった。そしてバブル経済前夜の80年代初頭には消費社会へのオルタナティブとして「無印良品」を企画、実現した。その「MUJI」は今や世界ブラントとして、生活用品や食品から住宅やホテル事業までを展開する企業に成長した。一方、東京デザイナーズスペース、ギンザ・グラフィック・ギャラリー、TOTOギャラリー間など、デザイナーの発表と社交の場をプロデュ―ス、日本のデザイン文化、デザイナーの地位向上にも努めた。
田中の偉大さはそのクリエイティビティだけではない。同時代の才能ある人々が吸い寄せられるように田中の周辺に集まってきた。デザイナーや言うに及ばず、経営者として一時代を築いた堤清二、衣服デザイナーの三宅一生、キュレーターの小池一子、建築家の菊竹清訓や安藤忠雄、写真家の土門拳(故人)や篠山紀信、画家の横尾忠則、テキスタイルのデザイナーの粟辻博(故人)、デザイナーの倉俣史朗(故人)、裏千家の伊住政和(故人)など枚挙にいとまなしなのだ。
ここでは、この偉大なデザイナーのアーカイブを預かる公益財団法人DNP文化振興財団の木戸英行さんと三上華代さんに、田中一光アーカイブの現状とデザインアーカイブについて伺った。

Masterpiece

代表作

第5回産経観世能ポスター 産経新聞(1958)
第8回産経観世能ポスター 産経新聞(1961)
西武百貨店ショッピングバッグ 西武百貨店(1973)
無印良品 ロゴタイプ 西友(1980)
無印良品「わけあって、安い」ポスター 西友(1980)
Nihon Buyo UCLAポスター(1981)
科学万博―つくば '85ロゴマーク(1981)
セゾングループ ロゴ(1982)
JAPAN ポスター(1986)
ギンザ・グラフィック・ギャラリー ロゴ 大日本印刷(1986)
ロフト ロゴ  ロフト(1987)
ヒロシマ・アピールズ ポスター(1988)
Issey Miyake, A Uh展ポスター Issey Miyake(1990)
「光朝」ポスター モリサワ(1993)

 

主な受賞

日宣美会員賞(1954)、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ銀賞(1968)、毎日デザイン賞(1973)、
ニューヨークADC金賞(1986)、東京ADC会員最高賞(1986)、毎日芸術賞(1988)、
日本文化デザイン大賞(1991)、TDC会員金賞、第一回亀倉賞(1999)ほか、
芸術選奨文部大臣新人賞(1980)、紫綬褒章受章(1994)、朝日賞(1997)、文化功労者(2000)など。

 

主な著書

『日本の色彩』 小池一子共著 リブロポート(1982)
『田中一光デザインの世界』 講談社(1987)
『デザインの周辺』 白水社、(1989)
『デザインの仕事机から』 白水社(1990)
『デザインの前後左右』 白水社(1995)

田中一光作品

Interview

インタビュー

アーカイブの面白さは書簡や写真、ドローイングなど、
その人柄や考え方を知る手がかりになる部分です

田中一光アーカイブの現状

 2016年に北沢永志さんに貴財団のアーカイブ活動について伺いました。今回は、田中一光アーカイブについてお話をいただきたく、まず設立背景についてお願いします。

 

木戸 田中一光先生は2002年1月に急逝されました。そのため田中一光デザイン室のスタッフの方々がしばらく残られて仕事を継続し、一段落した時点でデザイン室は閉鎖されました。その後は法律上では実妹さんが事務所を引き継がれ、田中先生の作品や資料は6年近く手つかずの状態で保管されていたのですが、DNP文化振興財団に対して一切を引き受けてほしいというご相談をいただきました。私どもは実妹さんと実弟さんと三者で契約を交わし、2008年に福島県須賀川にあるCCGA現代グラフィックアートセンター(以下CCGA)内に「田中一光アーカイブ」を設立するに至りました。

 

 その時点でどのようなものが残されていたのでしょうか。

 

木戸 田中一光デザイン室のビルの地下1階から地上3階に保管されていたすべてを寄贈いただき、その量は膨大でした。なかでも一番多かったのは蔵書で、仕事関係の本、雑誌などの定期刊行物、先生がデザインされた出版物などの書籍類です。ほかには事務所が保管していた書簡や書類、プライベートや出張先のスナップ、作品の複写などの写真類、スケッチや印刷の指示書、校正紙などのデザインプロセスに関するものなど。もちろんポスターなどの作品とその余丁在庫もありました。特徴的なものとしては田中先生のコレクションや友人知人からの贈答品、茶道に関する道具類などでした。

 

 先ほど膨大な量とおっしゃっていましたが、具体的にはどのくらいの量でしたか?

 

木戸 ポスター作品が約2,700種、ブックデザイン作品が約3,600点、蔵書が約9,500点、写真資料が25,000点、書類や書簡も含めるとざっくり55,000点です。おおよその物量としては、書架延長で400メートルくらい、書架に納まらない資料が段ボールで370箱くらい、ポスターなどは保管用キャビネットで約50段分くらいです。これは大雑把な量であり、一点ずつの数ではないので、総点数となると気が遠くなる数になります。

 

 保管はどうされているのですか。

 

木戸 これだけの量なのでCCGAのスペースでは足りず、暫定的にほかの倉庫も借りています。保管方法は、ポスターは美術品と同じ扱いで一枚ごとに中性の薄葉紙を挟んで酸化防止をしたうえで空調された所蔵庫にあります。写真のネガやポジなどの劣化しやすいものは酸化ガス吸着機能をもった専用ボックスに入れたうえで、収蔵庫内の専用スペースで保管していて、将来的には低温低湿のフィルム専用冷蔵庫へ収納する予定です。ほか、ブックデザイン作品、蔵書、書類などは現在データベース登録中なので、出し入れしやすいようにオフィスと同じ環境下にある保管室に置いてあります。

 

 これらのデータベース化も進めておられるのですね。

 

木戸 現在進行中です。2019年6月現時点で55,000件の作業が終了していますが、最終的には少なく見積もっても2倍になるだろうと思います。美術館で一般的に使用されている美術品管理データベースでは書簡などの雑多な資料を管理しにくいという問題がありました。そこで私たちは、アーカイブ機関で使用されている、資料を階層的に記述・登録する手法を参考に、独自に開発したデータベースを使用しています。また2017年からはデータベースの一部をインターネットで公開しています。

 

 ポスター作品などのデジタル化はどうですか?

 

木戸 2,700種に及ぶポスター作品はすでに高精細デジタル化が済んでいます。画像データは今後のテクノロジーの発達も考慮して、解像度は400dpi(原寸大相当)、長辺約1万ピクセル、色深度RGB 16bitカラーのTIFF形式を採用しています。この精度を実現するために専用撮影装置も独自に開発しました。同時に、各ポスター制作時の製版技術者や製紙会社の担当者を招聘して、一点ずつの印刷情報を調査・記録する作業も行いました。これは印刷技術史という視点からも貴重な情報になったと思います。

 

 先日CCGAに行ってアーカイブの一部を拝見しましたが、先生の学生時代の油絵などもあって驚きました。さすがに上手でいらっしゃいました。ところで、先生のデザインの思考過程を辿れるような資料もありますか?

 

木戸 スタッフにイメージを伝えるスケッチやメモなどが膨大にありましたが、事務所としてそれら一つひとつを整理するというポリシーはなかったようです。そのため、私たちでは何のため、どの仕事のためのスケッチなのか判別できないものがたくさんあり、今後の課題となっています。

 

 アーカイブの優先順位があれば教えてください。

 

木戸 まずはポスターなど作品のデジタル化とデータベース化を進めていて、主な作品の作業はほぼ終了しています。その一部はインターネットで公開しています。作品以外の雑多な資料のデータベース登録はまだ作業中で、インターネットでは公開していませんが、そうした非公開データも、研究者に対しては、CCGA館内では閲覧できるようにしています。データベースに登録するメタデータは、将来的には国内外の機関との情報交換や共有化も念頭において、国際アーカイブズ評議会のISAD(G)(国際標準記録資料記述一般原則)を含む3つの国際標準を踏まえ、グラフィックデザイン特有の要素を加えたものになっています。

 

 大変な作業ですが、専任のスタッフがどのくらいいるのですか?

 

木戸 専任はおらず兼務というかたちで、私を含んで財団メンバーが3名、データベース化作業には2名の派遣社員があたっています。現時点では膨大な作品や資料の整理、データベース化で精いっぱいです。10年かけてまだこの状態ですし、アーカイブの完成がいつになるかは予想できません。エンドレスです。

 

 作業を進めるなかで、どのような問題を感じられていますか?

 

木戸 先ほども国際標準に触れましたが、大きな課題としては資料の分類や目録の記述に用いる用語があります。こうした作業には専門知識が必要ですが、スタッフ全員がそうというわけではありません。例えば、印刷原稿類を整理する際も、田中先生の時代とは印刷技術も大きく変わり、当時の担当者もほとんど残っていない状況で、作業にあたるスタッフ全員が清刷りや版下指定などの分類を正しく行うのは難しいです。本来であれば、印刷現場や技術を知り尽くした専任スタッフがあたるべきなのでしょうが、残念ながらいろいろな制約から現状はそうではありません。そのためデータベース化を進めながら、同時に誤りがあればその都度修正していくという非効率な方法をとらざるを得ないのです。

 

 具体的にどの程度までアーカイブの作業は進んでいるのですか。

 

木戸 2,700種のポスター作品はすべて高精細のデジタル画像化とデータベースへのメタデータ登録が終了しています。写真やフィルム類のデジタル化も進行中です。フィルムは劣化が速く、受け入れた時点ですでに退色したものがたくさんありましたが、25,000点ほどはスキャニング済みです。オリジナルは専用の収蔵庫に保管し、普段はデジタルデータを使用しています。スケッチ類は整理でき次第デジタル化に取りかかる予定です。お茶道具や芸術品は現物をそのまま保管しています。9,500件に及ぶ蔵書は書架に納めています。
田中一光デザイン室では書類などはプロジェクトごとにざっくりと封筒に納めていて、封筒レベルは登録済みですが中身の整理はこれからです。中身で多いのはファックスや書類です。プレイベートな手紙などの私信は資料的な価値は高いと思いますが、スタッフやご家族が整理されていたのかほとんどありませんでした。ほかには事務所の伝票類などです。どこの事務所も同じだと思いますが、田中一光デザイン室の場合も、こうした書類が体系的にファイリング、保管されているわけではありません。

 

 それでも先生の性格からきちんとされていたでしょうし、代々のお弟子さんにはそのへんのことは申し渡しされていたと聞いています。

 

木戸 田中一光デザイン室はスタッフの数も多かったですし、数あるグラフィックデザイン事務所ではやはり特別な存在だったと思います。興味深いところでは1960年代から歴代のスタッフがつけていた業務日誌がありました。今後の田中一光研究にとって貴重な資料、重要なエビデンスになるでしょう。

 

 アーカイブというと、デザイナーの仕事場も大切だと思いますが。

 

木戸 その通りだと思います。田中一光アーカイブでは事務所にあった一部の家具などは保管していますが、空間そのものはありません。今思いますと、仕事場や先生のデスク回りなどを写真で残しておくべきでした。

 

 貴財団以外にも田中一光さんのアーカイブは存在するのでしょうか。 例えば、ご家族が所蔵されているとか。たしか、田中さんは山中湖にお茶室を所有されていましたよね?

 

木戸 山中湖のお茶室、建物はすでに人手に渡っていますが、お茶道具などの一部は財団でお引き受けしています。ですから、田中一光アーカイブとして一般の方々がアクセスできるものはDNP文化振興財団がお預かりしていると言うことができます。

 

アーカイブの活用

 

 作品や複写画像の貸し出しなども対応されているのですか。

 

木戸 はい、私が窓口になって対応しており、著作権やライセンス管理はDNPアートコミュニケーションズという別会社がご遺族から委託されて担当しています。田中先生の著作権は複数のご遺族が分割してお持ちになっていますが、外部に対してはDNPアートコミュニケーションズが窓口として対応しています。

 

 アーカイブの完成までしばらく時間がかかりそうですが、DNP文化振興財団としてこのアーカイブをどのように活用していかれるのか? 例えば、展覧会の開催、出版物にまとめるなどの予定はあるのでしょうか。

 

木戸 当財団では定期的にグラフィックデザインの展覧会を開催しているので、そうしたチャンスはあると思います。ただ、私個人としては、アーカイブは研究資源としての役割が第一なので、アカデミックな研究に対する素材提供と環境整備が重要だと考えています。その後、出版や展覧会に発展したら、図版や作品の貸し出しなどに協力できればと思います。そうした機会が少しでも増えることを願ってやみません。
一方、当財団では独自の方法で田中一光研究を進めています。今年で6年目を迎えるDNP文化振興財団学術研究助成のなかに「グラフィックデザイナー、田中一光に関する研究」という部門を設けて、国内外の教育者や研究者の視点からの研究活動を推進してきました。実際、多くの方々が福島のCCGAに泊まり込みで来て調査・研究を行っています。その成果は毎年発行している『DNP文化振興財団 学術研究助成紀要』に掲載、公開しています。

 

 いろんな意味で閉塞感が漂っている現在の日本の現状を鑑みても、上り坂にあった田中一光さんの時代やデザインを再考することは大切ですね。

 

木戸 以前のデザイン史研究の多くは戦前までが射程でしたが、最近は戦後、現代までが含まれるようになってきていると感じています。数年前ですが、「西武・セゾン文化」をテーマに論文をまとめているアメリカ人の博士課程の学生から連絡がありました。その方は堤清二について調べていて、田中一光アーカイブをリサーチしたいと福島のCCGAまで行って資料にあたっていました。そのとき「西武・セゾン文化」が研究対象になると知って驚いた記憶があります。

 

 今後、このようなユニークな研究にアーカイブが活かされるためには何が必要でしょうか。

 

木戸 デザイン史や社会学といったアカデミックな視点からの研究を促進することだと思います。私ども研究助成もそうした目的で行っていますが、現在は海外の研究者からのコンタクトが多いです。欧米は日本と違って経済活動に直結しない人文科学の研究もとても盛んで、文化的視点から日本のデザインに興味をもつ研究者が多くいます。うらやましい限りです。

 

デザインアーカイブの未来

 

 大日本印刷とつき合いの深いグラフィックデザイナーは数多いと思いますが、他の方から預けたいという要望はないですか?

 

木戸 はい、いろいろなお話を頂戴しています。社会的使命として対応したいのですが、田中一光アーカイブでさえ未完成なので、現時点では困難であると申し上げるしかありません。デザインアーカイブの今後を考えると由々しきこととは十分認識していますが、かといって無責任にお預かりすることもできません。

 

 お話を伺っていて、デザインアーカイブは選別と取捨選択がとても重要ですね。

 

木戸 その通りだと思います。膨大な資料のなかには、残すべきものと破棄してもいいのではというものが混然一体となっていると感じます。専門家ではない私たちではその判断ができないのですべて残していますが、本来はどこかで一線を引いて選別していくべきかもしれません。田中一光アーカイブの資料の中には何も書かれていないノートの切れ端なども混ざっていて、本当にこれを残すべきなのか迷います。

 

 この調査をして感じるのは、アーカイブに関する費用、場所や人材には限りがあるので、1人のデザイナーの100を残すのか、10人を10ずつ残すのかという方針を明確にすることの重要性です。言い換えれば、深堀して質を高めるのか、広く浅く量を優先するか・・・。

 

木戸 そうですね。視点は異なりますが田中先生を例にすると、グラフィックデザインは基本的には複製品ですから、先生が手がけた書籍は最低1冊残せばいいのではないか。蔵書といっても雑誌などは国会図書館に行けば閲覧できますし。アーカイブと割り切ればすべてを保存しなくても目録があればいいのではないか、という判断も十分あります。

 

 亀倉雄策さんの蔵書は最近リクルートから武蔵野美術大学に寄贈されたと聞きました。亀倉さんの場合、作品や資料は出身地である新潟県立近代美術館に保管されていますが、公立の美術館でさえ蔵書も含むすべてを受け入れることは難しかったようです。

 

木戸 その立場は理解できます。というもの、お預かりしても作業が進まなければ箱に入ったまま死蔵してしまうことになるからです。預かる側としては責任があり、むやみにお預かりすることは難しいのが現状です。美術館の場合は整理したものでないと公開できません。研究者や大学院生たちに資料を預けて整理・調査を進めてもらうという考え方もありますが、日本ではさまざまな制約があって実際には難しい。また公的施設は数年で担当者が変わるので、継続して一つのテーマに取り組むことが困難という体制的な課題もあります。

 

 そういう意味からも田中一光さんは幸運でした。こちらには田中さん以外に永井一正さんと福田繁雄さんのアーカイブもありますね。

 

木戸 永井先生と福田先生は作品のみです。個人的には、アーカイブの面白さは書簡や写真、ドローイングやスケッチなどの作品以外のところで、その人柄や考え方を知る手がかりになる部分だと感じています。田中先生、永井先生、福田先生クラスの方ですと、すでに作品集や展覧会カタログがありますし、グラフィック作品はポスターなどの複製品が多いので、むしろ作品以外の資料の保存が重要なのではないでしょうか。

 

 これ以上の収蔵は困難とのことですが、預かる側として預ける側が最低限でしておいてほしいことは何でしょうか?

 

木戸 研究者が興味のあるのは書簡やスケッチだと思うので、そのあたりが整理されているといいなあと思います。グラフィックに限らずデザイナーの仕事(作品)は基本的に絵画や彫刻といった芸術品と違って複製物なので入手しやすいです。ですから書簡、書類、スケッチにもっと目を向けていただければと思います。最近ではデザインワークのデジタル化が進んでいるので、アナログ資料の価値は高くなるものと思います。

 

 そうですね。田中さんの版下や校正紙といった印刷資料はデザインのみならず印刷技術のアーカイブであり、印刷技術史という意味でも価値があります。

 

木戸 研究者は仮説に基づいて調査研究を進めていきますが、そのためには証拠となる文書などが不可欠です。例えば、書簡からデザインプロセスが読み取れたり、何でもないスナップから人間関係がわかったりします。一方で、文化史的には人の関係はとても重要ですが、本人やご家族が知られたくない場合もあるので悩ましいところです。個人的には、すべてを残していただき、本人の遺志として死後〇〇年間は公開しないでくれ、と言い残しいていただくと完璧だと思います。

 

 先ほども話題になりましたが、田中先生の書簡から「西武・セゾン文化」誕生のエピソードや人間関係が浮かび上がってきたら楽しいでしょうね。

 

木戸 本当にそうです。あの当時は口頭での合意でプロジェクトが進んでいたのか、お預かりしている資料のなかに無印良品のロゴデザインに関して正式な契約書が交わされた痕跡が見当たりませんでした。それも時代なのかなあと判断しています。

 

 当時は仲間内のビジネスアイデアを実験してみようという余裕がありました。無印良品の始まりもそんなものだったと思います。無印良品のコピーをつくった日暮真三さんも契約を交わした記憶がないとおっしゃっていましたし。

 

木戸 あの時代の勢いを感じるエピソードですね。日々の仕事に追われるデザイナーにとって資料整理などの仕事は優先順位が低いですからね。日本ではアーカイブが意識されたのはつい最近です。デザインより歴史のある美術界でも同じ問題に直面しています。例えば、美術家はもちろんですが、美術評論家の御三家といわれた針生一郎さん、東野芳明さん、中原佑介さんもすでに鬼籍に入られ、最近も本江邦夫さんが亡くなりましたが、彼らの評論や資料はどうなっているのか、アーカイブとして保管整理されているのか心配です。デザイン界ですと勝見勝さんはどうなっているのでしょうね。

 

 木戸さんは、デザインアーカイブはどうあるべきだと思いますか?

 

木戸 一番は美術館や大学などの公的機関が取り組んでくれることです。UCLAにはアジア文化の研究所があって、巨大なライブラリーとアーカイブが整備されています。欧米の場合、アジア研究をしている修士や博士課程の学生たちがアルバイトでデータベース化を進めます。学生にとっては勉強や研究することがお金になり、機関にとって教育とアーカイブ作業が同時に進むという好循環ができているようです。

 

 運営面で参考にしている国内外の機関がありますか?

 

木戸 個々に先生方や他機関を参考にしながら独学でここまで来ているというのが本当です。ですから私たちのやり方が正しいのかどうかはわかりません。

 

 でもグラフィックデザインのアーカイブでは、こちらが日本のスタンダードになるのではありませんか?

 

木戸 そういっていただくと光栄です。

 

デザインミュージアム、作品かデザインか

 

 今 こちらでは田中、永井、福田アーカイブに加え、たくさんの貴重なポスターを所蔵されています。今後、これらを基礎にミュージアムに発展させるような計画はありますか?

 

木戸 デザインミュージアムは日本にあるべきですが、一企業ができることではありません。グラフィックに限定してもポスター、パッケージ、サイン、エディトリアル、最近のWEBなどのデジタルグラフィックまでを網羅しようとすると荷が重すぎます。個人的には国立のミュージアムができてデザインアーカイブを体系化していただき、私どものアーカイブも引き継げたら安心です。と申しますのも、時代が激しく動いている今、50年後、100年後に企業が存続しているかは予測ができないし、それに負う企業財団の場合はなおさらです。このような状況ですから、私たちができることはきちんと取り組みますが、永続性という点では国立や公立の施設に引き継げればと願っています。

 

 さて、話は変わりますが、デザインアーカイブというと、田中一光さんや亀倉雄策さんといった個人のデザイナーに焦点をあてたアプローチもありますが、デザインはもともとアノニマスな存在でもあります。世間や社会という見方に立てば大半はアノニマスデザインになりますがどうお考えですか?

 

木戸 個人的にはその通りだと思うし、興味もあります。本来はそうした部分も記録し、保存すべきかと思いますが、もっとも残しづらい領域でもありますね。

 

三上 たしかに印刷会社である私たちにしかできない部分でもあるかもしれませんね。結果として印刷物を残しておくだけでも貴重な資料になりますし、あらゆるグラフィックワークは印刷会社に集まってきますので。

 

木戸 現物をすべて保管することは無理でも、せめて写真に撮って残しておくべきかもしれませんね。社内制度としてシステムを構築すれば可能だと思いますが、実行するとなるととても困難でしょう。なぜなら印刷会社は基本的に受注産業ですから、完成品はお客様のモノです。それをどうこうする権利も義務もありません。
定義の仕方にもよりますが、街中に溢れているアノニマスデザインは社会一般の鏡です。100年単位で考えるとそうしたデザインも重要で、アーカイブという視点から継続的、体系的に考えていく必要があると思います。美術史、デザイン史から見た場合は田中先生のような作品性の高いデザインが主流でしょうが、文化史、文明史的な視点から見れば、むしろアノニマスなデザインに本質があるのかもしれません。

 

 学校で教わるのも作品性、デザイン性の高いものが多いですね。

 

木戸 小中学校の美術の教科書には田中先生の「日本舞踊」や「産経観世能」などのポスター作品がかならず掲載されていますが、実はポスターとして街中に貼られたことはなく、日宣美などのコンクールや展覧会に提出するための「作品」だったようです。でもこうした背景を知らないと、あのポスターが街に貼られていたと思いますよね。事実と違うストリーが独り歩きしているのです。

 

 おもしろいですね。つまり田中先生はシルク印刷で版画のようにポスターを制作していらしたということですね。

 

木戸 作品として制作されたポスターもデザインとなると、デザインとは何か、アートとデザインの違いは何かという美学的、哲学的定義が難しくなります。多くのデザイナーはこの境界を意識的に曖昧にしているし、アートとデザインをきっちり区別する必要はないかもしれません。亀倉先生や田中先生は「デザインは芸術とは違う」と宣言して、デザイナーという職種の向上に尽力されていましたが、ご自身は限りなくアートに近い活動にも取り組まれていました。こうした傾向はグラフィックデザインだけでなく、ほかのデザイン領域も同じではないでしょうか。やはり多くのデザイナーはクライアントが存在しない自己表現を無意識に求めているのかもしれません。逆にバウハウスのデザインも当時の人々にとってはアートに近い存在だったかもしれません。それがモダンデザインとして受け入れられるにはそれなりの時間が必要だったでしょう。

 

 そうですね。結果的にバウハウスの精神やビジョンが20世紀後半の産業界やデザインを変えました。

 

木戸 デザインアーカイブといった場合、作家的なものとアノニマスなものの両方が必要だと思いますが、アノニマスは私たちの守備範囲に入りづらいので、研究者や学芸員といった方々に期待したいですね。
個人的に興味があるのは、海外の旅行者やブロガーたちの動きです。彼らにとってのかっこいい日本は秋葉原のカオスだったり、渋谷のカフェのメニューや街中のディスプレイで、そうしたバナキュラーだったり、キッチュなものがクールジャパンなのかもしれません。彼らのなかには田中先生のデザインとクールジャパンを対等に紹介するウェブギャラリーをつくって世界中に情報発信している人もいます。海外の若手キュレーターによる企画や展覧会などもおもしろいのではないでしょうか。

 

 田中さんが1980年代初頭に無印良品を手掛けられたのも、「無印」というアノニマス性に着目されていたからかもしれませんね。最後の質問ですが、現在活躍されているデザイナーの方々から自分の作品や資料を預かってほしいと相談されても、本当に難しいのでしょうか?

 

木戸 ポスターについてはすでにお預かりしていますが、すべてとなるとやはり難しいですね。私たちは国立デザインミュージアムができるのであれば、ぜひとも協力していきたいと願っております。

 

 例えば、有料で預かるということはありませんか。実際、保管場所や人件費が必要なのだから、預ける側もその一部を負担するようなかたちで。希望されるデザイナーやご家族はいらっしゃると思います。

 

木戸 そうしたことも検討の必要性は感じています。一方で、有料にするとこちらも一定の責任が発生するし、お預かりしたところでどのくらい対応できるか想像ができません。現状はボランティアなのでこちらのペースでじっくり取り組めていますので。

 

 公立のデザインミュージアムの前に、何かできることはないのでしょうか?

 

木戸 先ほども少し話しましたが、アーカイブのメタデータの共通化を図る国際的なネットワークが少しずつ整ってきているようです。日本も最近になってアーカイブが注目されているので、各機関や組織がもつアーカイブの共有化、ポータル化が進むのではと期待しています。
2015年から文化庁アーカイブ中核拠点形成モデル事業プロジェクトとして、武蔵野美術大学がプロダクトデザイン、文化学園大学がファッション、京都工芸繊維大学がグラフィックデザインを担当し、作品や資料の収集、整理、保管、修復などの方法を検討する動きがあり、デザインコレクションをもつ美術館の学芸員も加わって討論会などを行っていました。しかし実際には、各美術館の担当者がそれぞれのやり方でデータベース化や資料整理を進めているので共通化が難しそうです。また日本ではアーカイブという概念が新しいせいか、「コレクション」と「アーカイブ」の捉え方もまちまちです。

 

 私もこの調査を始めたときには「コレクション」と「アーカイブ」をごっちゃにしていました。

 

木戸 例えば、私どもの場合は、完成したポスター作品はコレクション、それ以外の資料はアーカイブとしています。今は、作品以外の資料をどう整理するかが課題です。今まで、日本のミュージアムのコンテキストにはアーカイブの概念がなかったため、それらをどのように扱ったらいいかわからない部分もあるのでしょう。しかしそのような状況のなかでも2021年開館予定の大阪市中之島美術館はアーカイブを活動の中心に据えているようですし、金沢21世紀美術館では専任のアーキビストがいます。日本でもデザインアーカイブへの取り組みが広がることを願ってやみません。

 

 本日は長時間ありがとうごじざいました。

 

 

文責:関康子

 

田中一光さんのアーカイブの所在

公益財団法人 DNP文化振興財団
アーカイブ事業について http://www.dnp.co.jp/foundation/archives/

HEARING & REPORT

どうなっているの?
この人たちのデザインアーカイブ

What's the deal? Design archive of these people

グラフィックデザイナー

原 弘    1903年生まれ*

亀倉 雄策  1915年生まれ*

粟津 潔   1929年生まれ*

永井 一正  1929年生まれ

田中 一光  1930年生まれ* NEW

勝井 三雄  1931年生まれ*

福田 繁雄  1932年生まれ*

杉浦 康平  1932年生まれ

仲條 正義  1933年生まれ

石岡 瑛子  1938年生まれ*

小島 良平  1939年生まれ*

浅葉 克己  1940年生まれ

松永 真   1940年生まれ

佐藤 晃一  1944生まれ*

河北 秀也  1947年生まれ

井上 嗣也  1947年生まれ

八木 保   1949年生まれ

秋田 寛   1958年生まれ*

インテリアデザイナー

倉俣 史朗  1934年生まれ*

北原 進   1937年生まれ

大橋 晃朗  1938年生まれ*

内田 繁   1943年生まれ*

杉本 貴志  1945年生まれ*

植木 莞爾  1945年生まれ

北岡 節男  1946年生まれ*

藤江 和子  1947年生まれ

飯島 直樹  1949年生まれ

 

テキスタイルデザイナー

粟辻 博   1929年生まれ*

 

CI

中西 元男  1938年生まれ

 

家具職人

宮本 茂紀  1937年生まれ

調査対象については変更する可能性もあります。

調査対象(個人)は、2006年朝日新聞社刊『ニッポンをデザインしてきた巨匠たち』を参照し、すでに死去されている方などを含め選定しています。

*は死去されている方です。