WORKSHOP

「日本のデザインアーカイブの実態調査」事業関連

第二回ワークショップ

川上元美さん

 

開催日 2018年5月10日18:00~
開催場所 川上デザインルーム
主催 NPO法人 建築思考プラットフォーム
協力 川上デザインルーム

plat川上元美
plat川上元美

Report

レポート

概要

本ワークショップは、「日本のデザインアーカイブ実態調査」事業の一環として、デザイナーや建築家のアトリエを訪問し、デザイン誕生の空間を体感しながら、デザイン思想を語っていただくことを目的としている。
第二回は、60年代からデザイン活動を始め、今も第一線で活躍している川上元美さん。常に時代の空気を肌で感じながら、新しい素材や技術を巧みに取り入れ、時代が求める製品を提案してきた。
川上さんの仕事場は、建築家の渡辺明さんと共同設計による建物。地上2、3階が執務室、地下と地上階は2層吹き抜けの天井高約5メートルで、大開口部から光や風が感じられ、気持ちのいいダイナミックな空間が広がる。
川上さんは、デザイン作業でコンピュータだけでなくドラフターも併用し、地下吹き抜けの大空間の壁面に原寸の図面を貼ったり、試作や模型を置いて実際に触ったり座ったりと身体感覚を大事にしたデザインワークを行っている。
ワークショップは、その建築的にも見所がある地下の大空間で行われた。部屋中に川上さんがデザインした椅子やその試作が並び、さながら椅子のミュージアムのよう。前半は仕事場の説明から始まり、デザインを振り返るレクチャーを、後半は参加者からの質疑応答。参加者は30名ほど。参加者は思い思いに好きな椅子に座ってレクチャーを聞くという、貴重な時間を過ごした。
以下にその内容をレポートする。

 

川上元美 川上元美
川上元美 川上元美
レクチャーを聞いている風景と仕事場の写真(写真/NPOデザインアーカイブ撮影)

 

 

 

 

60年代の藝大時代

川上さんは、安保闘争が展開されていた1960年に東京藝術大学美術学部工芸科に入学。同級生には、松永真さん、上條喬久さん、石本藤雄さんらもいた。この年、同大学では大規模なカリキュラムの改革が行われ、グラフィックやプロダクトなどのデザインと、彫金や鍛金、鋳金、陶芸、漆芸、染織などが工芸科として統合され、3年の前期まで多彩な分野を学んだ。大学時代を振り返って川上さんは「デザインだけでなく工芸にも触れ、人間国宝の教授に直に教わり、実材に触れる機会を得たことは自分にとって大きな財産となり、その経験が今を築くベースになった」と語った。当時制作した銅板の鍛造や鋳造のブロンズ製の花瓶などが、今も事務所に飾られている。
その後は大学院に進んで環境デザインを体験し、フィールド・サーベイ(調査、測量、実地踏査)を行うなどして、また別の目を磨く経験を積んだ。

 

川上元美
1)藝大時代に作成した鋳造と鍛造の花瓶      2)「置き勉」用学童向けシステム家具

川上元美 3)アメフト同好会のメンバーと(前列右)     4)イタリアオペラ『アイーダ』にエキストラ出演

 

 

マンジャロッティとの出会い

転機となったのは、大学院生のときに出会った一冊の本『アンジェロ・マンジャロッティ―1955-1964』(青銅社、1965)で、「真のデザインとはこういうものか」と開眼させられるような衝撃を受けた。ドイツのバウハウスの合理的で機能主義的な要素と、ヒューマンなイタリアンデザインが共存する世界観があった。川上さんは第二外国語でイタリア語を取得して学び、1966年26歳のときにマンジャロッティ事務所の門を叩き、以降3年間スタッフとしてデザインに従事した。

 

川上元美
5)マンジャロッティ事務所で働いていた1967年(左)
6)2001年ミラノサローネのカッペリーニ会場にてマンジャロッティと

 

 

椅子のデザイン

川上さんのデザインを代表し、また最も手がけることの多い椅子のデザインをスライドで振り返った。最初に手がけたのは、イタリア滞在中の1968年の初コンペ作品、成型合板の椅子「FIORENZA(フィオレンンツァ)」。A.バッツァーニ社から商品化にあたり、当時、プラスチック素材ブームの只中にあり、水回りでの使用が求められたことからABSの加熱プレス成型で製作された(ヴィクトリア&アルバート博物館に収蔵)。
帰国後、川上デザインルームを開設したばかりの1971年に日本デザインコミッティー主催の「私の座」展で「DOLMUSE(ドルミユース)」(プロトタイプ)を発表。20センチ角のユニットを基本とし多様な展開ができるコンセプトとソフトビニールの中空成形、発泡ウレタン、硬質アルミニウムというユニークな素材の構成で、1973年にPARCO劇場(当時は西武劇場)のレセプションチェアとし採用された。

 

川上元美
7)1968「FIORENZA」

 

川上元美
8)1971「ドルミユース」(左上) 9)1973「ドルミユース」(渋谷PARCO劇場に設置) (右上) 
10)1976「NT」(下)

 

フォールディングチェア「BLITZ(ブリッツ)」は、代表作のひとつ。オイルショックの影響で石油製品の高騰を受けて材料の使用量を抑えてスリム化し、身体に心地いいデザインを考えて設計した。1977年にAIA(アメリカ建築家協会)主催の国際チェアコンペティションで一席を獲得。製造にあたりメーカーが何度か変更になり、イタリアのスキッパー社から製品化されたのは5年後という難産だった。現在、カッシーナ・イクスシーからそのファミリーとして「BRONX(ブロンクス)」という製品が製造・販売されている。
その他、1976 年に発表以来、40年以上ロングセラーになっている成型合板を使用したアルフレックスジャパンの「NT(エヌティー)」やオフィスチェア、ホテルや空港のロビーのラウンジチェアなど、幅広く手がけている。

 

川上元美
11)1981「BLITZ」(1995〜「TUNE」)(上段) 12)1992「BRONX1010」(下段)

 

川上元美
13)1991「SOPRA FIUME」オカムラ(上段・中段) 14)2008「Actdia」内田洋行(下段左) 
15)2013「Elfie」内田洋行(下段右)

 

 

70年代の工業製品

70年代には、テクノロジーの進化が加速してこれまでの大型のものから家庭用の小さなコンピュータが登場するなど、家電製品が小さくコンパクトなものになり、インダストリアルデザイン界は過渡期を迎えた。川上さんもこの時期、住友電工の「ハンド・スキャナー」やMS-DOSタイプのパーソナルコンピュータなど、工業製品のデザインを多数手がけた。「アナログからデジタルへの変換期で、ひとつの製品を開発している最中にも新しい技術が生まれ、常にその先の先を考えなければならなかった」と語り、進化のスピードにある種の虚しさを感じることもあったという。

 

川上元美
(左から)16)1976「ハンド・スキャナー」 17)1977「555シリーズ」中央電子 
18)1975「DATA-BEE」住友電工

 

 

光源・映像デバイスの進化

技術の日進月歩ということでいえば、照明の光源も挙げられる。川上さんは空間の中で「光と影が調和すること」を大切に考えてデザインしている。小さくて効率のいいクリプトン球の登場に伴い、1978年にヤマギワで「RUACUL(ルアクル)」をデザイン。2004年にウシオスペックス(現・モデュレックス)からハロゲンやHID、クセノンランプなどを用いた 「スポットライト-ISPEC」を、2016年には有機ELの産業拠点である山形大学の技術のもと、「TAKE-TOMBO」(プロトタイプ)を発表。有機EL発光体は、一般に流通するものになるには、もう少し時間が必要と見ている。同様に、1998年にデザインしたNECのプラズマTVやインタラクティブなモニターも発売当時は高額であったが、液晶とともに急速にコストダウンし、高解像液晶や有機ELTVに置き換わりつつある。

 

川上元美
19)1978「ルアクル」(左上) 20)2016「TAKE-TOMBO」(右上) 21)1983「ARIAKE」(右下)
22)2004「ISPEC Spotlights」(中段) 23)1998「PLAZMA-TV」NEC(左下) 
24)1998「PLAZMA-MONITOR」NEC(右下)

 

 

ラケットの技術を椅子に

ユニークな製品では、ヨネックスのテニスラケット「Rシリーズ、RQシリーズ」がある。川上さんは大学時代からアメフトやスキーなど多彩なスポーツをたしなみ、テニスも子どもの頃からの趣味のひとつだった。これを手がけた80年代半ばは、カーボンコンポジットやグラファイト、ケブラー、ボロン、シリコンなど、多彩な素材が登場した時代でもあった。それまでラケット本体にはプライウッドや硬質アルミが使用されていたが、その頃出たばかりのスリーブ状のCFRP(カーボン繊維強化プラスチック)の内圧成形した新しいタイプのラケットで、当時活躍していたプロテニス選手のマルチナ・ナブラチロワが使用したことでも知られ人気を博した。その後、イタリアのメーカーと「CARBON CHAIR(カーボンチェア)」の製作を試みたが先行投資が高価だったため、モックアップモデルで終わった。だが、今もそれがハンドレイアップ(手作業で樹脂をローラーなどで含浸させて積層する成形法)でなく、工業的手法で実現できる「可能性はある」と考えている。

 

川上元美
25)1988「Rシリーズ」(左上) 26)1988「CARBON CHAIR」(モックアップ)(右上) 
27)1985「CCC」ヤマハ(下)

 

 

日本の伝統工芸をもとに

ハイテクな素材や技術と、その土地の素材や受け継がれてきた伝統工芸を融合させて新しい表現を模索した製品開発にも携わっている。これには「藝大時代の経験が生きている」と川上さんは言う。80年代には、漆を活かし現代の生活に合う製品を展開するブシと家具シリーズを手がけた。それを見たイタリア家具メーカーからのオファーで「手仕事」を「工業的」手法に変えて、「漆塗りからフローコーター(製品に滝状の塗装を流しかける塗装工法)」に変更した「KINU(キヌ)」が生まれた。
同じ80年代には、ヤマハの楽器製作やピアノの塗装技術を応用した家具「雅致」シリーズを製作。人の暮らしや振る舞いに「ハレ」と「ケ」があるように、道具のしつらえにも「真」「行」「草」の構えがあると川上さんは考える。仕事場の大空間に置かれたテーブルは、白蝶貝の象嵌の上に厚く透明な塗装を施してから平滑に削り、磨き上げることで模様が浮かび上がり、かつ精度のある鏡面効果をもたらした。

 

川上元美
28)1981「CRESCENDO」ブシ(上段) 29)1982「KINU」arflex s.p.a.(中段) 30)1985〜1989「雅致シリーズ」(下段)

 

 

ボトルのデザイン

藝大の同級生で、グラフィックデザイナーの松永真さんと一緒に、1983年にキリン・シーグラムのウイスキーボトル「NEWS(ニューズ)」に続き、1986年には味の素ゼネラルフーズのインスタントコーヒーボトル「Blendy(ブレンディ)」をデザインした。松永さんがロゴ、パッケージを、川上さんはボトルのデザインを手がけ、それぞれパッケージデザイン賞の大賞、特賞を受賞した。デザインはもとより、そのものの有りようや新しい生活のシーンを提案したコンセプトが評価につながった。後者は食卓で存在感のある佇まいと、店舗棚でスタッキングできるよう口蓋の面積を広くし、容器として「リユース」することも考えて汎用性の高いデザインにした。

 

川上元美
31)1983「NEWS」(左) 32)1986「Blendy」

 

 

環境デザイン

手がけた中で最もスケールの大きい公共物が、1994年の羽田空港と横浜ベイブリッジ間を結ぶ高速湾岸線の主要橋梁、1面吊り3経間連続鋼斜張橋の「鶴見つばさ橋」。建築や土木とは異なる、デザイナーという視点から環境デザインに向き合った。完成までには6年を要したという。
環境デザイナーとして60以上の橋梁を手がけ、土木の世界に挑んだ大野美代子さんに対し、川上さんは「業界に風穴を開けた方」と讃え、美しい風景や暮らしやすい環境を創造し、次世代に伝えていくためには「こうした環境デザインの分野にデザイナーがもっと関わることが必要だ」と語った。

 

川上元美
33)1994「鶴見つばさ橋」(左) 34)2009「TOPOSPOT」長浜(右上) 
35)1994「パーゴラ・シェルター(KDシリーズ)」Hokusho(右下)

 

 

近年のデザイン

現在も新作を発表し続けていて、ライフスタイルの変遷に合わせて手がけるデザイン製品もさらに広がりを見せている。近年では、高齢化社会に向けてユニバーサルデザインの視点から考えた開発をしている。TOTOから1993年に感知センサーやタッチセンサーを用いたトイレ、レストルームのデザインを、1996年にはワンハンドカットや着脱を簡単にした2連のトイレットペーパーホルダを発表した。2006年にパラマウントベッドから発表した「INTIME(インタイム) 7000/3200」は、読書やテレビを視聴する際に好みの姿勢に調節でき、就寝前後の時間を豊かに過ごすための工夫が考えられている。自社の医療施設で蓄積されたノウハウをもとに開発され、オプションを付け足すと介護用ベッドにもなる。

 

川上元美
36)1996「MKシリーズ紙巻器」(上段左) 37)1993「ZAZA」(上段中) 
38)2001「Furopia」TOTO(上段右) 39)2000「watch(エコ・ドライブ)」Interform(下段左) 
40)2000「desk-clock」Interform(下段右)

 

川上元美
41)2006「INTIME 7000/3200」

 

2001年に産学官共同研究で開発を進めた「Pulse(パルス)」は、オーファンプロダクツ(重度障害者を対象とした福祉機器)の視点を取り入れ、ABS理論(最適な骨盤支持を実現する理論)に基づいて具現化された。2017年に発表したオカムラのアクティブラーニングチェア「Cradle(クレイドル)」は、機構部分にバネ構造を採用し、揺れながらも元に戻ろうとする反力を利用し、適度に体を動かすことにより脳が活性化し、アクティブなグループワークを期待したマルチスツールである。
レクチャーを通して、川上さんのデザインには「手のうちに収まる小さなものから人が座るもの、人が入る空間、それらはすべて生活道具であり、環境の中でいろいろな関係性でつながっていて、みな同じものだということ」という思想が基本にあり、さらに新しい技術、素材、そして時代性を取り込みながら「美しい環境を構成するデザイン」が生み出されていることが理解できる。

 

川上元美
42)1986「二期倶楽部」(左上) 43)2008「沼津倶楽部」(右上) 
44)2014「INSIDE OUT」昭和飛行機(左下) 45)2009「Pulse」内田洋行(右下)

 

川上元美
46)2018「Cradle」オカムラ(左上) 47)2017「STICK」天童木工(右上) 
48)2018「MESA(table)」RIVA、「APERTO(chair)」arflex Japan LTD.(下)

 

 

日本の地場産業と木材

素材の枯渇や後継者不足など、多様な問題を抱える日本各地の地場産業とのデザインにも真摯に取り組んでいる。2005年には佐賀県有田市の有田焼の窯元と、和洋どちらの料理にも合う「有田HOUEN(ホウエン)」の食器を、2007年には刃物の街、関市の川嶋工業とオールステンレスの包丁「MOKA(モカ)」、後にダマスカス鋼のタイプを製作するなど、その土地の素材や受け継がれる伝統技術を活かし、現代のライフスタイルに即した生活道具を数々デザインしている。

 

川上元美
49)2005「有田HOUEN」

 

川上元美
(上段左から)50)2006「水出し用ポット」丸八製茶場 51)2009「椀一式」飛騨春慶 
51)2009「スギ圧縮トレイ」飛騨産業 52)2015「MOKA DAMASCUSシリーズ」 
53)2010「O-bath」檜創建(下段左右いずれも)

 

椅子のような家具には不向きとされ、その活用が叫ばれている戦後植林されたスギ、マツ、ヒノキなどの針葉樹を使った製品開発も行っている。2010年に発表した岐阜県中津川の檜創建の浴槽「O-bath(オーバス)」は、ヒノキ材とガラス繊維強化プラスチックを接合させ、体を優しく包み込むような曲線のデザインを生み出した。2014年には、高山市の飛騨産業から「KISARAGI(キサラギ)」を発表。柔らかく傷がつきやすいスギ材を加熱圧縮することで強度を高め、柾目材の美しい木目の家具を実現した。2016年には「とまり木プロジェクト」というシェアオフィス・プロジェクトに参加。地産地消を目的に茨城県産のスギやケヤキ材を使用し、出張の際などに活用できるなど、地元の人との交流を図れる場でもある。
10数年ほど前から、北海道旭川市で家具産業に関わる人々がボランティアで行う植林活動に参加している。自生していた家具に適した広葉樹のミズナラやヤチダモなどで、家具として使用できるのは100年先とのこと。家具デザインの未来につなげるサスティナブルな活動である。
2018年には、北海道東川町の「君の椅子」プロジェクトに初参加。誕生した生命の “君の居場所”を椅子に託し、毎年生まれた子どもたちに贈る活動である。幼少期から地域材やそれを使った家具や生活道具に関心を、ひいては地域への愛着を持ってもらうことを目的としている。レクチャー後はワインを楽しみながら質疑応答が続いた。

 

川上元美
54)2016「SESTINA New」カンディハウス

 

川上元美
55)2011「SEOTO」(上段左) 56)2014「KISARAGI」飛騨産業(上段右) 
57)2016「とまり木プロジェクト」(中段左) 58)2008「STEPSTEP」日進木工(中段右) 
59)2018「君の椅子プロジェクト」北海道東川町(下段左) 
60)旭川地区で毎年行われている広葉樹の植林風景(下段右)

 

 

 

 

 

質疑応答

一般解と特殊解

―― 初期から最近までの川上さんの仕事を拝見して、はっきり時代がわかったのはヤマハの仕事だけなのです。ご自身は常に時代性も取り込みながらデザインしているとのことですが、それ以外の仕事は時間を超越しているといいますか。その辺りを川上さんはどのようにお考えでしょうか?

 

川上 私がいつも思っているのが「一般解」と「特殊解」ということです。一般解というのは普通の商品を扱う人たちに対するものづくり、後者はその時代、その特別な環境に照準を当てたものづくりやユニークピース(一点物)のようなものを指しています。私のなかでこの2つが同居していますが、どちらかと言うと「一般解」のものづくりの方が多いかもしれませんね。

 

―― 川上さんのすごいところは、普通では流行や時流に流されがちな「一般解」のデザインでも、時間を超越しているということですね。

 

川上 一般解にしても、最初は私の個性から発生していますが、それがデザインを進めていく過程で普遍化されていくのだと思います。一般解のデザインは「商品」として多様なシーンに入り込んでいくものであり定番化していくことを期待したもので、建築家がある空間のために制作する特殊な、その空間における主役になるようなデザインとは根本的に違ってくるわけです。そうは言っても、デザインというのは社会や時代との関係のなかから出てくるものなので、その時点における最良の回答をどのように出していくかということに過ぎないのでないかとも思います。確かに日本の家具のような製品は、歴史の長い国に比べて幅が狭く、その文化的奥行きが浅いと感じるときもあります。でもその辺りは、ある意味割り切って、一般解においては日常のなかで使い良いモノに価値を求めるというか、感動は与えられても、特別驚きを与えるものである必要はありません、そういう気がしますね。

 

デザインの原動力

―― 長きにわたって幅広い分野で仕事をされていますが、情熱を傾ける原動力は何ですか。

 

川上 植林活動にしても自然とやっていたという感じで、やりたいからやる、できることを試す ということですね。私どもの事務所の規模を大きくすることよりも、ものづくりが基本の仕事をしていたい。それも納得のいく仕事を、自分が好きだと思う仕事をしたいと考えています。やりたいと思った仕事はお金を出してもやるというスタンスでいます。

 

ファスト家具の台頭

―― 近年、安価なファスト家具が人気で、多くの人はそれに満足している傾向があるように思います。どのように思われますか。

 

川上 ヨーロッパで部屋を借りる場合、電球ひとつ買わないといけないような何もない空間なので、本来、ファスト家具はお金のない新婚や独立したての若い人たちがとりあえず生活するために買い求めるものでした。ところが今は幅広い層の人が購入していて、そういうものだけで充足してしまう人もいるようですが、必要かつ十分な条件のみでは寂しいし、つまらないという気がします。本当は心から満足しているのではなく、やはり人々は生活に利便性だけではない、心の潤いを求めているのではないかなと思いますね、生活の主体が何なのか、そのライフスタイルによって変化していくことも考えられますが。

 

川上さんにとってのタイポロジー

―― 日本の家具は、幅が狭く奥行きもないということですが、それはある種の型、タイポロジーなのかなと思いました。イタリアでは型が日本より多く、そのなかで新しいタイポロジーを生み出すのは難しいミッションだと感じます。川上さんはイタリアにいらしたご経験もあるので、日本でタイポロジーをどのように捉えて仕事をされているのかということに興味があります。

 

川上 若い頃に日本デザインコミッティー主催の「私の座」展で椅子を発表したときに、自分でも新しいと思い、周りからも評価をいただきましたが、その後、一般には売れませんでした。評価されたのはコンセプトでありフォルムであって、人の心を掴み生活の中でそれが使われるということとは違う問題なのだと実感しました。その経験から時代の制約の先にスペキュラティブ・デザインの視点があるとは思いますが、尖ったデザインや学研的振る舞い、デザイン概念的アプローチよりも、日常生活のなかで共感を呼ぶデザインを心がけています。一般的な日本の集合住居の天井高は2.2mから2.4mが多く、比較的狭量なスペースの中での親和性を求めたデザインの結果としてのタイポロジーと、国外市場にターゲットをもつ商品や国外メーカーとのコラボレーション、あるいは特定空間への設えやワンオフの物とは少しアプローチが異なると思います。ただ、私自身はデザインをするうえでタイポロジーについて意識して考えることはありません。

 

マンジャロッティについて

―― 晩年の家具に至るまでデザインが一貫していて、そのなかに精神性や思想を感じます。

 

川上 マンジャロッティは、本当にブレない人だったなと思います。住宅用ランプのガラスの部材のひとつからも哲学が見えてきます。外部特性をどう活かすか、そのなかでどう解決していくかなど、細部まで綿密に考えられていて、素材の特性を活かし、フォルムと機能の融合から新しい可能性を生み出していこうとする姿勢を感じます。PC工法の柱や梁があるだけなのですけれども、そこにはとてもバリエーション豊かな空間が広がっています。まさに「最後のモダニスト」でした。

 

インターネットが存在価値を変えた

―― インターネットの登場によってものの存在価値が大きく変わり、インダストリアルデザインの面からだけではアプローチしにくい、いろいろ難しい時期にきていると思います。それについてどのようにお考えですか。

 

川上 楽観視はできないですよね。従来のインダストリアルデザインの枠組みを取り除かねばなりませんし、教育におけるデザインのセクショナリズムも同様です。現在は、よりデザイナーに対する要求度が高まっていて、それに対する解答もより高度な創造力が求められている、ひじょうにシビアな時代だと思います。そのなかで今、時代のキーワードになっているのが、異業種の分野からの介入やコラボレーションだと思います。たとえば、大学に附置された東大生産技術研究所は、ミクロからマクロまで工学のほぼすべての分野の先端技術を扱う環境で、アートやデザイン、エンジニアリングを越境した研究がなされているようで、とても羨ましく思いました。美術系の大学では、なかなかそうはいきませんが、これからは自然、応用、社会科学などと横断的につながったところにイノベーションの源があり、デザインがそこに求められていくと思います。

以上

撮影協力(敬称略)
稲越功一
大木大輔
小川重雄
白鳥美雄
長濱治
西山芳一
藤塚光政
ナカサアンドパートナーズ

 

 

 

HEARING & REPORT

どうなっているの?
この人たちのデザインアーカイブ

What's the deal? Design archive of these people

調査対象については変更する可能性もあります。

調査対象(個人)は、2006年朝日新聞社刊『ニッポンをデザインしてきた巨匠たち』を参照し、すでに死去されている方などを含め選定しています。

*は死去されている方です。

 

SPECIAL PROJECT

PASS the BATON

倉俣史朗を語ろう

シンポジウム開催

倉俣史朗(1934〜1991年)は、60年代から80年代にかけて活躍した伝説的なデザイナー。
その人物と仕事は世界中の人々を魅了し続けています。
没後30年を前に「倉俣史朗の入門編」として、過去から現在、未来へと若い世代に倉俣のデザインをつなぐシンポジウムを開催しました。

 

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